第20話 小さな巨人計画18


 ミツキが口を開くよりも前に、到着した楠瀬をリビングに招き入れた。

 テーブルを挟んでミツキと向き合った楠瀬は椅子に座り、改めて名簿のことを尋ねた。


「だれの指示で名簿を盗もうとしたのか、私に教えなさい」


 楠瀬は腕と足を組み、もう取りつく島はなく釈明の余地もないといった厳しい表情をミツキにぶつけていた。



「名簿はすでに破棄した。それしか言うことはない」

「いいや、まだリビングは綺麗でおにぎりも立ったままだ。隠蔽も終わっていない」


佐久夜はおにぎりが置かれた皿をミツキの前に置いた。「名簿を破棄するにしても、依頼されて実行したのなら安易にできることではない。隠し持っている可能性が高い」


 ミツキは鼻で笑った。「一つ、忠告する。あの名簿は見ないほうがいい。隠されるものには、隠されるべき理由があると思わないか?」


「俺は、ただ秘密を詮索したいわけではない。必要な情報だと思ったからそれを欲したにすぎない」


「この秘密の真実は、きっときみたちを後悔させる。名簿を目にしたら、目を覆い隠し返してくることになる。俺は佐久夜が嫌いでこんなことをしているんじゃない。罰を受けて仕方なく盗みに加担しているのでもない。俺の良心がこうさせたんだ」


 どうしても良心が他人のものを盗ませるとは信じられなかった。


「持ち主の楠瀬は、幾度となくそれを見てきた。それなのに後悔はない。同じ立場にいた俺も後悔しない」


「わかった――」


 ミツキはズボンの裾をまくり、靴下から小さく折りたたまれた名簿を取り出してテーブルに広げた。

 佐久夜は書かれている名前を、テーブルから身を乗り出して上からのぞき込んだ。


 零川妙義(れいかわみょうぎ)

 高宮四葉(たかみやよつば)

 井伊崎盛(いいさきもり)

 飯塚奏乃歌(いいづかそのか)

 青川家鶴(あおかわいえつる)

 幸屋三月(ゆきやみつき)

 緋衣(ひごろも)まほ


 佐久夜は、その名前たちを懐かしいと思わなかった。この感覚は思い出がないとかではない。つい最近、この名前たちを目撃した気がした。

 ――そうだ。


「俺は、この名前たちを知っている。ここの郵便受けで見た名前と、少なくとも五人は一致している。そして四葉という名前。昨晩にミツキが――三月……。三月という名前の人物も、ここにいる。楠瀬の知っている幸屋三月という人物は、ここにいるミツキとは別人、なんだろ……?」


「もちろん、そうよ。佐久夜は四葉を知っているようだけど、交流があったの?」


「いいや。昨晩にミツキが用意してくれていたケーキのプレートに、カタカナでヨツバと書かれていたんだ。ミツキは、なぜヨツバが来ると錯覚していたのか教えてほしい。こんなときだから言うわけではないが、俺は嬉しかったんだ。十年ぶりに目覚めて、本当に心から歓迎してくれたのはミツキだけのような気持ちだった」


 楠瀬は俺の信頼を得ようとしてくれていた。でも、どこかでそれは作戦のためだという考えを払拭できなかった。

 ミツキは一つ大きく息を吐いた。そして、うつむいて笑みを浮かべた。


「巨人の子どもたちは、名前を世襲している。佐久夜が来る前に同居していたのがヨツバだった。そして俺にミツキという名前をくれたヨツバの元同居相手も、ミツキだった。だから新しい入居者が来ると聞いて、ヨツバと書かれたプレートのケーキを用意したんだ」


 世襲は、何よりも世襲された来栖を見せられていたのではないかという危機感を抱かせた。


「楠瀬に確認したいことがある。数日前に来栖が搭乗しているという巨人を見せてもらったが、あれに来栖が搭乗していると、どのように確認を取ったのか教えてほしい」


「それは、搭乗者予定欄に来栖の名前があったからよ。でも、ごめんなさい」楠瀬は手で口元を押さえた。「その文字はカタカナだったの」


 来栖は世襲されていた。クルスは来栖ではなかった。どうしてそれを宮・クレイトシス司令は教えてくれなかったんだ。

 問いただしたいという気持ちが抑えられなかった。

 佐久夜は名簿をミツキに渡した。


「これを持って、依頼主に届けるといい。名簿の内容は十年前から知っていたことにする。俺に貸してくれた部屋は、ミツキに名前を与えたヨツバの部屋だったのか?」


「そうだ……。俺は、自分の正当性を理解してもらうため名簿を見せてしまった。今はそれを後悔している」


 ミツキは名簿を受け取り、リビングを出た。

 名前を世襲されていた第一分隊の搭乗者は、ほとんどが除隊している。それが不自然に姿をくらましているとしか思えなくなっていた。

 天海さんに所在を尋ねるべきではないと、恐怖を感じる心が告げていた。


「ごめんなさい。私が気づけていれば、こんな思いをさせなかったのに」


「いいんだ。真実を追い求めると決めたのは俺だ。佐久夜も楠瀬もカタカナではない。まだ巨人の子どもたちではないはずだ」


 でも、それはカタカナの存在が生まれた、母がなりそこないの巨人になってからの事実というだけであった。


 ミツキは名簿を持ち出ていってから、帰ってこなかった。

 俺に合わせる顔がないのかもしれないが、軍人として命令を遵守するのは当然のことだ。楠瀬を責めるわけではないが、命令に逆らい裏切るよりも、命令に従い敵になることのほうが尊いと思う。


 その夜、佐久夜はヨツバのベッドで眠ることができず、リビングのソファで就寝した。もうこの家を自宅だとは思えないが、それでも生活の痕跡が溜まっていく。


 翌朝になると、楠瀬はこんな俺の状態や世襲のことを司令部に報告したのか、宮・クレイトシス司令から世襲や母の死に関係する詳細な説明をしたいという提案が楠瀬を介してなされた。しかし、その前に海洋国家連合本部から訪れる要人たちが集う会議に出席してほしいと楠瀬からお願いされてしまった。

 絶対に出席してほしい会議ということは、司令部の戦略から容易に想像できた。

 相手が真摯に対応するのであれば、佐久夜も司令部を必要としていることに変わりない。お互いがお互いを必要としているのだから、話し合えばわかり合える余地は残されている。

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