第19話 小さな巨人計画17
十一階にある隊長室は、転倒対策が講じられた数多くの本棚がからのまま呆然と立ち尽くしていた。
そこから落下した書物が積み重なってできた山がいくつもそびえ立ち、佐久夜は山の一つに手を伸ばして、一番上に置いてあった本を手にした。
表紙には、俺と楠瀬が笑っている写真が使われていた。それは巨人部隊の隊長として取材された時のものだった。
「ちょっ、ちょっと、どうしてそれを手にしてるのよ。最下段の奥に隠していたのよ」
楠瀬のあせった声は、なんだか十年前に戻ってきたかのような錯覚に陥りそうだった。本来の彼女は、きつく真面目な性格ではなく、顔を真っ赤にした照れ屋な一面がある優しい女性なのだ。
彼女のほうが二歳ほど年上であるのに、なんだか来栖と同じ妹のように感じてしまうかわいらしさがあった。
「偶然にしても、災難だな」
今は関係を壊してしまうかもしれないほど積み重なった課題をすべて忘れ去りたかった。
「本当よ。佐久夜も帰ってみたほうがいいかもね。私は片づけながら名簿を探しておくから、ここよりも被害を免れていたら助けに来て」
「そうさせてもらうよ。何かよからぬことが起きているかもしれない」
「なによ、それ。早く行きなさい」
佐久夜は来た道をたどり、地下にある宿舎まで戻った。
揺れには地下のほうが強いという。地上十一階があれだけの被害であれば、ここはそれ以下だろうと思っていた。だから、玄関を開けただけで、想像よりもはるかに荒れた室内に言葉を失った。
廊下では陶器製の花器が割れ、生けてあった花は茎がむき出しになり花びらまで水で濡れていた。
廊下をまっすぐに進んで、リビングに入った。
食器棚に目を向けるが、倒れているようなことにはなっていなかった。椅子に積み重なった衣類は傾いている程度で、食べ残したおにぎりも立ったままだった。
ミツキの寝室から何かが崩れたような音がした。廊下も、たいして長いわけではない。それに音のする方向にはトイレとそこしかない。何かが崩れたのかと思うほど大きな音の発生源を特定することは容易だった。
脳裏をよぎったのはミツキのことだが、彼は「帰れない」と言っていた。そんな人がすぐに戻ってきているとは思えなかった。
緊張感が高まる。
その部屋に大事なものはない。『巨人文書』も持ち運んでいるアタッシュケースに入れたままだ。それに応援を要請することは正しい判断のはずだ。戦争を目の当たりにしたマンションでも使命のため生き延びたように、ここでも使命を盾にすればいい。だれにも責められることはない。
まだ俺は、逃げた俺を恥じていた。ミツキにとってかけがいのないものが、ここには多くあるはずだ。
使命を賭してまで昨晩の歓迎に尽くす義理はないと心がささやく。
マンションでは本当に死を迎えに行くようなものだった。しかし、泥棒が軍の管理する施設に侵入した諜報員であるなら、ここで始末しないのは軍人の名折れ。
体はテーブルの裏にテープで固定された拳銃を手にしていた。
佐久夜は息を殺して、忍び足でミツキの寝室まで近づき背を壁に張りつけた。
中の音に耳を澄ませ、侵入者の動きを感じる。
乱暴に部屋の中を物色しているような、慌ただしい足音が休むことなく聞こえていた。佐久夜はその足音が部屋の奥から聞こえるようになるとドアを引いて銃口を向けた。
「動くな」
侵入者はとっさに持っていた書籍で頭を防御したが、顔はこちらを向いていた。それがなければ、俺は侵入者をミツキだと気づけなかったかもしれない。
「佐久夜か。帰っていたなら、声をかけてくれればよかったのに。驚いたよ」
ミツキの口調は少し早口になっていた。
この部屋も楠瀬の隊長室と同じで家具に転倒対策をしていたのか、本棚などの収納棚が倒れているようなことにはなっていなかった。しかし、書籍や衣類は棚から落ち、足の踏み場はつま先立ちをするしかないほどの惨状が部屋の全体に広がっていた。
「俺のほうこそ、どれだけ緊張したことか。ミツキは帰ってこないと言っていたから、良くないことばかり想像していた。しかし、できることなら、ここにいるのがミツキでなければよかった。それが一番の良くないことになってしまった」
「俺がいることに一番の不幸を感じるとは、相当な覚悟を持って突入したにもかかわらず、英雄になれなかったことがそんなにも残念ということかな。急いで帰ってきたんだよ。理由はそう――佐久夜と同じかな」
「残念だけど、きっとそれは違う。まだ俺は、昨日にここへ来たばかりだ。大事な書類も、持ち歩いている。だから俺は確かめに来たんだ。ミツキ――何か盗まれたものはなかったか?」
少し間が置いてから、彼は答えた。
「何も盗まれてはいないと思うけど……。でも、この散らかりようだからね。何か盗まれていても、すぐには気づけないだろね」
「俺は楠瀬の隊長室にも寄ってきた。そこもこことよく似た散らかり具合で、棚は倒れていないのに上段から下段まですべての書物などが床に散らばっていた。大きな揺れではあったが、一番下の段まですべても書物が散乱しているとなれば不可解だ。揺れに乗じた泥棒がいたのかもしれないと俺は疑っている」
「きっと、大きな見当違いだ。俺は地震のような大きな揺れに遭遇してすぐに帰ってきたけど、この家に侵入した輩はおろか、だれかが侵入した痕跡もなかった」
「俺は犯人が隊長室に侵入後、この家で偽装工作をしたと思っている。そうしなければいけないのは、犯人の盗んだものが俺たちの探しているものと一致しているためだ。この家に俺が帰ってきて、隊長室だけ荒れていたら犯罪を疑うと思ったのだろう」
携帯電話が鳴り表示された名前を見ると、楠瀬・クレイトシスと表示されていた。
佐久夜は電話に出た。
「やっぱり、どんなに探しても名簿が見当たらない」
その声を、スピーカーにしてミツキに聞かせた。
「名簿は盗まれた可能性がある。こっちに来てくれないか?」
「うん、今から行く」
電話を切ると、再びミツキを見た。
「犯行が可能な時刻は、大きな揺れが発生してからに限られる。揺れが発生してから俺が帰ってくるまでの間、この家にいたのはミツキだけなんだろう? それに俺は、他の家がどれだけ被害を受けたか調査すれば、違和感はおのずと浮き彫りになると思っている」
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