第9話:宿屋

 街へ入るに際して、特に金銭を求められなかったのは嬉しい誤算だった。おかげで今日一晩くらいは宿に泊まれるかもしれない。

 まだ貨幣価値が不明であるため、これは早々に何とかしなければならないだろう。


 であれば、その確認は早い方が良い。


 アニモラと呼ばれていた街へと入った俺は、そのままの足で周囲を見渡しながら歩く。

 空からも見てはいたが、円形状になったこの街は洋館のある中心が高台となっている。いわば、ちょっとした山のような形状になっていた。

 中心に向かって進むと道が坂道のようになった、なんとも不思議な形をした街だ。


「にしても、ちょくちょく視線を感じるのは学ランのせいか? 物珍しいんだろうかねぇ」


 まぁ服装については、今は仕方ない。いつか元の世界に帰るため、売る事こそしなが、この世界用の服を拵えてもいいな。資金に余裕ができたら買いに行くことにしよう。


「お、ちょうどよさそうな店を発見」


 少し歩いた先にあった店に目を付けた。

 女性の店員が店先に立ち、果物らしき物を売っている。野菜かもしれなかったが、声を張り上げて「甘い」やら「果物が」と連呼しているので、それはないだろう。とにかく、少し話を聞くには聞きやすそうなお姉さんに狙いをつける。


 するすると、女性店員にひかれるように歩を進めた。


「あら、いらっしゃ~い。おいしい果物、いかがかしら?」


 とっても甘いわよ、と柔らかい花のような笑みを浮かべながら、人差し指と親指で輪っかを作ってみせるお姉さん。言動と仕草がまるであっていないことに少々ツッコミを入れたいのだが、その前に「あらやだ」と気づいて手を引っ込めてしまった。


「すみません。果物を買うついでに、少々話をお伺いしたいのですが……」


「まいどあり~。じゃあまずは果物を包みましょうか。どれにする?」


「えっと……」


 言われて、店に並べられていたものに目を向ける。

 当然、バナナやリンゴが売っているわけはなく、どれもこれも俺が今まで見たことのないものばかりだ。味も臭いも見当がつかないため、俺は苦笑しながら答えた。


「実は他国から来ておりまして……どれもこれも、見たことないものばかりなんです。良ければ、今が旬の物など教えていただければ……」


「まあ! たしかに、見かけない服装ですものねぇ。それじゃあ、ヴェントベリーなんてどうかしら? この街じゃ有名な果物なんだけど、今がちょ~ど旬でおいしいのよ?」


 一袋いかがかしら? と袋詰めされた小さな薄緑の果実。ブルーベリーかと思ったが、よくよく見ればライチのようにボコボコとしている。


「では、それを一袋お願いします」


「まいどあり~。銅貨一枚よ」


 ヴェントベリーなる果物が入った袋を受け取り、代わりに懐から銀貨を一枚取り出してそれを手渡す。

 するとお姉さんはニコニコと柔和な笑みを浮かべながら、お釣りの銅貨を差し出してきた。


 受け取って数える。

 全部で九枚の銅貨が返ってきたことから、銀貨一枚=銅貨一〇枚と考えてもよさそうだ。


「それで、何を聞きたいのかしら?」


「えっと……しばらくこの街を拠点に活動するつもりなんですが、寝泊まりの出来る宿と、仕事を斡旋してもらえる組合のようなものがあれば、その場所を教えてほしいんです」


「そうねぇ~……もう、このへん! この辺りまで出かかってるんだけど……何だったかしら~」


 そう言いながら、再度指で輪っかを作ってみせるお姉さん。見た目によらず、なかなかやり手らしい。

 わざとらしく、困った困ったと額に手を当てて女優のようにくるくるとその場で回ってみせるお姉さん。そんな彼女に対して、俺は苦笑を浮かべながらお釣りにもらった銅貨を五枚差し出した。


 チラとそれを確認して手を差し出してくるお姉さん。その手に銅貨を乗せた途端に銅貨をジャラと広げて数を数えると、先程の優し気な笑みはどこへやら、商売人らしいニッコニコの笑顔を浮かべて「まいどありぃ~!」と今まで以上の声でピョンと跳ねる。


「宿なら、この道をまっすぐ行って五つ目の角を右に曲がったところがおすすめよ。《風の標》って名前の宿なんだけど、値段の割に部屋は綺麗だから早いうちに部屋を取っておくといいわね。お仕事ならあそこの三つ目の角を左に曲がって、突き当りを右に行けばギルドがあるわ。剣と杖の看板が目印よ」


