第27話 小さな巨人計画25


 佐久夜はリビングのソファで目を覚ました。ヨツバの部屋を使う気持ちにはなれない。いつか、あの部屋はヨツバを知っているミツキに返したい。いつしか、そう思っていた。

 ミツキの洗濯物が積み重ねられたダイニングテーブルの椅子に、楠瀬は座っていた。


「おはよう。どうして昨日は帰ってきてくれなかったの? 何かあった?」


「いいや、父さんとは会えてよかったと思っている。ただ一人になりたかった。安心させるって約束したのに、帰れなくてごめん」


「後悔がなかったのなら、それでいいの。でも、心配させないでよ……。佐久夜がどこかに行ってしまうようで、ずっと不安だった。帰ってきてくれるんだよね?」


 楠瀬の不安げな顔に、俺の心は痛んだ。


「もちろんだよ。たとえ、これからどうなろうとも、楠瀬から離れない」


「よかった――もう、いっしょに行ってくれないのかと思っていた」楠瀬は笑みを浮かべた。「今日がヘリコプターで長野基地に出発する日だよ。そこでは訓練の見学や懇親会が催され、明日に軍の専用機で海洋国家連合の本部へ向かう予定になっている。『巨人文書』は持った?」


「心配させて、ごめん。もちろん持ったよ。何か食べる?」


 念のため、アタッシュケースを開けて確認した。『巨人文書』は、すぐ見える場所にあった。


「食べてきたから、大丈夫。私が閉めておくから、何か食べてきたら? 本当に忘れ物がないのかも確認してあげる」


「ありがとう、そうするよ」


 冷蔵庫には、ほとんど食品が入っていなかった。

 数枚の食パンを袋から取り出して、残りは冷凍庫にしまった。

 食パンに溶かしたバターを染み込ませて、フライパンで両面に焼き目をつけたら真っ白なお皿に盛りつけダイニングテーブルまで運んだ。

 すでにアタッシュケースは綺麗に閉じられていた。


「ありがとう。一つ手間が省けたよ」


「いいのよ。おいしそうね」


「食べる?」


「半分ちょうだい」


 楠瀬はパンを手でちぎった。

 おいしそうに食べる姿が、食事の楽しさを思い出させてくれた。


 部屋の明かりをすべて消すと、玄関から見える室内は寂しく感じた。もしもミツキのように送り出してくれる存在がいてくれれば、家も明るく送り出してくれたのに。


 エレベーターで一階まで上がった。

 基地併設病院のエントランスから出た二人を、強い日差しとまばゆいカメラのフラッシュが出迎えた。

 近くの巨大駐車場からは順次にヘリコプターが飛び立ち、轟音が頭上を通り過ぎた。


「まるで私たちは有名人ね」


「これから、本格的な小さな巨人計画が実行に移される。このまま世間の注目を集め続けられる成果を上げ続けなければならない」


 フラッシュの中から、「裏切り者に弁解はありますか?」という鋭い質問が飛び出した。

 佐久夜は今までの成果で、許されているのだと錯覚していた。

 こんなことだから、まだ来栖が帰ってこられなくなっているんだ。情けない。

 佐久夜は一歩、前に出た。


「私は裏切りの過去がある。しかし、祖国を裏切ったのではない。母の期待を裏切ってしまったのだ」


「あなたと母親は国民から国賊だと認識されていることについて、どう思われていますか?」


 その声はより大きくなり、聴衆も罵倒に加わった。


「小さな巨人計画は、その母が考案したものであります。母は最後まで国民のことを考えていました」


「もう、行きましょう」


 佐久夜は楠瀬に腕を掴まれ、ロータリーに停車していた車に乗り込んだ。


「すまない。でも、来栖のために否定しなければならなかった」


「わかってる。もしも小さな巨人計画を成功させられたら、私たちは英雄として語り継がれるほどの成果を得られる。そうすれば来栖も帰ってこられる。でもあなたの印象が悪くなってしまったら、だれも称賛してくれなくなるのよ。来栖のためを思うなら、あんなことはしないで」


