第14話 小さな巨人計画12


 待ち合わせをしている喫茶店の四人席に三人は腰かけた。

 戦時中であろうと、お金を稼がなければ生きていけない。常に死ととなり合わせでいるのに、そうしなければ生きられない中で、俺は使命のために生きられる喜びを噛み締めた。

 となりに座る楠瀬を皮切りに挨拶を済ませると佐久夜は向かいの有麻に、来栖に似た容姿の持ち主が巨人の自我ではなく一人目の搭乗者であって、その存在を解明することは人類が本能となるにふさわしい自我であるのか判断する重要な指標になると話した。


 有麻は少し間を置いてから口を開いた。「私たちが鹵獲した巨人を解剖したところ、一人目の搭乗者がいた形跡は発見されませんでした」


 佐久夜も一人目の搭乗者が肉体を保持したまま体内のどこかに潜伏しているとは思っていなかったので、驚くようなことではなかった。


「俺たち搭乗者は、一人目の搭乗者を必要としたことがありません。しかし、人間の巨人支配率が低下することで発生する対話は、搭乗者同士でも発生していました。私たちは一人目の搭乗者と対話をしていたのです」


「私たちは、巨人との対話のみを成功させています。一人目の搭乗者の存在は認知しておりません。それを裏づける根拠はここにあります」有麻は古びた手帳をカバンから取り出して佐久夜に手渡した。「湊崎夫妻と宮・クレイトシス司令、谷内弘信やちひろのぶ議員が残した巨人研究の資料です。巨人の研究に役立ててほしいと、宮・クレイトシス司令からいただきました」


「内容を確認してもよろしいですか?」


「どうぞ」


「どんな内容なの?」


 楠瀬は著者に母の名前を見つけて興奮気味に言った。

 タイトルには『巨人文書 ――人類初の搭乗――』とあった。

 それには巨人の発見から綴られていた。


 まだ早朝で霧がかかった海に、巨人が漂流しているのを地元の漁師が発見した。

 それを引き上げるのには、丸一日を要した。


 ページをめくる手は、搭乗に関係する内容になると止まった。


 人類初の搭乗は、ギリス・バーベイトの志願によって実現した。彼は無機質な巨人の子宮内で巨人に細胞を供給すると、まるで巨人は命が吹き込まれたかのように生命力を感じる容姿に生まれ変わった。


 巨人に搭乗したギリスは、人類で初めて巨人との対話を成功させたとして、その内容をしたためていた。


 私は女性を見つけた。彼女はかわいらしさを幼さに閉じ込め、中性的な容姿をしていた。彼女は私に、「私は人間の庇護下で繁栄するはずだった。しかし、巨人の心に根づいた私は離れることができない」と言った。


「人類が経験した初めての搭乗から、巨人は同じことを言っています。だから、一人目の搭乗者なんて存在していないんです」


「しかし、すべての巨人が同じ思想を持ち、同じことを話しています。それを巨人の自我だからという理由だけで正当化してもよいのでしょうか?」


「すべての巨人は同じ意志を共有して目的を達成しようとしているんです。その目的が我々から人間を奪い取ろうとすることなのかもしれない。巨人が抜け殻を欲しがるのなら、私は与えてやるつもりです」


 窓から差し込んでいた陽の光が一瞬で途絶え、店内に届かなくなった。

 店内は照明が灯り静まり返った。

 佐久夜は何が起きているのかわからず空を見上げる。光を遮っていたのは黒雲などではなく、ただ大きな暗闇が覆いかぶさっているようだった。


「あれが、宇宙巨人ですか?」


「そうです。あれは私たちが宇宙で海底巨人の再現と巨人の量産を目指したプロジェクトの賜物です。宇宙巨人は海底巨人のように巨人を産み落としました」


 十年前と比べて技術力の差が縮まっていることは言うまでもなかった。有麻という人物には時代を進める力がある。その興奮が大きければ大きいほど、敵となった際はより強大な脅威として襲いかかる。祖国が違えば、いずれ相対さなければならない時が到来するかもしれない。


「宇宙巨人が出産した巨人にも、搭乗できたのですか?」


「はい、私が搭乗して確認しました」


 陽の光が店内に戻る。


 一人の少女が有麻にしがみついた。


「ママ――怖かった」


「大丈夫よ」


 有麻は少女の手を握った。


「かわいい娘さんですね」


 楠瀬は笑顔を少女に向けた。


有麻紗綾ありまさやです」


 少女は短く名前を告げると、小さくおじぎをした。


「近くのテーブルで待ってもらっていたんです。母は助けなくちゃいけない子どもがいるとき、あきらめてはいけないと思うのです。たとえあきらめようとしても、神はそれを許しません。それをこの子が教えてくれました」


 有麻はカバンから取り出した宇宙巨人の写真を机に置いた。

 その容姿は、一人目の搭乗者と酷似していた。


「どの巨人と対話しても容姿が同じなだけではなく、成長しても容姿がまったく同じです。この容姿を見て、何も思わなかったのですか?」


「宇宙巨人は、巨人の自我が容姿となってあらわれた巨人の細胞を移植して生まれました。成長したのではなく、本来の姿を取り戻したと認識しています」


 本来の姿を取り戻してほしいのは、母のほうだ。俺は母が死んでいない理由を常に探していた。


「有麻さんは、なりそこないの巨人も本来の姿を取り戻せたなら、母も本来の姿を取り戻すことができると思いますか?」


 本当は母のことを口にはしたくなかった。しかし、俺には希望が見えてしまった。見えてしまったのなら、それを確認せずにはいられなかった。


「私は安易に湊崎涼子さんの死を口にしたのではありません。なりそこないの巨人を解剖したところ、搭乗者は共通して胎児の再分解などの細胞供給に関係するさなかに亡くなっていました。私たちは中途半端に細胞供給がなされた結果、巨人があのような姿になったのだと推測しています」