「おお、ギルド……! はい、ありがとうございます!」


「うふふ、まいどあり~。また買いに来てねぇ~」


 お姉さんにお礼を告げて、早速と宿の方へと向かう。まっすぐ行って五つ目の角を右に曲がり、またまっすぐ進んでいくと、《風の標》と刻まれた看板が目に入った。


「というか、よくよく考えてみれば異世界……なんだよな?」


『キュン?』


 左手の紋章から顔を出したヨモギが首を傾げた。

 考えてみれば、俺はこの世界を異世界であると確信しているのだが、ではなぜその異世界の人たちと会話が成り立っているのだろうか。山賊のおじさんも、先ほどの果物屋のお姉さんも、違和感なくコミュニケーションが取れている。


 当たり前のように話をしていたので、まったく気にすることはなかったが……今こうして、俺の知る既存の文字とは全く別の文字が刻まれた看板を読めてしまったことで何となくわかった。


 おそらく転移でこの世界に来た際に、《翻訳》やら《異世界言語》など、何かしらの補正のようなものがかかっているのだろう。でなければ、こんな訳のわからない字を俺が読めるとは思わない。


「まぁ、言葉が通じなくて途方に暮れるよりは断然良いし……これについては深く考えないようにしておこうか」


『キュキュ』


 そうした方がいい、とヨモギも同意するように頷く中、俺は軽く両頬を叩いてから《風の標》へと入る。ちょうど、数人の武器を携えた者たちが受付をしている最中だった。

 見た感じ、俺と似たような年齢の若者たちだ。そんな彼らが愛想のよい受付のおじいさんから鍵を受け取って階段を上がって行くのを見送り、続く形で俺も受付へ。


 とりあえず、一泊分部屋を借りたいという有無を伝えた。おじさん曰く、一泊するだけなら銅貨五枚とのこと。仕方ないとはいえ、あのお姉さんには払いすぎたかもしれないと若干の後悔を抱きつつも銀貨を一枚手渡した。


「ぬぅ? おお、これはこれは……また今時の若いもんには珍しいものを見たな」


「ん? どうかされましたか?」


 お釣りの銅貨五枚を俺に手渡しながらホホホと小さく笑うおじいさんは、「それだよそれ」と、俺の左手の紋章を指さした。


「ここの宿は、若い冒険者の子がよく利用するんだが、今どきの若い子じゃ魔法使いを見なくなっていたからねぇ。懐かしくて、つい声をかけてしまったよ」


「ああ、なるほど」


 たしか、同じようなことを門番のおじさんにも言われたな。魔法使いだと知った途端に、久々に会った親戚のおじさんかよとツッコみたくなるほどの変わりっぷりだった。


 そう言えば、フォルゲリオの奴が何か言ってたな。融合者とか……そうだ、妖精というのもあった。


「すみません。最近田舎から出てきたので、あまりよく知らないのですが……融合者とか言うんでしたか? あれって何なんでしょうか?」


「知らないのかい? 妖精様を体に取り込んで、力を得た者のことをそう呼ぶんだよ。あんまり大きな声では言えないけど、この街で生まれ育った者としては複雑だよ」


 ひそひそと、声を抑えて話しかけてくる受付のおじいさん。

 なんでもこのアニモラの街を治めているマギカスタ家は、魔法使いとして栄えた名門であり、アニモラはそんなマギカスタの影響を色濃く受けて魔法使いの街として有名になっていたらしい。


 しかし近年になって、魔法使いとなるために契約する妖精を捕獲し、そして妖精と融合することが可能な魔道具が登場したとのこと。融合してしまうと魔法使いにはなれないそうだが、その代わりに魔法すら弾いてしまう強靭な肉体と、人外とも呼べる力を得ることができるようになったんだとか。


 妖精と契約すれば誰でもなれる魔法使いとは異なり、資質が求められる融合者。しかし、魔法使い相手に圧倒的に優位に立てること。そして妖精と知己を得て両者合意の下で結ぶことが可能な契約よりも、捕まえて取り込むだけという手軽さから、今では魔法使いよりも融合者を目指す者が多いらしい。


 資質がなくとも、己を鍛えたものが融合者となったという話もあるから余計に、だ。


「妖精様がかわいそうだ」とため息を吐く受付おじいさんに、俺は「ああ、あれか」と先ほど相手にしたフォルゲリオを思い出していた。

 たしかに簡単な魔法は無意味だったし、あの膂力も相当なものであった。ヨモギがいなければ、俺はあの場で死んでいたに違いない。


(改めてヨモギに感謝して、そして俺たちの勝利を祝おうじゃないか)


(キュ!)


