第4話 「生殺与奪」の権利

「生殺与奪の権利」

 という言葉を聞いたことがあるだろうか。

 これは、今の時代であれば、あまり耳にする言葉ではないが、古代文明の時代から、行われてきた、

「奴隷制度」

 と呼ばれるものが、その根底にあるというものである。

 特に古代文明というと、

「絶対的な君主」

 というものがいて、その君主は、国家においての、

「全権力を掌握している」

 といってもいいだろう。

 決定権をすべて、国王や皇帝が保有していて、それにより、前述のような、

「世襲制度」

 というのが、生まれてくることになる。

 日本でも、

「江戸時代のような、徳川幕府」

「室町時代における、足利幕府」

 などがそうである。

 しかも、日本には、

「天皇制」

 と呼ばれるものがあり、すでに、

「2600年以上」

 と言われる、

「皇歴」

 を持っているのである。

 世界にも類を見ない、

「万世一系」

 の皇族は、日本の特徴であり、敗戦時、

「戦争犯罪として裁く」

 ということも考えられたが、いろいろな理由を総合的に考えて、

「皇族の継続」

 ということになったのだ。

 世界的には、古代文明において、

「絶対君主制」

 というものが、世界では主流となっていた。

 奴隷には、

「人権というものがなく、あくまでも、領主のために生きている」

 といってもいい状況であった。

 つまり、

「使い物にならなければ、死んでも構わない」

 という考え方であっただろうか。

 それを、今の人間であれば、

「ありえない」

 あるいは、

「そんなひどい」

 というかも知れないが、

「じゃあ、人間がペットを飼うのはどうなんだ?」

 と言われたとして、

「いやや、可愛がってる」

 というだろうが、その実、裏に潜んでいるものがどういうものなのか、

「誰が分かるというものか?」

 ということである。

「絶対君主」

 というのは、世襲である。

 奴隷政府度がない時代でも、

「国王による専制政治」

 というものはあった。

「朕は国家なり」

 と言った国家もあったくらいで、民主化の波が訪れると、その国においては、

「王政と、民主化を繰り返す」

 ということになるだろう。

 それだけ、

「絶対権力」

 であったり、

「皇帝」

 という言葉には、それだけの魅力があるもので、今までにも、

「民主化になるために英雄となった人が、権力を持つと、皇帝になりたいという願望が働くのは当たり前」

 というものであった。

 たとえば、

「フランス革命」

 の後で出てきた英雄である、

「ナポレオン=ボナパルト」

 しかり、さらには、

「清国」

 を倒し、民主政府としての、中華民国の第一人者である、

「袁世凱」

 という男も、

「皇帝」

 として名乗りを挙げた。

 しかし、実際には、

「欧米列強すべての国から、承認が得られず、結局、半年で、退位する形になったのだが、それだけ、皇帝という地位には、麻薬のような魅力があるということであろう」

 といえるのだった。

 ただ、かつての王朝は、

「前の帝国を潰し、新たな帝国が台頭してくる」

 というだけで、王朝の母体は変わっても、

「帝政」

 であることの変わりはない。

 特に、中国という国は、新たな王朝が出てきても、すぐに、いろいろな原因で衰退していき、

「別の王朝にとって代わられる」

 ということを繰り返している。

 日本でも、中世はそうだっただろう。

「鎌倉幕府は、その体制を築くまでに少し時間が掛かったが、元寇という侵略にあったことで、封建制度の元である、論功行賞ができなかったことが原因で滅亡した」

 といえるだろう。

 敵を撃退しても、相手の国に攻めていって、領土を拡大したわけではないので、褒美にやれる土地があるわけではない。

 しかも、御家人は、

「国家の存亡ということで、褒美を見越してであろうが、全財産を投げうってまで、国防に徹した」

 のであるが、それがまったく報われることなく、国防のせいで、自分が窮地に追いやられるという、一見、

「本末転倒」

 といえる自体に陥った御家人は、たくさんいた。

 そうなると、

「幕府ではダメだ」

 ということで、今度は、

「朝廷による政治」

 に期待し、朝廷軍に味方して、

「鎌倉幕府を滅亡させた」

 のだが、今度は、朝廷が、武士を無視して、公家中心の政治に戻そうとしたものだから、今度は、命を懸けた武士が怒りを感じ、

「新しい幕府」

 に期待をかける。

 ということになったのだ。

 足利幕府は、15代続いたが、その力が幕府として機能したのは、ほぼ、3代までくらいだっただろうか?

 いみじくも、鎌倉幕府における、

「源氏」

 が、3代しか続かなかったというのが、同じというのは、偶然で片付けてもいいのだろうか?