「本当にすまない」


 楠瀬の力強く握っていた手が、やっと腕から離れた。


「うん。もう、あんな無茶はしないでね」


 本当は、ここを出る前に決意を表明するため母と会っておきたかった。でも、今は楠瀬がいてくれる。心に成功の誓いを立てるだけでがんばれた。

 母さん、行ってくるよ。


 駐車場には何機ものヘリコプターが並んでいた。そこには軍の関係者しかおらず、速やかに車を降りるとヘリコプターに乗り込んだ。

 目的の長野基地は内陸にあり、そこまでは一時間ほどで着く予定だ。ヘリコプターはゆっくり離陸した。


「まだ、俺たちが作る未来を信じてくれている人もいる。だから小さな巨人計画は決行されている。失敗できない」


「そうよね。私たちに失敗は許されない」


 その声は重苦しかった。楠瀬に、いらぬ緊張感を与えてしまったかと思ったが、それくらい自らが緊張感を持たねばならないと考えを改めた。


 上空からでも海底巨人が見えない内陸部の山々は切り崩され、平らになった地形の上には巨大な都市が発展していた。

 そこから切り離され断崖絶壁の山々に囲まれた場所に、目的の長野基地はあった。

 目を引く長い滑走路には何機もの飛行機が着陸していた。その中には、全長が七十メートルを超える巨大な輸送機の姿もあった。


 ヘリコプターは滑走路に着陸した。

 降りた佐久夜と楠瀬を、燕尾服を着た軍人が列をなし敬礼で迎えた。


「お疲れ様です。宮・クレイトシス司令から案内の任務を承った荒井川あらいかわ二等陸佐です」


 燕尾服を着た長身痩躯の彼は、まだ青年の面影を残していた。


「こんな歓迎を受けるとは思ってもいませんでした。ありがとうございます」


 佐久夜は手を差し出して言った。


「私も驚いています」


 佐久夜、楠瀬は荒井川と握手を交わして、敬礼した軍人が作る道を歩いた。


「これから射撃訓練の見学が予定されています。今日は長野基地に来ている全員が成績を競い合っているんです」


 三人は、そのまま正面にある建物に入った。

 地下にあるコンクリートの壁で囲まれた射撃場は耳をつんざくような銃声がやむことなく続いていた。


「お二人も訓練に参加いたしませんか? 成績優秀者は今夜の懇親会で表彰される予定になっています」


「私は十年のブランクがありますので……」


 佐久夜は遠慮気味に言った。


「本当の訓練だと思って、参加しておくべきよ。私も参加するから」


「そうだね」佐久夜は荒井川二等陸佐に向き直った。「自分の成績を知ることは怖いですが、がんばります」


「現在の一位は両桐りょうぎり二曹兼融合双生児支援協会会員です。お二人もがんばってください」


 射撃レーンにはゲートを通って行かなくてはならず、そのゲートで自動的に射手の確認と何時に何レーンで訓練したのかが記録された。

 五十メートル先のダミー人形は、前に立つと想像以上に小さく遠く感じた。

 昔に参加した野球のピッチングでも、キャッチャーがすごく小さく遠く感じて、ストライクを入れることが困難だった。

 佐久夜はライフル銃を構えた。


 一発目は慎重に頭を狙って撃ったがはずれ、二発目、三発目と続けて撃つがまたはずしてしまう。肩の力が抜けた四発目でかろうじて肩に当たった。


 そんな俺の成績は語らずとも想像に難くなかった。

 すでに射撃を終えていた楠瀬は、ゲートの前で待っていた。


「どうだったの?」


「散々だよ。楠瀬は?」


「私はキャリアもあってこの体だし、ブランクもなかったから。そこらの軍人には負けられないのよ」


「見事、暫定同率一位です。優秀者の弾痕が刻まれたダミー人形は懇親会で展示される予定です」


「おめでとう」


「ありがとう。佐久夜もお疲れ様。私と同じ成績の両桐二曹も素晴らしい腕前ね」


「彼は元融合双生児の軍人なんです。今夜の懇親会には彼が尽力して招待した融合双生児の子どもたちも参加されますから、元融合双生児として負けられないとおっしゃっていました」


 佐久夜はマンションで融合双生児を見殺しにしてしまったことを思い出していた。

 戦争は人間を残虐にする。その手を汚さなくても、大きな傷を心に残した。


「そうなのね。本当に立派な成績だわ。私も同じ軍人として、となりに並べたことを誇りに思います」


「招待された融合双生児の子どもたちには、彼くらいしか顔見知りがいないと思います。積極的に話しかけてあげてください」


「そうね。私たちも気にかけておくわね」


「ありがとうございます。これからご宿泊されるお部屋まで案内させていただきます。こちらです、どうぞ」


 二人は荒井川さんに連れられて基地を出た。


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