021
地下世界への入口はカルタゴ北部にある。
領主館のある丘の中腹に穴が設けられており、そこから昇降機で行き来できるのだ。
階段もあるが、急である上に長いので、使う者は少ない。主に機械を嫌う農家をはじめとした者たちくらいだ。
昇降機は二台あり、片方は資材の運搬や大勢の移動に使われている。もう片方は少人数の移動が目的で、カレンは父親と兄と共に、今回それに乗っていた。
「カレン……おまえ……」
「なんということか……」
「し、しし仕方ないだろ! 気を失っちゃうんだから!」
ミナトと同じく、カレンもまた家族に頭を抱えられていた。
二人ともとっくの昔にカレンはミナトに抱かれていて、政治的な価値は失っていると思っていたのだ。
「はあ……傭兵の男も、よくもまあおまえに文句を言わないものだな。契約条項に捩じ込まれていたのだろう?」
「ち、ちょっとずつ訓練はしてるし……! ミナトはちゃんと待ってくれる!」
「我が妹ながら、そこまで覚悟が足りないとは……」
「兄さまだって、まだ許嫁だっていないじゃないか!」
「それとこれとは話が別です。だいたい、私も父上も言っていたでしょうに。嫁ぐつもりで行きなさい、と」
「そ、それはそうだけど……」
「孕んで来いとまでは言いませんが、手くらい出されて帰ってきなさい」
「うう……家族が身内に掛けるセリフとしておかしい……」
襲われて来いと言われてカレンは落ち込んでいるが、この件に関しては父親も兄も散々心配していたことだった。正しくは、その条項を結んだ傭兵によって、彼女が傷付けられていないかという心配だ。
もしも相手の性格が最悪で、不本意な妊娠などしていたなら、と思うと心配で心配で、始めのうちは夜も寝られなかったくらいだ。
まあ呑気に笑顔で帰ってくるようになったので、今となっては気にしていないが。
もちろん、相手の傭兵については吟味した。父親の弟メイサがハンターズギルドのカルタゴ支部長をしているため、甲種一類という最高峰の傭兵の中から選ばれたひとりだ。
職権乱用そのものではあるが、事は身内のことでもあるし、下手をすると治安を惑わす妙な一派が生まれる可能性もあった。必要悪というやつだ。
結論からいうと杞憂だったのだが……それにしても手を出さなさすぎだ。何故あんな条項を付けたのだと言いたくなる。
逆に想像以上に手を出されていないせいで、まるで想定していなかった問題が生まれてしまった。
政治利用の可能性だ。
彼らはカレンを政治利用しようなどとは考えていないが、他者の考えまではわからない。
「今回押しかけてきたゲスーズ家は血だけは良好だ。しかも、やってきたのはカレンと歳の近いサァル殿。可能性として、カレンを欲しがる可能性がある」
「言い様はいくらでもありますからね。改めて天地の血族をひとつに繋げるだのなんだのと。馬鹿らしい」
「そんなしょーもない理由で嫁ぐとか、あたしは嫌だからな」
「安心しろ。そのような理由なら断る」
「あれだけ、私も父上もカレンの夢には反対しましたから。その夢を叶えようと邁進している現在、それを邪魔しようとも思いませんよ」
「ありがとう! 兄さま、父上!」
カレンはほっと息を吐きつつ、礼を言う。
彼女がムーンハンターになると言い出したときは強く批判され、長い期間家族喧嘩が続くことになったが、許された今となっては背中を押してくれている。
反対の姿勢を取っている間は「もっと頭を柔らかくして考えてくれ」と言いたくなるくらい頑なに意見を受け入れてくれない二人だが、その分、一度説得できれば心強い。
為政者側の心持ちなのだろう。駄目なら駄目、けれどもチップを一枚でも賭ける判断をした以上は全力といった感じだ。
裏を返せば、現実的な判断をする二人を説得するということは、それだけカレンの説得内容もまた現実的であり、実現の可能性が高かったことを示している。
実際、カレンは二人を説き伏せてムーンハンターギルドメンバーになって、わずか二年で遺跡型プレデターを二度も発見している。今回の功績も加えれば三件目だ。ハイペースにも程がある。
当然、それには護衛である傭兵の存在が重要なのは間違いなく、カレンは鼻を高くはしない。どれだけの脳みそを誇っていようと、危険地帯でそれが直接的に身を守れるかというと、大して役に立たないのだ。
ミナトが容易に倒しているように見えるだけで、プレデターという存在はどれほど小さな個体であっても、根本的に人類の死神でしかないのである。
間近で見ているカレンは、それをよく知っていた。
◇◆◇◆
「カレンは地下世界に来るのは久しぶりだったかな?」
「そうだ。兄さまは?」
「私は父上の補佐でひと月に一度あるかないか、というところだな。今回のような中層はともかく、深層は私たち相手ですら、当たりが強いからね」
「アレらに関しては割り切った方が早いぞ」
「そんなにひどいのか……」
「一度会ってみればいい――なんてことが冗談でも言えない程度には、関係は酷いものです」
兄のカラナシはカレンとよく似た端整な顔つきを歪め、皮肉げに口端を持ち上げた。
珍しい表情にカレンも驚き、顔を顰める。