 ただ、これはm

「徳川幕府」

 にも言えることだったであろうか・

 こちらも、最盛期といえば、あとで考えれば、

「3代将軍」

 である、

「家光」

 の時代だったといってもいいだろう。

 家光までに、

「幕府の基礎」

 を築くことはできたが、

「基礎を築いた」

 というだけで、それ以降は、特に、

「財政的に、ずっと問題を抱えることになった」

 といってもいい。

 基礎を築くまでに、やった改革としては、

「それぞれの大名の力をそいで、幕府中心にした」

 ということであった。

 それが、

「諸大名にたいしての、改易」

 であったり、

「一国一城制度」

 であったり、

「武家諸法度」

 によって、大名を締め付け。さらに、

「参勤交代」

「天下普請」

 などによって、諸大名に金を使わせることで、力をそいでいったのだ、

 それで、幕府の体制は確立されたが、決定的だったのが、

「キリスト教撲滅」

 ということを目的として行った、

「鎖国政策」

 によって、ほとんど、貿易ができなかったのが、大きかったであろう。

 諸大名にとっても、大きな痛手であったが、それは、幕府にとっても同じこと。だから、それ以降の江戸時代の歴史というと、学校で習うことというと、

「〇〇の改革」

 などという、

「経済政策」

 ばかりであった。

 特に、

「8代将軍」

 である、

「徳川吉宗」

 から以降の、

「田沼時代」

 から、

「松平定信」

 などの時代においても、経済は一行によくならず、江戸幕府は、常に、

「火の車」

 ということで、諸大名に対しての権威に陰りが差してきた」

 といってもいいだろう。

「棄捐令」

 などが出されたことで、幕府の台所がどれほどひどいのかということは、商人あたりには、大体のことは分かっていたことだろう。

「ペリー来航」

 による、開国以前から、

「幕府に対して、見限っていた」

 という大名も少なくはないだろう。

 失敗はしたが、

「大塩平八郎の乱」

 というのも、その表れの一つだったといえるのではないだろうか?

 江戸時代には、

「士農工商」

 と言われる身分制度があった。

 これは、ある意味、

「うまく作られている」

 といってもいいだろう。

 というのは、

「身分的には、上部にいても、実際の力とは、必ずしも一致した階級」

 というわけではないのだった。

 例えば、

「商人は、士農工商では、身分的には一番下だが、一番上の農民に比べれば、明らかに力は強い」

 ということであった。

 何しろ、商人は、

「武士に金を貸し付けることで、利益を得ることができるのであって、商売によっても、金を得ることができる」

 しかし、農民はというと、幕府とすれば、

「生かさず殺さず」

 ということになり、

 つまりは、

「農民が、利益を得るなどありえない」

 ということであった。

 しかも、取れた穀物を、

「生きていくために必要な最低限のものだけを与えられるだけで、あとはすべて年貢でとられる」

 ということになるのだ。

 それを、

「飢饉などがあった時も同じ状態なので、真っ先に餓死するのは、農民だ」

 というわけである。

 それを考えると、

「農民というのは、まるで、奴隷ではないか」

 ということであるが、身分とすれば、

「武士の次」

 ということになるので、幕府はそれで、プライドを考えたのかも知れないが、

「奴隷扱い」

 というものをするのだから、最初から、

「プライドも何もない」

 といってもいいのかも知れない。

 もし、そのプライドというものを、

「人間だから」

 ということで、農民に求めたのだとすれば、

「あまりにも、人間を甘く見ている」

 ということになるのではないだろうか?

 ハッキリとは言わないが、プライドも何もないくらいに、感覚がマヒしてしまった人間を、

「奴隷」

 といってもいいのではないだろうか?

 だから、

「農民が果たして奴隷といえるのだろうか?」

 と考えると、微妙であった。

 今の民主化の時代からであれば、

「プライドが大切」

 ということになるだろう。

 しかし、当時の支配階級が確立された時代において、奴隷となってしまうと、その感情というものがマヒしてしまっていると考えると、

「江戸幕府における農民は、奴隷だった」

 といってもいいかも知れない。

 ただ、そこに、キリスト教と結びつくことで、

「島原の乱」

 というのが起こったのだとすれば、

 古代文明における。

「モーゼ」

 であったり、

 アメリカ合衆国における、

「リンカーン」

 に、なり切れなかったのが、

「天草四郎だった」

 ということであろう。

 実際に、

「踏み絵」

 を実施したりして、キリスト教を弾圧したことに関しては、賛否両論あるだろうが、

「いい悪い」

 ということを別にすると考えると、

「農民が奴隷であったのかということであれば、やはり、奴隷だった」

 と見るのが、当たり前のことだったに違いない。

 明治維新において、一応の、

「身分制度撤廃」

 ということは行われたが、民主化ほどの平等ということはなかった。

 確かに、撤廃された身分制度ではあったが、

「いきなり、翌日から、一気に変えてしまうことなどできるはずがない」

 今の時代でも、ちょっと新しい法律ができる」

 というだけで、その猶予期間として、半年くらいは、

「新旧混同したかのような状態」

 が世の中に存在する、

 ということは普通にあるだろう。

 身分制度というものが、どれだけ、大きなものであったのかということは、明治政府によって、中間的な位置にしたまま、放置してしまったことで、

「大日本帝国解体」

 と言われる敗戦を迎えるまで、

「華族」

 などという制度が残っていたのであった。

 もちろん、必要なものだったのであろうが、

「身分制度の撤廃」

「自由民権」

 という観点からは、完全に、立ち遅れていたといってもいいだろう。

 だから、日本において、

「徳川時代の負の遺産を引きずらないようにしよう」

 と考えたとしても、実際には、そううまくいくわけではない、

 それが、ある意味、

「大日本帝国」

 という時代の、中途半端なところで、

「限界だった」

 ということになるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「国家体制」

 というのは、必ずひずみがあり、

「諸外国をそのままマネのできるものではない」

 といえることの証明ではないだろうか?

