第5話 思い出の愛
みんなが僕を恐ろしそうな目で見ていた。僕は一歩足を踏み出す。すると皇族たちの群れが縦に分かれる。僕はその道を歩いていく。そして玉座に辿り着き、そこへ座った。
「ここにいる皆様方。あなた方はいま無礼を働いているとわかっておられますでしょうか?」
ルドゥーテが僕の左隣に立つ。
「ええ。ルドゥーテ殿下のおっしゃる通りです。控えなさい。ここは玉座の間。今あなたたちがいるのはこの神聖イグアス帝国の主権者たる皇帝陛下なのです」
ヤーノシュが僕の右側に立つ。そして二人は息を合わせてこう言った。
「「頭が高い!」」
そう彼らは叫んだ。するとこの場にいる全員が臣下の礼を取り跪いた。壮観だ。これが皇帝の見ている風景なのか。だけど不愉快だ。だから僕は衛兵たちに命令を下すことにした。
「衛兵たち。朕は汝らに勅を下す。ここにいる全員を宮殿から追い出せ」
その勅令が発せられた瞬間空気が凍った。衛兵たちはオロオロとしていたけど、僕が睨みつけるとすぐに剣を抜いてこの場にいるものたちを外へと追いやりだした。
「待ってくれ!ヴァンデルレイ!こんなこと!お前は本当に望んでいるのか!?サビーナさまがこんなことを望むわけがない!」
スペンサーが衛兵に押されながらもそう叫んでいた。僕の母の名前を出すのが不愉快だった。
「お前が
衛兵に合図を送ると衛兵たちがスペンサーを袋叩きにし始める。それでもスペンサーは何かを叫んでいたけど僕にはもう聞こえなかった。気絶したスペンサーは衛兵に背負われて宮殿の外へと連れていかれた。他の皇族も重臣たちもみんなみんな玉座の間からいなくなった。
「ごみどもがいなくなってすっきりしましたわね」
「ええ。玉座の間なのですから、やはり静粛さに包まれている方がいいです」
ルドゥーテとヤーノシュだけが僕の傍に残っている。
「はぁあ。なんで僕が皇帝なんだよ…」
僕は誰もいなくなった玉座の上でそう呟いた。
「父上の見る目が正しかったのです。わたくしは最初からお兄様こそが皇帝にふさわしいと思っておりました」
「私もそうです。先帝陛下はあなた様にこの帝国の行く末を託したのです。それは陛下がもっとも徳に満ちたお方だったからです」
そんな言葉は僕にはどうでもよかった。父さんとは母さんが死んでから一言も交わしていなかった。なのに今更。言葉以外の何かを僕にくれるなんて思わなかった。僕には父さんから何かを受け取る準備がなかった。いや。欲しかったのは帝位なんかよりも言葉だったんだ。
衛兵たちが皇族たちを宮殿の外へと追い出したから後宮もひどく静かになった。メイドと宦官たちしかおらず彼らはただただ僕を見て困惑していた。僕は疲れていた。だから自分のテントに戻ろうと思ったのだが。
「お兄様。後宮は今やお兄様の物です。あのテントに戻る必要などございません」
ルドゥーテは僕を止めたけど、後宮の宮殿の中にいるいられる気がしなかった。ここは僕を迫害していた連中の住み方だったんだ。もちろん僕だってここに住んではいたけども居心地が酷く悪い。
「父さんの遺体が届くまで休ませてくれ」
「それはご命令ですか」
「…お願いだよ」
「わかりました。ゆっくり休んでくださいお兄様。遺体が空港から届いたらすぐに呼びに行きます」
僕はテントに入り寝袋の中に入る。
「僕が皇帝?みんなが僕を下に見ていたのに?これからは僕が上なのか?それってなんなんだよ」
僕が突然変わってしまった世界に置いていかれてしまったようだ。皇帝という存在に重さも軽さも感じない。ただただ胡乱で曖昧な違和感だけがそこにあった。
父さんの遺体が到着して後宮に運ばれた。透明な棺に納められており、とても死んでいるとは思えないほど穏やかな顔をしている。この部屋にはいま僕とルドゥーテしかいない。
「父上…。皇族ですから普通の親子とはいえませんでしたけど。やはり悲しいですわ」
ルドゥーテは素直に涙を流していた。きっとたくさんの思い出があるのだろう。それに対して僕はあまり父上についての思い出がない。
「あら…?これは?」
父さんの握られた手から金色の鎖が見えていた。ルドゥーテは棺を開き、力を込めて父さんの手を開いた。
「ペンダントですわね。これはロケットみたいですね…」
ルドゥーテはロケットペンダントの蓋を開けて中を見る。寵姫の写真でも入っているのだろうか?
「ああ…父上…そうなのですね…だから…お兄様…どうぞご覧になって…」
ルドゥーテは中に入っていた写真を見せてきた。そこには黒髪赤瞳の父さんと金髪碧眼のエルフの女性と金髪に紫色の瞳の男の子の三人が写っていた。男の子はよくわかる。間違いなく僕だ。だからエルフの女性は。
「…母さん?母さんの写真?」
「お兄様。父上の心はこれでお判りでしょう。お兄様。父上はお兄様の母上であるサビーナさまを愛していたのです。この後宮にいる誰よりも。そしてサビーナさまとの子であるお兄様も深く深く愛していたのですよ」
僕の足が震える。思いがけない不意打ちに視界も地面も揺れるように感じた。
「でも父さんは母さんが火刑にかけられるのを見てみぬふりをした」
「皇帝と言っても後宮の陰謀には勝てなかったということでしょう。他の皇妃たちの機嫌を損ねたら下手すれば外戚の貴族をまきこんで内戦になりかねません。為政者としての判断だったのでしょう」
「でも。だけど。それでも!」
「お兄様。皇帝は確かに独裁者。ですがその力は多くの共犯者たちとの結束で維持されるのです。後宮の妃たちとその外戚、そして皇帝は共犯関係にあります。父上は一人の女よりも国の維持を優先した。君主として立派な判断です」
僕は両手で手を覆う。このままだと涙が溢れそうだったから。
「ですがきっと一人の人間としては…。悔いていたのでしょう。とても深く悲しんでいた。このペンダントはその証ですわ」
「それでも仕事を優先して好きな人を見捨てた冷たい人じゃないか」
「他にまともな皇族がいないのです。父上は優しい人でした。貴族の専横が蔓延るこの国で真に民のことを考えて少しでも国民の生活が良くなるようにと政治を行っておりました。人種間対立の解消も父上の代で大きく進んだのです。立派なことをなさったのですよ」
父さんのことを僕は知らなかった。知らないことだらけのままで僕は皇帝の座を譲られてしまった。僕は何も知らない。何もわからない。だけど。一つだけ知ってしまったことがある。父さんは母さんを愛していたということを。
「ルドゥーテ。母さんが火あぶりになった場所で、父さんの遺体を焼く」
「それは…ええ…それはきっと父上もお喜びになるでしょう。すぐに準備させます」
ルドゥーテは部屋から出ていった。僕と父さんの遺体だけいる。
「父さん。僕は何をすればまだわからないけど、これだけは貰っていくよ」
僕は母さんの写真の納まったロケットペンダントを首にかける。そして宦官たちがやってきて棺ごと父さんの遺体をかつて母さんを火刑に処した場所へと持っていった。薪をくべて油を撒いて、僕が燐寸の火を投げ込む。遺体は棺と共に焼かれていく。僕はそれをルドゥーテと手をつなぎながら灰になるまで見送った。
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