第18話 小さな巨人計画16


 お昼すぎに、佐久夜は目を覚ました。

 リビングにはミツキではなく楠瀬がいた。


 椅子に座る彼女は振り向いて言った。「おはよう、出発するから準備をしてきて」

「起こしに来てくれてありがとう、支度をしてくるよ」


 佐久夜はテーブルに置いてあるおにぎりに目を向けた。


「ミツキからよ。昼食だって。私もいただいた」


 一つ手に取ると、それを口に運んだ。


「外は本当に赤い雨が降っているのか?」


「今朝はあんなにも濁りのない晴天だったのに、昼前から血と肉片が降ってきて天を仰ぐこともできない、最低な状況よ」


 おにぎりを手にして話すことではなかった。

 一口では具までたどり着けなかったが、それを置いて自室で軍服に着替えた。

 食欲が戻ることはなく、佐久夜は食べかけのおにぎりをテーブルに置いたまま家を出で巨大なスクリーンが設置された会議室に楠瀬と足を運んだ。

 百人規模の会議室が満員になっても、白衣を着た研究員がほとんどであった。

 宮・クレイトシス司令はスクリーンを背に立った。


「まずは小さな巨人計画への献身的なサポートを感謝します。宇宙巨人対策機関が発射したミサイルは見事に命中しました。成果は天気として如実にあらわれています。これを見てください」


 薄暗くなった会議室のスクリーンに、ミサイルの着弾地点が拡大されて映し出された。

 焼き焦げた肉塊の中央には、大きな穴があいていた。すでに人の形をなしていないそれは有麻さんが見せてくれた写真の宇宙巨人とかけ離れた姿であり、破壊に再生が追いついていないようだった。


「この穴は子宮頚部が破壊されてできたものであり、ここから子宮内へと侵入することが可能です。私たちは、小さな巨人計画の加速を計画しています。宇宙巨人は海底巨人との類似点も多く、小さな巨人Ⅳを宇宙巨人の子宮で実施することにいたしました」


 会場に響き渡る拍手喝采は、名誉を強調するようだった。

 国民に向けた発表は海洋国家連合の先進性を強調したものとなり、国民であることを誇りに思うことだろう。

 それが搭乗者には羨望となり返ってくるだろうが、心は名誉への期待ではなく不安と恐怖で満たされていた。


「私たちしか、いないんだよね……」


 楠瀬はつぶやいた。

 ふと、同じ搭乗者である来栖の顔が浮かんだ。彼女は、ここに来ていなかった。


「怖いのか?」


「違う、そんなことない」


 楠瀬は、あせったように早口で言った。

 スクリーンには作戦の概要が表示されていた。


「宇宙巨人の子宮内へは、巨人に搭乗した状態で突入する。しかし、宇宙巨人が死亡していたら細胞が供給されることはない。我々は宇宙巨人の生死を確認することと並行して、巨人を安全に宇宙巨人の子宮まで送り届ける方法を確立する必要がある」


 力強い宮・クレイトシス司令の演説は拍手で締めくくられた。

 小さな巨人Ⅲについては、続いて登壇した天海さんから説明があるようだった。手元に資料が届いた。


「皆さん、こんにちは。まずは湊崎佐久夜、楠瀬・クレイトシスに感謝を申し上げたい。そして小さな巨人計画に携わるすべての人に感謝します、ありがとう。私からは小さな巨人Ⅲについて説明させていただきます。小さな巨人Ⅲでは巨人に胎児を存在させることはありません。搭乗者には、巨人に細胞を供給するだけの器官になってもらいます。私たちはそれにより人間の支配下からはずれた巨人の容姿が、自我のものへと変化するのを見届けると、その脳内を解析します。これは本能になった搭乗者の自我が巨人の自我にどのような影響を与えているのか観測することが可能です。巨人の自我と対話をした搭乗者からの聞き取りは、本能になるということの恐怖心を払拭してくれることでしょう。お手元の資料を御覧ください」


 司令部は胎児の再分解を禁止していても、巨人との対話を禁止しているわけではない。

 俺たちは、あの容姿を持つ自我の本能になろうとしているんだ。いつまでも来栖に似ているというだけで恐れて巨人を否定することはできない。

 佐久夜は視線を膝下の資料に落とした。

 本当に俺たちが注目しなければならないのは、ただ本能になろうとすることなど当然と思えてしまうほど強烈な脳内の解析方法だ。その説明を天海は淡々とした。


「巨人の自我が容姿となりあらわれたのを確認すると、頭頂部を円形に開頭します。そして露出した脳にニューロコネクトチップを埋め込んでニューロン内の電気信号をコンピュータ疑似脳へと送ることで、巨人の思考を明らかにします。完全に人間の支配からはずれたこの状態を維持することは、大きく小さな巨人計画を前進させることでしょう」