 奴隷制度というと、とにかく、今の時代では、

「まずありえない」

 ということで認識されているので、

「奴隷制度というと、過去の負の遺産」

 という意識が強い。

 確かに、今の時代からすれば、

「自由、平等」

 という両方を虐げているということから、

「許されない」

 といえるだろう。

 しかし、これは逆を考えると、

「自由と平等の両方を手に入れることが不可能だ」

 という、一種の、

「民主主義の限界」

 というものを考えると、

「この二つを満たすことは、土台無理なんだ」

 ということになるであろう。

 何といっても、

「人間は生まれながらに平等だ」

 とよく言われるが、果たしてそうなのだろうか?

 というのは、

「元々、平等ではない世界の、どの親から生まれるか、決まっていないのだから、そうであろう」

 もちろん、誰だって、

「金持ちな家に生まれたい」

 という願望は持っているはずだ。

 しかし、金持ちにだけ生まれたいと本当に思うのだろうか?

「金持ちであるがゆえに、その将来は勝手に決められている」

 といってもいい。

 親の後を継ぐことで、金持ちのまま引き継げたとしても、それを維持させるには、かなりの努力が必要である。

 それを教えてもらうのが、

「帝王学」

 というものであり、英才教育を受けるということになるのだ。

 だから、

「金持ちであるがゆえに、職業の自由はなく、自分が後を継がないと、会社の命運が尽きる」

 ということであれば。社員が路頭に迷うということで、

「本当に金持ちの家に生まれるというのが幸せなのか?」

 ということになる。

 そもそも、

「自由を求めると、平等ではなくなる」

 という考え方は、

「民主主義の限界」

 と言われる、

 自由競争によって、生まれるものは、

「貧富の差」

 であり、それは、副産物というよりも、

「貧富の差」

 が生まれることで、

「自分は勝ち組になるのだ」

 という、成果主義の世の中が、民主主義だということになれば、

「学歴社会」

 であったり、

「受験戦争」

 というものが、生まれるのは、当然の結果だといってもいいのではないだろうか?

 それを思うと、

「自由は決して、平等を生まない」

 ということになるであろう。

 奴隷制度において、

「生殺与奪の権利」

 というものが、

「実際に存在する」

 ということであった。

 宗教的に考えると、民主国家において、

「生殺与奪の権利」

 というものが、誰かに与えられているとすれば、

「裁判というものにおいて、死刑判決を下す」

 ということであろうか?

 ただ、それはあくまでも、

「平時においていえることであり、有事という、戦時体制においては、その限りではない」

 といえるだろう。

 戦争状態にあれば、当然のごとく、

「自分の身が危ない」

 と思えば、

「相手が銃を構えていれば、相手が発射する前に、こっちが発射する」

 というのは、当たり前のことであり、一種の、

「正当防衛」

 といえるだろう。

 平時において、人を殺めたとしても、それが法的には罪にならない」

 ということもある。

 いわゆる、

「違法性の阻却の事由」

 と言われるものであるが、前述の

「正当防衛」

 であったり、

「緊急避難」

 などが、それである。

「緊急避難」

 というのは、例えば、

「巨大な客船が、座礁、あるいは、難破したりした場合に、船が沈む時に、、救命ボートに乗って助かった人がいるとして、その時、定員がちょうどの場合、海に投げ出された人が、助けを求めてボートに泳ぎ着いた場合、相手を助けると、自分たちもろとも、すべての人間が死ぬことになる」

 という場合に、一人が、その助かろうとしてきた人間、あるいは、誰か一人を海に投げ出して、死なせた場合。

「その人を助けると、自分たちたくさんの人が、もろとも死ぬことになるという場合、やむを得ず、一人を犠牲にした場合、その時には、殺人罪は成立しない」

 ということである。

 しかし、だからといって、助かるためには、それなりの要件も必要であろう。

 死んでほしいという人間を、自分で勝手に選んで、

「その人めがけて、あたかも、偶然その人に白羽の矢が立って、殺されなければならなかったのか?」

 ということになるのだとすれば、

「違法性阻却の事由」

 というものを証明するという意味で、

「一定の要件を満たさなければいけない」

 というだけの、条件は、かなりなければいけないということになるだろう。

 これは、状況は違うが、

「生殺与奪の権利」

 という意味で、考えられることとして、

「安楽死」

「尊厳死」

 という問題に絡んでくることになるであろう。

 こちらも、日本では認められてはいないが、外国によっては認められているところもあり、

「そのための要件も、かなり厳しいものだ」

 といってもいいだろう。


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