第40話 小さな巨人計画38


 前頭葉から頭頂部にかけては比較的水平であるため、大規模な戦闘が繰り広げられていた。

 戦車の砲撃により第三勢力圏所属の巨人は背中を焼き削がれ、細胞管はつながっていられずにずり落ちた。

 そんな巨人をめがけて、攻撃が苛烈になった。


「私たちがこの戦場を突破して、カテーテルのある施設にたどり着ける未来って、あるのかしら?」


「今は不可能かもしれない。ただ、来るべき時を待つしかない。そうやって勝利を引き寄せる」


 激化する戦場で命を落としていく巨人の子どもたちを見殺しにすることは、自分の存在意義を疑うものがあった。

 体が動き出そうとするのを、楠瀬に何度も止められた。

 彼女が冷酷だとは思わない。ここで戦いを止めようとして命を落としてしまっては、何も成し遂げられず死ぬのと同義だ。


 宇宙巨人に太陽が遮られて、大きな影が海底巨人を覆った。

 それには、だれもが上を見上げた。

 両連合の前線部隊は海底巨人を生かすことに、身命を賭すほどの強い覚悟がなかった。背中を見せて影の外へと逃げ出した。

 それを第三勢力圏の部隊も追うことはせず、ちりぢりになって逃げた。

 それは、二人にとって絶好の好機だった。


「行こう」


 飛び出した佐久夜を、楠瀬も追った。

 迫りくる宇宙巨人には、航空機も敵わず退避していた。

 二人は、ただ全速力で走った。だれかが逃げながら撃った銃弾に当たっても、構わず進んだ。


 大穴のふちは見えてくるが、それを囲う施設はなかった。

 二人は四つん這いになって、積み重なった施設の瓦礫を登った。

 頂上は大穴を一望できるほどの高さがあり、底をのぞき込んだ。


 底に光は届かず、底の見えない暗闇にいざなわれてしまいそうだった。

 海底巨人と接続されたカテーテルが何本もむき出しで大穴から出ていた。しかし海底巨人が少し動くだけでも、カテーテルは大穴に吸い込まれていった。


「どうやって宇宙巨人にカテーテルを突き刺して、連れていくつもりなの? 私たちでは、届かない」


「海底巨人が宇宙巨人を受け止めるには左手も必要だ。左手を上げるなら、必ず顔の近くを手が通過する。そこに二人で海底巨人と接続されたカテーテルを持って飛び移る」


「いい案ね。でも、飛び移るのは一人で十分。私は海底巨人の本能になって、確実に左手を上げさせる。きっと海底巨人も佐久夜と同じ気持ちで、すべての子どもたちを連れていきたいからここにいるのよ」


 楠瀬は瓦礫に埋まっていたカテーテルを手にした。


「ダメだ」佐久夜は楠瀬の手を止めた。「俺は、まだ二人でいたい」


「私たちは、二人のままでいたいだなんて思ってはいけないの。巨人の子どもたちを、自由にしたいんでしょう?」


「一人だと、怖いんだ。俺たちがしようとしていることは、だれかの命令ではない。正しいことなのかもわからない。少なくとも折紙栞と折紙葵は、こんなことを求めていなかった。二人は、二人でいることを望んでいた。巨人の子どもたちも、ほとんどが今のままでいたいと考えているのかもしれない」


