第16話 小さな巨人計画14
楠瀬が帰り、佐久夜は外が見えない夜を初めて過ごしていた。
宇宙巨人の資料を床に積み重ねて、ミツキはテーブルにホールケーキを置いた。
ミツキは歓迎の意を込めて、生クリームをたっぷり使ったいちごのホールケーキを用意してくれていた。
ホワイトチョコレートで作られたプレートには名前を間違えたのかヨツバと書かれていたが、十年ぶりの甘味は何よりも興味をそそられた。
「ごめんね、違う名前が書いてあって。佐久夜がルームメイトだってことは、ケーキを予約してから聞いたんだ」
「そんな気にしなくていいよ。ケーキを用意してくれていただけでも嬉しい」
どうしてヨツバというネームプレートを用意したのか気になったが、それは訊けなかった。
「そう言ってもらえると、こっちも嬉しいよ」
ミツキはケーキを切り分けて、佐久夜の前に置いた。
「ありがとう」
「どうぞ」
佐久夜は小さなフォークを握って、大きなケーキを口に運んだ。
お世辞にも、上品な食べ方をしていなかった。
ミツキが名前を間違えたことに罪悪感を覚えているなら、それを払拭させるためにも遠慮せず嬉しそうに食べた。
ミツキは、そんな俺を見て笑みを浮かべていた。
佐久夜は天気予報から血液という不似合いな言葉が聞こえたと思ったので、ケーキを頬張りながらテレビを見た。
天気予報が流れている画面は健在であり、内容に似つかわしくない言葉がどこから発せられたのかと見渡すが、検討できる発生源は見当たらなかった。
また同じ声が響いた。
やはり発生源にはテレビがあり、声の主は気象予報士の男性だった。
ミツキは笑いを必死にこらえていた。
「それはテレビだよ。そして、見ているのが天気予報」
そんなことは知っている。俺は、天気予報で血液という言葉が発せられたから驚いているのだ。
「血液って聞こえたけど――」
「赤い雨、注意報のことだよ。明日は宇宙巨人にミサイルを撃ち込んで、細胞を削ぎ落とす作戦が遂行される。だから、きっと明日は大雨になるよ」
宇宙巨人には搭乗者がいないだけではなく、自我もないことを願わずにはいられない。
俺にも、これが種の保存だとは、到底思えなかった。
番組は、両連合が第三勢力圏の対処で協力を深めるという話題に移った。
戦場ではない、どこか遠い場所で、顎髭を伸ばした海洋国家連合議長のルイス=ホーベルトは大陸国家連合の議長であり父のギリス・バーベイトと握手をしていた。
父さんからの手紙は、まだ定期的に届けられている。しかし、会いたいという気持ちよりも恐怖が先行していた。
常に父は、巨人に搭乗することを反対していた。俺にとってそれは、生きがいを奪われるようなものだった。だから父にはついていかず、母とここに残った。
それが、また俺の前にあらわれようとしていた。
映像は、第三勢力圏統括理事会議長アルベルト・ガルシアに切り替わった。
小柄な女性であったが、青いドレススーツと真珠のネックレスが貴婦人のように優雅だった。白髪がまじった金色の髪。顔に皺はあるが、白い歯を出して笑う顔は無邪気で幼さがあった。
「世界の脅威である海底巨人と宇宙巨人の対処に立ち向かおうとしない両連合は、国民の安全よりも利益ばかりを追い求めている。それが国家のあるべき姿なのでしょうか? 私は全人類に問いかけたい」
同じく海底巨人の殺害を目的としていた身として、彼女の演説は心に響くものがあった。しかし、俺は利益のためではなく自由のために立ち向かっている。両連合の首脳も同じ気持ちであると、信じたい。
ミツキは、机に肘をついた。「宇宙に逃げることよりも、第三勢力圏は二体の巨大な巨人を殺害するほうが簡単だと思っている。両連合と戦いながら海底巨人を殺害するなんて、不可能に近いのに」
「第三勢力圏は、どうして海底巨人をも殺害しようとしているんだ? 宇宙巨人だけを殺害しても、衝突は防げる」
「宇宙巨人も、海底巨人が産み落とした巨人から生まれたんだ。海底巨人を殺害しないかぎり、繰り返されると思っている」
「海底巨人の本能になれば、すべてを制御できるかもしれない。せめて、俺たちに試させてほしい」
「俺もそう思っている。しかし、そのために必要な海底巨人の子宮を、まだ両連合は見つけられていない。海底巨人は戦場の渦中にいる。捜索の難航は必至だ」
「小さな巨人計画に、支障はないんだよね?」
佐久夜は口早で言った。
「わからない」
「楠瀬も有麻さんも、そんなことを言っていなかった――」
「知っていたとしても、言えるはずがない。不都合なことは、なるべく隠したがる。きっと佐久夜でも、言えなかったはずだ」
「そうかもしれない……。でも、だれもあきらめていなかった」佐久夜はうつむいていた顔を上げた。「海底巨人の子宮は、必ず発見される」
「そうだと信じたい。きっと司令部もそれを信じている。俺も早く、海底巨人の本能になりたいな……」
ミツキは、楠瀬の家では窓があった壁を見てつぶやいた。
巨人の子どもが、巨人の本能になることを望んでいる。
俺は、その言葉が聞きたかったんだ。
寝室はゲストのために用意していたという一室を快く貸し与えてくれた。
整頓された部屋には小物が多く置いてあり、リビングと雰囲気が違っていた。
ノックの音がした。
「部屋はどう?」ドア越しにミツキの声がした。「入ってもいいかな?」
「どうぞ」
佐久夜はベッドの端に腰をかけ出迎えた。
「部屋は気に入ってくれたかな?」
「もちろんだよ。今日はお祝いまでしてくれてありがとう、これからもよろしく」
「こちらこそ、よろしく。明日は帰れないかもしれない。冷蔵庫に入っているものは好きに使っていいから」
「ありがとう」
お互いに就寝前の挨拶を済ませると、佐久夜はベッドに入った。
暗い天井を見ていると、無意識に考えてしまう。
もしも小さな巨人計画をあきらめて、一つになった世界が二体の巨人を殺害しようとしたら、巨人の子どもたちは命を奪い合う戦場から解放されるかもしれないと。
一人目の搭乗者なんていないと思えるのなら、そんな選択もできただろうか。
冷たい寝具が、まだ俺をお客様だという。病室のベッドだったら、すでに熟睡できていたことだろう。
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