 それだけ長い時間を、人間の支配が及ばない巨人に細胞を供給するだけの器官になったのなら、一人目の搭乗者が言おうとしていたことのすべてを聞けるかもしれない。きっと一人目の搭乗者は、何かを伝えたがっている。


 佐久夜は言った。「小さな巨人Ⅲでは人間に支配されていない巨人が人為的に生み出され、本格的に巨人の本能になれるのかが試される。それを意図せず経験した当時の第一分隊員にも、どんな経験であったのか尋ねたい」


「みんなが除隊してから、私も会っていないのよ。当時の名簿はあるけど、どこに住んでいるのかまでは把握していないわよ」


「天海さんは、どの隊員とも親しかった。今も交流のある元隊員がいるかもしれない」


 会議は質疑応答へと移った。

 佐久夜は十年前に母が自ら出撃を試みた当時の様子を、ここで明らかにしようと思った。これだけの職員が集まっているここであれば、嘘をつかれても密告してくれる人がいるかもしれない。

 挙手する俺を、楠瀬は止めなかった。


「宮・クレイトシスさんと天海千景さんに十年前のことで質問があります。母の搭乗を確認するまでの行動を教えていただけないでしょうか」


 司会は今回の作戦に関係ない質問は遠慮するよう言うが、宮・クレイトシスはそれを制してマイクを口元へ持っていった。


「私と天海の回答で小さな巨人計画に不信感なく参加できるのなら、私には答える義務があると考えている。当時、私は司令部を飛び出していった涼子を止めようと追いかけた。通路で出撃の考えを改めるよう諭したが涼子の決心は固く、司令部でサポートに徹しようと戻った。しかし、いつまで待とうと出撃に関係する通信が生体管理部からなく確認のためそこを訪れると、佐久夜も知っての通り涼子はあのような姿になっていた」


 宮・クレイトシスがマイクを下ろすと、天海がマイクを口元に寄せた。


「私は格納庫で巨人の子宮内に入り、肉体を再獲得した来栖の身体検査をしていた。それを終えて涼子さんが出撃するという報告を受けた私は搭乗の準備をしてから生体管理部に戻ると、あのような姿に変貌した涼子さんを先に来ていた宮・クレイトシス司令と確認した」


「ありがとうございます。しかし、二人とも肝心な母の搭乗を見届けていないのですか?」


 宮・クレイトシスは再びマイクを口元に寄せ答えた。


「生体管理部に到着してからほどなくして、搭乗の準備が完了したため格納庫との仕切りになっていた曇りガラスが晴れると、すでに涼子はあの姿になっていた。私も非常に残念であるが、涼子の搭乗を見届けることができなかった」


「私も騒然とした生体管理部で、あの姿になった涼子さんを見届けた。あのときに搭乗できる巨人は来栖が搭乗する予定だった一機のみだったため、格納庫で搭乗の準備をしてから生体管理部に向かったけど、涼子さんと会えることはなかった」


「他に質問があるのなら、ここではっきりしておこう。ここには証人が多くいる」


 宮・クレイトシスは、念を押すように言った。


「では、もう一つ。大変失礼ながら、お二人は母が殺害されたという可能性を考慮したことはありますか?」


 この発言にも二人は表情を一切、変化させなかった。


「この問いには、なりそこないの巨人を最前線で調査してきた天海から回答してもらう」


「私を含めた調査メンバー内で、殺害された可能性を調査した人物はいなかった。出産も確認されたことから、搭乗者の生存を確信していた」


「ありがとうございます。もう一つ質問することをお許しください。天海さんは宮・クレイトシス司令よりも遅く生体管理部に到着したということですが、通常であれば格納庫にいた天海さんが先に着いていると思います。なぜ宮・クレイトシス司令よりも遅れたのでしょうか?」


「私に遅れたという認識はない。生体管理部から連絡を受けた私はすぐに搭乗の準備を済ませて生体管理部に戻った」


「ありがとうございます。私はお二人の言葉を信じ、従います」


 佐久夜は、これ以上の質問はないという意思表示を込めて静かに着席した。

 もしも宮・クレイトシス司令が司令部に戻ったとしても、滞在時間がどれほどであったのかわからない。あせっていたのなら、体感している時間よりも実際の滞在時間は短くなる。すぐに母を追いかけ生体管理部を訪れたのなら、天海さんが先に着けなかったことにも納得がいく。それに天海さんが母の搭乗を知った時刻や、どれだけ搭乗の準備に時間を要したのかもわからない。それらが到着を遅れさせた原因であるのかもしれない。


