第6話 精神疾患
最近の横川は、
「自分に精神疾患があるのではないか?」
と感じていた。
会社に行っても、仕事に集中できない時が多く、何といっても、
「物忘れが激しくなってきた」
のだった。
年齢的にも、そろそろ50歳が近づいてきたということで、
「物忘れの激しさも、しょうがないか?」
と、思うようになってきた。
ただ、この、
「精神疾患」
というものは、
「今に始まったことではないな」
と思うようになっていたのだ。
というのは、
「今までにも何度か、物忘れに関しては、気になったことがあった」
最初に気になったのは、小学生のっ高学年の頃だった。
この時は真剣に、
「俺はどうかしたのではないだろうか?」
と思っていたのだ、
それがどういうことなのかというと、
「いつも、宿題を忘れて、先生に叱られていた」
という記憶があったからだ。
というのは、
「宿題が嫌で、やらなかった」
というわけではなかった。
どちらかというと、
「そっちの方がまだよかった」
といってもいいくらいで、
「宿題が出ていたということを、自分で覚えていなかった」
ということだったのだ。
「確かに、宿題というものを、鬱陶しいと思っていたのも事実だが、だからといって、宿題が出ていたことを、すっかり失念してしまっていたなんて」
というのだ。
それが、一回だけではなく、何回もあった。最後には、全く覚えていないというのだから、どうしようもなかった。
当然まわりの大人たち、
「担任や親たち」
というのは、
「真面目に生きていないからだ」
というレッテルを貼ってくることだろう。
それも分かっていて。正直、自分でも、
「どうして覚えられないんだ」
と思っているくらいだ。
「一番腹が立っているのは、この自分ではないか」
ということなのである。
だから、余計に、当事者の皆が苛立っているのである。親も先生も、
「情けない」
というだけで、その原因を突き止めようとはしない。
完全に、
「真面目にやっていないからだ」
と決めつけている。
確かに、
「覚えていない」
「簡単に忘れる」
というのは、
「そのことから逃げているからだ」
といってもいいだろう、
もし、自分が大人の立場であれば、そうとしか思わないということも分かっている。
それを考えると、
「小学生の高学年ということになると、もうすぐ大人なので、今のままではいけない」
という焦りがあったのも、無理もないことだった。
まだ、
「宿題が嫌で、やらなかった」
という方が、どれだけまだよかったのか?
ということを考えると、
「自分がどうかしていた」
ということであっても、それが一度であれば、まだいいが、こんなにも毎回ということになると、焦りしかなかったのだ。
しかし、これも考えようで、
「宿題を忘れているということが毎回だということは、ある意味、自分の中に、ブレというものがない」
ということであり、
「必ず、その中に何か答えがあるに違いない」
と思えたのだ。
ただし、それは、ある一点にだけ集中していると見えないというもので、それが、
「ブレない」
という気持ちと、
「集中して一点を見つめる」
ということでは違うということを認識できるかどうかであった。
そもそも、
「集中する」
ということと、
「一点を見つめる」
ということも、同じ視点で見るということからして、間違っているのではないかといえる。
「集中する」
ということは、一
「見つめる一点が分かったその後で、そこに対して集中する」
ということで、
「一点を見つめる」
ということは、
「何の根拠もなく、ただ漠然と、その一点を見つめるということで、自分が探しているものを探そう」
という管変え方からきているものであり、
ある意味、
「正反対」
ということである。
だからといって、これも、
「いい悪い」
という問題ではなく。
「順番が問題なのだ」
ということを証明しているということであった。
ただ、生まれる結果は、正反対になることが多い。
「集中する」
ということは、ほぼ、いい方に結果が出るということが多く、逆に、
「一点を見つめる」
ということは、
「視野が狭い」
と言われ、結果が出ないことで、まわりから、
「もっと視野を広げて」
というアドバイスを受けることになるというのは、疑いようのない事実だといっても過言ではないだろう。
集中力というものを高めようと考えるのであれば、ある意味、いい方に展開することが多いのだろうが、
「いつもそうだ」
とは言い切れないだろう。
特に、横川の少年時代においては、
「視野を広げる」
という意識よりも、
「集中しよう」
と思う方が確かに強かったはずなのだ。
ただ、これは、大人になってから思ったことだが、
「段階を踏まえないといけない」
ということがあるということである。
最初に、
「視野を広げる」
という発想から、次第に、
「集中力を高める」
というように、
「発想を転換させることが大切だ」
ということになるのだ。
ただ、
「いつの時点でm切り替えるのか?」
ということを、自分で把握できていないと、五里霧中の中で、答えを見つける前に、自分が、
「迷路でさまよってしまう」
ということになり、
「逃れられない、府のスパイラルに突入してしまう」
ということに気づいたのは、いつの頃だっただろうか?