「今のトレンドは『旧人類』『新人類』の呼び名みたいですね。別に私が言い出したわけじゃないんですがね、それだけで三十分は罵倒されましたよ」
「この間は細胞汚染だのなんだのと騒いでいたな」
「ああ、そうでしたね」
「…………はあ」
「ふっ」
「ふふ。カレンはあんなのの相手などしなくていいからね。私たちが引き受けます」
「地下世界」とはその単語だけでかなり大きな意味を複数抱えている。
言語学者は内包されている意味のひとつひとつに新たな単語を当て嵌めることで誤謬を防ぐことを提唱しているが、実際に従っている者は非常に少ない。
それだけ長く、長い、幾星霜とも呼べる年月を生き延びた単語なのだ。
はじまりをいえば、大型のシェルターだ。
資料や研究によれば、世界崩壊前のアースの環境は相当に歪んでいたようで、どの家庭であっても地下に一定以上の大きさのシェルターを抱えていた。
さらに一部では他のシェルターなどと繋がり、その段階でちょっとした地下世界を作り上げていた形跡が残っている。
これが発端。
世界崩壊後は、大型シェルターで放置されていた重機などを用いて、別の大型シェルターと連結。
人手と資材を増やし、人々はしぶとく生き延びていく。
横方向だけでなく、縦方向、すなわちさらに地下にも穴を拡げる。
いつからか、かつて地上で暮らしていたときと同じような感覚なのだろうか、どこからか「地下であればあるほどに
人間とは他者と自身との区別を付けたがる生き物だ。
そしてその隔てに上位者と下位者という概念を取り入れたがる。
そこに確かな理由や根拠がなくとも、当人たちがそうだと思えばそうなるもので。
自身が上位者足らんとする者たちはより地下深くへ住みたがり、気にしない者はより横の繋がりを欲した。
さらに時代が下るようになると、地表を被うかのような特殊な放射線に被曝しても無害化する細胞を持った者たちが生まれ出した。
明確な差異が生まれ、彼らは新人類と呼称されることになる。必然的に、その強力な細胞を持たない者たちは旧人類と呼ばれるようになった。
新人類に対する旧人類の反応は様々だった。
積極的に取り入れようとする者、批判的な者、敵対的な者、変わらない者、協力的な者、利用しようとする者などなど。
積極的に取り入れようとした一部の王家は自らの血に、その強力な遺伝子を取り込んだ。
ある意味で、それが地下深くで生活していた旧人類の代表たちとの致命的な捻れを生んでしまった。
◇◆◇◆
昇降機の振動と駆動音に混じり、別の音が混ざり始めた。
だんだんと、その音は大きくなっていく。
「そろそろかな」
「カレン、身嗜みを整えなさい」
「たしなみもクソもあるかな、この服」
「言い方」
カラナシは眉を顰めた。順調に傭兵に毒されている妹の姿に、かつての幼き日々が重なって視界がぼやけそうになる。こうして可愛い妹は大人の女性へ羽化していくのかもしれない。
いや、羽化できなかったのが現在の問題となっているのだが。
カラナシと父であるクチナシは、今となってはカルタゴの民族服あるいは伝統服と呼んでもいい風合いの恰好だ。
当然、生地は良い物を使っているし、シルエットも美しく仕立てられているものの、全体としての印象は街行く人々と同じである。すなわち、ゆったりしていて内部に空気を蓄えやすい構造だ。
一応、上からベージュのロングカーディガンを羽織っており、肌寒さはない。
カレンは屋敷に帰ってからいつものように即行で風呂へ行き、さっぱりした後で今回の騒動関連の話を聞いて今に至る。そのため、着ている服は屋敷に置いていた普段着で、とてもシンプルなものだ。
フリルの少ない白のブラウスに濃い青色のハイウエストのフレアスカート。
強いていえば、腰に巻いた剣帯と鞘に納められた魔剣が特徴的だろうか。「自衛用」の一言で装備を許されているのは過保護なのか、それともカレンだからと諦められているのか。
整える部分といえば、ブラウスのシワが表に出ないようしっかりスカートの内に仕舞い込むくらいだろうか。
カレンの本音をいえば、探索で常時着ていることもあってツナギやオーバーオールが楽なのだが、使用人に目を剥かれてしまったので自重中である。
瞬間、途切れる音。
突如、光が咲き乱れる。
重なる音、匂い、風。
世界が変わる。
「っふ! 相変わらず、この瞬間だけは好きだな」
「テンション高くなりますよね、カレンはいつも」
「ワシとしては気が重くなるだけだがな……」
「安心してください、父上。私もです」
「どこに安心できる要素があるのだ……」
現在の新人類の中では地表で生まれ育ち、一生地下世界のことを知らないまま死んでいく者も少なくない。
同じ街に昇降機が存在していて、別に高くもない通行税を支払えば自由に行き来することが許されているのだが、それでも関係性は希薄だった。
そのため、地上では地下世界のことを「暗くて湿気っていて陰気」な印象を抱いている者が多い。
とんでもない、とカレンは思う。
地下世界とはかつての世界崩壊前の流れを汲む生活空間だ。
正しくひとつの「世界」であり、地上では寸断されている街や村であっても、地下では繋がりがあるのだ。