「……ところで、妖精なんですか? 精霊ではなく?」


 脳内でヨモギとエア乾杯する中、俺はまだ聞けていないことについておじいさんに尋ねる。


「んお? 妖精様で合っているよ。なにせ、精霊様はマギカスタの――」


「おー、珍しいな。見ろよお前ら。今時稀に見る、若い魔法使いだぜありゃ」


 おじいさんが答えるよりも前に、ぞろぞろと階段を下りてきた男の一団が俺を見て指さした。

 先ほど、俺よりも前に受付を済ませた若者たちだ。これから何処かへ向かうつもりなのだろうが、どうやら鉢合わせて絡まれてしまったらしい。


「魔法使い? 本当かぁ?」


「そうだって。見ろよ、あの手の模様。妖精と契約した証だぜ?」


「へぇ……爺さんたちの代ならともかく、今魔法使いなんかになってどうすんだ?」


「さあな。気になるなら、聞いてみればいいじゃねぇか」


 ワイワイガヤガヤと、もう少しこちらに遠慮して話せないのかと思う声で俺のことを話す四人の武器を携えた男たち。弓と槍が一人ずつ。剣を持つのが二人で、うち一人は盾持ちだ。


「すまないね。時間を取らせてしまった。これ、部屋の鍵ね。二階に上がって一番手前の部屋を使っておくれ」


「ありがとうございます」


 申し訳ないという顔で鍵を渡してくれたおじいさんに感謝を述べた俺は、そのまま一団を無視して階段へ向かう。


「待てよ」


 だが、どうやらそうさせてはくれないようで、剣を腰に携えた圧のある男が目の前に立ちはだかった。


「……何か用か?」


「何か用、じゃねぇだろ? 聞こえてたんなら教えてくれよ」


「なんで魔法使いになったか、だろ? そんなの、なりたかったからなっただけだよ」


 そう答えると、剣士の男は他のメンバーと顔を見合わせて、そしてこちらを馬鹿にするように笑った。

 ヒヒッ、と目に涙を浮かべた男は、「嘘だろお前」と腹を抱えて笑っている。


「そんなにおかしいことじゃないだろ。なりたいものなんて、人それぞれで変わるんだからな」


「だからって、ククッ……今時魔法使いはねぇだろ! 知ってるか? 魔法使いってのは、俺みたいな融合者には何にもできねぇんだぜ?」


 何がおかしいのか、そう言ってまた笑う剣士の男。

 俺はそんな男に対してため息を吐く。その何にもできない融合者とやらに俺は勝っているのだ。知らないのは当然だが、口に出すならもう少し考えてからにしてもらいたい。


 少なくとも、初対面の相手をいきなりバカにする発言はやめておいた方が賢明だ。


「何もできないなんて、いったい誰が決めたんだ?」


「クヒヒヒッ……あ?」


「少なくとも、いきなりバカにしてくるような礼儀知らず程度は、簡単にひっくりかえせるぞ」


 剣士の男の笑みが、俺の一言で途端に険悪なものへと変わった。

 剣士の周囲で様子を見ていた仲間の男たちは、「あーあ、怒らせた」や「おつかれさまでーす」と俺を煽るような言葉で野次を飛ばす。


「いいぜ。そこまで言うのならやってみろよ。俺が融合者の強さをわからせ――」


「【浮かして崩せ】【浮崩ふうほう】」


「――デェッ!?」


 拳を固めた剣士の男が、その狙いを俺の顔面に定めて一歩を踏み出そうとして瞬間。

 男の足が床に接するよりも前に、魔法で作り出した風の足場を踏ませ、そしてその足場を軽く暴発させる。


 暴発した風は男の足を真上へと勢いよく跳ね上げ、そして真上を向く形で体勢を崩した剣士の男は、跳ね上げられた勢いそのままにガツンッ! と後頭部を打ち付けてしまった。


 短い悲鳴と共に、白目を剥いて仰向けになる剣士の男。

 そんな彼の様子に他の仲間たちはあんぐりと口を開けて俺の方を見ているのだが、俺は彼らを無視して部屋へ向かった。


 ただ特に荷物らしい荷物もないため、お姉さんの言っていた通り値段の割にはいい部屋だったことを確認した俺は、そんまま鍵をおじいさんに預けてヴェントベリーをヨモギと一緒に食べながらギルドへと向かうのだった。


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