ただ、小学生の頃、
「宿題が出ていたことすら覚えていない」
ということへの解決策として、
「解決までに、いくつかの段階があり、その優先順位であったり、考えるはずの順番を間違えてはいけない」
ということに気づいたのだ。
もちろん、それは、
「宿題を忘れる」
ということに対しての話であって、他に似たような事例が起こった時も、
「すべて同じ発想でいい」
という根拠はどこにもなかった。
それは分かっていることであり、
「何かがあったら、必ず一度は、その時の自分の発想で、考えてみないといけない」
ということだったのだ。
その思いが、大学生になる頃まで、分かっていて、今度は大学生になってから、また物忘れが激しくなっていたことに気づいたのだ。
「人との約束を忘れてしまう」
ということが多かった。
ただ、これは、厳密にいえば、
「忘れていた」
というわけではなく、
「勘違いをしていた」
ということであり、それは、
「場所を間違えたり、日時が間違っていたり」
ということだったりしたのだ。
こちらは、大学生にもなると、少し自分でも分かっていたように思う。
「物事を真剣に考えられないようになり。約束をしたとしても、それを意識して覚えようとしなかったことで、以前の約束と頭の中で混乱してしまったことで、分からなくなっている」
ということであった。
小学生の頃は、時系列は、
「その時だけ」
ということであったが、大学生の感覚では、
「時系列というものが、大きな影響を持っている」
といってもいいのではないだろうか?
中学、高校時代は、勉強をするということ自体が、
「時系列」
のようなものだった。
同じ時間帯に、毎日同じように勉強しているが、
「昨日よりも今日の方が、間違いなく知識を得ている」
といってもいいだろう。
大人になると、
「毎日が同じではダメだ。昨日よりも今日、先に進んでいなければいけない」
ということを、大人は平気でいう。
子供とすれば、ピンとこないのだから、言われても、意識できるわけもない。
それどころか、
「そんなことをいう大人だって、毎日同じことを繰り返しているではないか」
という思いが深まっているだけであった。
毎日、同じ時間に会社に行って、同じくらいの時間に帰ってくる。父親の世代は、残業というものは、それほどなかった時代であり、
「父親の権力は絶対だ」
と言われるような状況だった。
当然、父親は、
「独裁者」
ということになり、
「テレビのチャンネルの権利も父親が握っている」
ということであり、
「父親が帰ってくるまでは、夕ご飯も食べれない」
というほど、
「家長というのは、えらい」
ということであった。
その変わり、
「家を代表して、働きに行ってくれて、家を支えてくれる」
というまさに、
「大黒柱」
といってもよかったのだ。
今のように、共稼ぎとなってしまうと、
「父親も、家事や育児参加は当たり前で、義務といってもいい」
と言われるような時代だったが、昔であれば、
「男が台所に入るなどありえない」
と言われるほどだったのだ。
それだけ、
「家族における分業制がしっかりしていて。台所は、母親の領域だ」
ということになるのだろう。
ここまで変わってしまったのは、当然、社会の体制が変わったことであろうが、その間に、
「バブルの崩壊」
などという、大事件があったからであろう。
それも、原因は別にして、
「バブルの崩壊」
というものが、世間にもたらした影響として、計り知れないというのは、
「それまで神話と言われてきたことの崩壊」
というのが大きかったのだろう。
特に、
「銀行の破綻」
というのが大きく、それが分かると、想像以上に経済が混乱し、
「政府の助け」
など、あってないようなものだったのだ。
バブルが崩壊してからというもの、それまで、
「神話」
と言われてきたことが、
「ことごとく、あれは、ウソだった」
ということになってきた。
特に、暗線神話のいくつが、崩れていったことだろう。その原因がどこにあるのかを、まともに政府は調査しようとしているのだろうか?