昇降機前面の壁だった場所が透明な強化ガラスに変わり、カルタゴの地下世界全景を一望できるようになると、圧巻だった。
地上ではプレデターに襲われるために到底建築できないであろう高層ビルによる尖塔があちこちに乱立しており、そこらは赤い警告灯が常時灯されている。
ビルの壁面には大型のスクリーンが掛けられ、最近発売するスキンケア商品のCMが流れていた。
完全制御された空調によって、地下世界は日によってまちまちではあるが、常に緩やかな風が吹いている。
たまにストレスに感じる程度に風の強い日を用意するのがスパイスなのだとカレンは聞いたことがあった。
『ぬああ……! 放射線が薄い! ここは純プレデターの私にはキツイ空間だな!』
「っ⁉」
突如として手の内側に魔剣の触手が伸びてきて、カレンに意思を伝えてくる。驚くが、これは触手を介してシードが伝えてきたもの。声を上げないように懸命に堪えた。
『返事はしなくてもいい。……いや、小指と人差し指にリング状にして被せておこう。小指側を意図して動かしたらイエス、人差し指だとノーだ。理解できたかい?』
カレンは小指を動かす。手首を返しておけば、指の一本程度は妙な動きをしていても隠せる。
『よし。これで限定的ながら意思疎通が取れそうだ。とりあえず、時々意識して柄頭などに触れてもらえるかい? 君たち風にいえば、ここは私にとって空気のない場所なのだよ。カレン嬢が触ってくれれば、そこから供給される』
イエスと返すが、放射線が薄いとか、ラージ供給だとか、カレンにはよくわからない話だ。まあ問題はない。
それにシードとミナトいわく、カレンはアビリティ保有数及び獲得率とラージの総量に関しては想像を超えるほどなのだという。女性だから使えないだけで。
カレン当人にとっては完全に役に立たないお荷物ではあるのだが、それがシードやミナトを助けることに繋がるのであれば、そこに否やはない。
(……ミナトへの供給は、その、大変だけど……)
思い出すと、頬が熱くなる。
ミナトがプレデターと戦った後はカレンからラージを補給するのだが、その手段が粘膜接触だ。
シモの相手ができない以上、カレンとミナトとの粘膜接触というと、舌を絡めたキス以外にない。
しかし、カレンは違和感も感じていた。
ただ唇のキスまでであれば、実はそこまで問題ない。せいぜいがちょっと恥ずかしいくらいだ。それくらい、普段護衛を任せているミナトが相手であれば契約の内容もあるし、抵抗なくできる。
だというのに、舌を絡めると、おかしくなる。
心臓の動悸が激しくなり、ビリビリと強い電流のような刺激が肌を焼き、麻薬のような甘さが広がった後で陶酔感が脳から湧き出てしまうのだ。そして涙が零れるのを止めることができなくなる。
そうして立っていられなくなり、目を回してしまう。
絶対に、おかしい。
相談できる相手などほぼいないが、おかしいとカレンは思っている。
さすがに人間みんなディープキスをすればああなるとは、カレンにも思えない。
シードなら真面目に答えてくれるかもしれないが、ちょっと相談するには恥ずかしい内容過ぎて踏み込めない。
これでもしも「いや、それはカレン嬢が淫乱なだけでは?」などと言われようものなら、これからどんな顔で生きていけばいいのか。
(ま、まあ……! 嫌なわけでは、ないし)
幸い、ミナトは目を回すカレンに迷惑している感じでもない。そう思えば直截に言うだろう性格をしているので、間違いないだろう。
それに、カレンもミナトに申し訳なく思っているのだ。覚悟の上で契約したというのに、まったくそれに応えられていないのだから。
そういう意味ではひょっとすると、キスで目を回さないよう訓練できれば、ミナトのアレを見ても意識を保てるようになるかもしれない。
そうすれば、契約を全うできるし、彼の憂いを払ってやることもできるだろう。
(それにあたしもしてみた――って、違くって!)
気の乗らないタイミングでのセクハラは鬱陶しいだけだが、ミナトにセクハラされること自体は然程気にしていない。契約云々もあるし、感情的な面でも。
自分が女として求められているというのは、存外、悪くないものだ。
ムーンハンターギルドで白眼視されているだけに、承認欲求が満たされるからだろうか。
ともあれ、これだけ共に行動し、身を守ってくれて、時折味見程度には手を出されている相手だ。
性格的に「ああ駄目だコイツ」というわけでもない。
カレンもカレンで自覚的に、ミナトを受け入れていた。
だから、自分としても、そういう行為に興味はある。
カレンとて、健康な年頃の女性なのである。
男に性欲があるというなら、女にだってあるのは当然な話だった。
『カレン嬢、大丈夫か? 急に俯いてしまっているが。たぶん、そろそろ君の父君と兄君が違和感を覚えると思うぞ』
(――っ)
シードの忠告もあり、多少訝しがられることはあったが、うまくとりなしてカレンたちは昇降機から降りるのだった。
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