「私が、本能になることを求めているよ。私のために、ここからは一人で進むの」


 佐久夜は、引き止めていた手を離した。


「また、会えるよな?」


「あたりまえでしょう」


「わかった。必ず、成し遂げてみせるから」


「よろしくね」


 楠瀬は下腹部に、躊躇なく槍のような針が内部に仕込まれたカテーテルを突き刺した。

 佐久夜は崩れ落ちる楠瀬の体を支えて、ゆっくりと寝かせた。


「行ってくるよ」佐久夜は言った。


「待ってるからね」


 かすかに聞こえた楠瀬の声が、心地よかった。


 佐久夜は宇宙巨人の影がより濃くなった海底巨人に、ただ一人、立っていた。

 槍のような針が仕込まれたカテーテルを手にして、海底巨人が動くのを待った。

 宇宙巨人を受け止めることが、本当に可能なのかもわからない。

 考える時間が生まれると、どうしても弱気になってしまう。


 戦場が静寂になったわずかな隙に、海洋国家連合本部からもロケットが打ち上げられた。

 小さな巨人計画が希望ではなくなり、多くのロケットが飛び立っていく。

 ここまで見捨てられるのなら、むしろ気持ちが楽になるものだ。


 海面が前頭葉からでも見上げるほど高く盛り上がり、そこを破いて海底巨人の左手が出現した。

 水しぶきが頭から降り注ぐ。

 行ってくるよ。すべてを成し遂げるために。

 佐久夜は助走をつけて左手の親指に飛び乗った。ゆっくりと手のひらが天を仰ぎ、そこに立った。

 もう、何も怖いことなんかない。


「司令部からも、佐久夜が海底巨人の左手に乗ったことをカメラで確認した。楠瀬の勇気には、多くの称賛が送られている」


 父さんは言った。

 まだ、そんなにも多くの人が俺たちを見届けてくれている。

 佐久夜の体に力が入った。


「行きなさい。私たちのためではなく、自らのために」


 母さんは言った。


 海底巨人が腕を広げて受け止めようとしてくれている。宇宙巨人から見える海底巨人は、とても頼もしく、慈愛に満ち足りていることだろう。

 左腕の上昇は止まらず、細胞管が限界まで伸びてちぎれた。

 宇宙巨人が大きく目を見開いて、こちらを見ていた。

 今から、迎えに行くよ。


 カテーテルを引っ張ると、どうも感触がなかった。それが抜けているからだとは、すぐに理解した。

 今から下に戻ることはできない。大穴の浅い部分に刺し直したとしても、宇宙巨人まではカテーテルの長さが足りないのかもしれない。

 それでも今は、これを宇宙巨人に突き刺すしかない。

 目になんか刺したら、怖いよな。


 大きく深呼吸をしてから、助走をつけた。足から着地することなんか考えず、ミサイルで陥没して焼きただれた傷をめがけて大きな手のひらを飛んだ。

 宇宙巨人の傷から流れる血液が頭上に降り注ぐ。佐久夜はそれに向かってカテーテルを投げた。血液を弾き飛ばして道を示したそれは、傷口に突き刺さった。


 宇宙巨人に飛び移るだけの推進力をカテーテルに伝えた佐久夜は落下するが、垂れ下がったカテーテルを掴み腕の力だけで陥没した顔面まで登った。


 全身を宇宙巨人の血で赤く染めた佐久夜はむき出しになった骨を足場にして、カテーテルをより深く突き刺した。


 落下する宇宙巨人と海底巨人の距離が縮まると、影は闇へと変化して自分も宇宙巨人と海底巨人に挟まれ押しつぶされてしまうのではないかという圧迫感に襲われた。

 海底巨人の腕が闇の中から一瞬だけ見えると、衝突は唐突に発生した。

 その衝突は大気を大きく振動させて、海面をも揺らした。

 佐久夜の体は、大きな揺れと圧縮された重い空気の強い衝撃波を受けて手をついた。

 海底巨人の腕は宇宙巨人を支えきれずに、みしみしと音を立てて下がった。

 佐久夜が立つ宇宙巨人の傷は、海底巨人の前頭葉にあいた大穴と一直線上にあった。

 これで、最後だから。海底巨人も宇宙巨人を連れてきてほしいから、ここにいるんだよな。

 佐久夜は垂れ下がるカテーテルを、すべて引き上げた。

 肩にカテーテルを数周だけ巻きつけ、切っ先を海底巨人の前頭葉に向けた。

 楠瀬のところまで、絶対に送り届けるから。


 一直線上の大穴をめがけて、勢いよく飛び降りた。

 風を切り、滴る血液よりも高速に落下する。

 空中でカテーテルが伸びきるが、その勢いのまま肩に食い込ませて血が滲むほどの力で引っ張った。

 痛みで力が抜けそうになる。歯を食いしばって痛みに耐えて、痛ければ痛いほど強くカテーテルを握った。

 海底巨人の手で支えられていた宇宙巨人が沈み込んで、カテーテルが海底巨人の体表に深く突き刺さる。

 上半身から海底巨人に突っ込んだ佐久夜は、受け身も取れずに全身を打ちつけた。

 強烈な痛みが走り、立つこともままならなかった。

 細胞管はちぎれており、細胞供給も受けられない。出血も多く、胎児を成長させられるほどの体力は残されていなかった。

 このままでは、楠瀬と同じ場所にもいけない。でも、彼女の細胞管を借りれば俺もカテーテルを使用した海底巨人への細胞供給が可能になるはずだ。

 すぐに、行けるから。

 這いつくばり、楠瀬のもとを目指す。

 骨が突き出て力が入らない左腕は、流れる血で道筋を書き残した。


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