「銀行破綻神話」
に端を発し、それから、少しして、
「大都市を襲った、大震災」
によって、さまざまな
「安全神話」
というものが、まるで、
「張り子のトラ」
だったということが分かったというものだ。
まずは、
「高速道路神話」
であった。
「少々の地震では壊れるはずがない」
と言われていた高速道路が、
「数キロにわたって、横倒しになっている」
というシーンは、あまりにも、強烈な印象だった。
さらに、
「8階建ての病院の、5階部分が完全に潰れて、4階のその下が、6階だった」
というような、まるで、
「達磨崩し」
のような、
「慣性の法則」
というものを見ているようなものであった。
さらに、
「鉄道をまたぐように高架橋のようになった道が、そのまま崩れ落ちて、線路に落っこちている」
というようなシーンもあり、
「これらは、無数にある神話崩壊の一部でしかない」
というほど、たくさんの写真が撮られ、今でも、見た人に、大きなショックを与えることになったのだ。
ただ、何よりも、一番の
「神話の崩壊」
というのは、
「その土地が、以前からほとんど災害に見舞われないところで、
「この辺りは安全だ」
と叫ばれていたことであった。
この土地に大災害が襲ったということは、
「土地の安全神話」
というものが通用しなくなり、
「いつどこで、どのような大災害が起こっても、不思議のないことだ」
ということであったのだ。
その15年後には、
「津波を伴い大災害」
というものがあり、そこにあった原発が、事故を起こし、放射能汚染というものが、現実に起こってしまい、近隣には、誰も立ち入ることができなくなってしまったということがあった。
これも、
「原発安全神話」
というものがあり、それが崩壊した瞬間だった。
詳しいことは別にして、これが、
「人災であった」
ということは、紛れもない事実だったといってもいいだろう。
そのくせ、電力会社や国は、
「絶対に安全だから」
といって、原発を作ったくせに、この人災でも、言い訳をして、なかなか譲らない態度をとることで、裁判にもなったりした。
政府はその対応に失敗したどころか、当時のソーリが、
「逆ギレする」
などという、言語道断の状況を引き起こしたので、
「せっかく、政権交代をして、これから」
という時に、
「一期しかもたなかった」
ということになったのであった。
それが、
「日本を支えていった安全神話」
というものの正体だったのだ。
そんな過去の大災害において、精神疾患の人も増えたことだろう。
「トラウマ」
「PTSD」
などというものが、精神疾患として残ることで、
「双極性障害」
であったり、
「パニック障害」
「自律神経」
や、
「統一性障害」
などという患者が増えてしまったというのも、仕方のないことだろう。
横川も、自分が、
「精神疾患ではないか?」
と感じるようになったのは、
「30歳になる少し前」
くらいであった。
その頃には、まだまだ精神疾患というのは、認知されているわけではなく、
「自分から病院に行く」
ということが、
「どれほど勇気がいることなのか?」
ということであった。
会社に入って、約5年くらいが経って、
「精神疾患」
というものが、自分の中で現実味を帯びてきたのが、上司による、今でいう、
「パワハラ」
だったのだ。
「俺が悪いんだ」
とどうしても思わせる、
「上司のいっていることに一理ある」
と思うと、すべてを自分に抱え込むということになってしまうということが、どれほどの重責か自分でも分かっていなかったのだ。
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