 これまでの情報で母の殺害は二人に可能ではあるが困難だと結論づけた。

 宮・クレイトシス司令は母を追いかけて殺害することが可能だ。しかし、天海さんと来栖が格納庫を退出してからでないと遺体を搭乗させることはできない。それが達成されたとしても、宮・クレイトシス司令は天海さんよりも早く生体管理部に到着しているため、追い越さなければならない。

 天海さんの遅れは、やはり母のことを格納庫で待ち伏せしていたのではないかという疑念を抱かせた。そうであれば、彼女が宮・クレイトシス司令よりも早く着けなかったことの説明がつく。しかし、天海さんが生体管理部に到着した時も、まだ現場は騒然としていたらしい。宮・クレイトシス司令とは、ほぼ同時刻に到着したことが予想される。


 そこからの質疑応答は頭に入ってこないまま、会議が終わった。

 佐久夜はすぐに立ち上がるが、立ち上がれないでいる楠瀬の反応が、本来の小さな巨人Ⅲに対する搭乗者の心境なのだろう。

 佐久夜の頭には、巨人の子どもたちを軍から解放することしかなかった。楠瀬との温度差は明確になったが、まだ小さな巨人計画の遂行という大きな枠組みでは共にある。


「俺には使命感がある。なぜ楠瀬は、ここに残った」


 責めているのではなかった。ただ小さな巨人計画は、大志なくして成し遂げられる作戦とは思えなかった。


「第一分隊の隊員たちは、消えるようにいなくなってしまった。私しか残らなかった。あなたを裏切って今があるのなら、今を継続させるしか私には残されていない。あなたは今を利用して何かを変えようとしているけど、私は変えてはいけないの」


「再会してから、ずっとそうだ。俺は楠瀬の逃げ道を作らない。楠瀬の謀反は逃げることだったのか? 俺の革命は逃げ道を作ることだったのか? 楠瀬も今を変えようとしているのだと思っていた。それが謀反であり、革命なのだと」


 十年前、信頼を裏切った楠瀬に何を期待していたんだ。楠瀬は俺も同じ裏切り者になると思っていたのだろうか。


「私は、佐久夜に今が間違いではなかったことを証明し続けないといけないの。謀反というのは、司令部が正しいということを海上の海洋国家連合本部に知らしめること。革命は、司令部が示す未来を成し遂げること」


 彼女は逃げようだなんて思っていなかった。だから囚われ続けている。俺は楠瀬に過去を悔いとほしいとは思っていない。ただ今を継続させた先にある未来ではなく、より良いと思った信念のある未来をいっしょに求めてほしい。


 大きく突き上げるような揺れが襲った。

 佐久夜は体勢を崩して両手で椅子にしがみついた。

 連続した揺れが続く中、会議室を後にしていた研究者たちは足早に戻ってきた。

 スクリーンに表示された海面は大きく波打ち、この揺れの元凶である海底巨人の顔面が海面に出現していた。


 それは――一人目の搭乗者と同じ顔をしていた。


「海底巨人と酷似している宇宙巨人は、巨人から生まれた。だから海底巨人も同じように生まれた可能性がある。そうであるならば、すべての巨人が来栖に似た同じ容姿をしている理由にも見当がつく。すべての巨人が同じ容姿をしているのは、クローンであるからだ。これなら思想や会話の内容が一致している理由にもなる」


 佐久夜は興奮気味に言った。


「もしも、まだ佐久夜が一人目の搭乗者の存在を信じているなら、私はあなたを涼子さんの子どもだと擁護できなくなる。すべての巨人がクローンであり、同じ一人目の搭乗者がいるのだとしたら、それらに血統の問題が起こることなく搭乗できている私たちも同じ血統の持ち主ということになるのよ?」楠瀬は間髪入れずに反論した。「佐久夜は何もわかっていない。海底巨人から巨人が生まれたという基盤の上にすべてが構築されているの。それは小さな巨人計画も例外ではない」


「まだ俺は、一人目の搭乗者も存在していると思っている。父さんの搭乗が、本当に人類初であったと確信していない。それに現状を変えてほしいと言ったのは、楠瀬ではないか。変化の先が決まっているなら、自らが選択するべきだった」


「私は、現状から続く未来なら変えてもいいと思っていた。過去を転覆させてしまったら、私やあなたが悩んだ末に決断した選択も無意味になってしまうかもしれない。そんなことは望んでいない」


「俺は真実を知りたいんだ。その先に最善があると信じている」


「佐久夜の志も理解したい。でも、解釈の違いが大きな亀裂を生みかねない。私の言葉も考慮して。元第一分隊員の名簿は隊長室にあるから、今はそれを取りに行きましょう」


 司令部は海底巨人や宇宙巨人の情報を各勢力と連携して収集しているようであった。佐久夜は楠瀬に連れられて隊長室に向かった。

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