 母だけは例外だと、そう信じたかった。

 再び母の死を宣告されるが、二度目ともなると脳は冷静だった。何か生きている根拠はないかと懸命に考えを巡らせると、一つだけ浮かび上がった。


「母は、何人もの子どもたちを生んでいます。死者にそれが可能でしょうか?」


「外部からの細胞供給で生かされている巨人が、生きているといえるのでしょうか。あの姿では、胎児の成長にも搭乗者の生死は関係ないように思えてしまいます。大陸国家連合は、複数回の出産を一つの方法で再現しました。それは受精卵を巨人の子宮に移植する方法です。戦場で、なりそこないの巨人が出産したことはありません。それは、安全な環境でのみ実行できる方法であるためと考えています」


 佐久夜は母が死んでいるかもしれない可能性が高まるよりも、巨人の子どもたちを意図的に生み出した大陸国家連合の行動に怒りがこみ上げてきていた。

 命を人工的に自分たちの利益だけを考えて生み出すことは許されない。

 しかし、それは巨人の子どもたち部隊を創設した両連合と第三勢力圏に向けられるべき怒りであるため、ここで有麻さんだけを責める気持ちにはなれなかった。


 佐久夜が何も言えずにいると、楠瀬は口を開いた。「我が国や海洋国家連合に、そのような方法で巨人の子どもたちを生み出した事実はございません」


「やめてくれ。そんなのは言い訳にもなっていない。俺も、今の母が自力で出産できるとは思えないんだ。それより、両親もはっきりしないまま巨人の子どもたちが生まれ続けていることに心苦しさを感じている」


 出生がわからないことのつらさは、俺も母が涼子さんではないかもしれないという感情に襲われた時、十二分に理解したつもりだ。それはすべての巨人の子どもたちを海底巨人の本能という場所に連れていかなければならないという使命感をより強固なものにした。


「私たちなら、きっと巨人の子どもたちを救える。すべての巨人の子どもたちを、海底巨人の本能まで送り届けてあげましょう。でも、障害は多い」楠瀬は鋭い目つきで有麻を睨んだ。「大陸国家連合は、宇宙巨人の落下を実験前に予測できませんでしたか? 両連合内では海底巨人の本能になろうとする派閥と、宇宙で海底巨人が宇宙巨人を受け止める様子を見届けて地球に帰還するという派閥に割れています。あなたたちは無意味な対立を生み出したのです」


 楠瀬はすごい剣幕で、今にもお尻が椅子から離れそうな勢いで言った。


「落ち着いてほしい」佐久夜は、そんな楠瀬を押しとどめた。「海底巨人は、宇宙巨人を受け止めようとしているのか?」


「そうよ。海底巨人は、宇宙巨人の落下地点に移動している」


「海底巨人は、どうしてそんなことをしようとしているんだ? 何かわかっていないのか?」


「何もわからない。でも海底巨人は、私たちを助けようとしてくれているのよ。私は、そう思っている。だから私たちは本能になって、協力しないといけない」


「ただ受け止めようとする海底巨人を見届けるだけでは、ただの衝突です。俺たちが海底巨人の本能となることで、初めて本当に受け止めるということが可能なのです。だから同じく小さな巨人計画の遂行を目指している三人が争うことは不利益しかありません。たとえ小さな巨人計画が頓挫してしまおうと、私たちは人類のために海底巨人の本能となり宇宙巨人を受け止めなければならないのです」


「私も同感です」有麻は冷静な口調で言った。「宇宙巨人の落下は、第三勢力圏の攻撃により予定の軌道からはずれたことが原因です。これは公表されている真実です」


「それを信じていないわけではありません。管理をしてほしいということです。しかし、簡単なことではないと承知しています。お互いに、メンツを保つために譲れないことがあるのは同じですから」


 有麻は、それを譲歩と認識して気持ちを落ち着けてくれた。


「大陸国家連合は、海底巨人の本能という存在にこだわっていません。巨人は宇宙にも存在しており、量産も可能です。しかし、たどり着く場所が一つでなくても、歩調を合わせ一つになれなければ達成されません。まずは私たちが手本となりましょう」


 有麻が差し出した手を、佐久夜と楠瀬は順に強く握り返した。

 二人は、手をつないで店を出る有麻と紗綾を見送った。


「私は『巨人文書』の存在を知らなかった。佐久夜は知っていたの?」


「俺も知らなかった。まさか、父さんが人類初の搭乗者だったなんて。でも、どうして公表されなかったのかわからない。世界中から称賛される快挙だったと思っている」


「巨人技術を秘匿しておくため、偉業は隠され続けられたのかもしれないわね。これからも讃えられることはないけど、肉親のあなたは父親の栄誉を忘れないであげて」


「いつか、来栖にも教えてあげたい。こんな偉大な父であったことを」


 佐久夜は『巨人文書』をダイヤルロック式のアタッシュケースにしまい、二人も店を後にした。

 日差しが眩しく、青い空は宇宙巨人の痕跡を残していなかった。


「宇宙巨人を消滅させる作戦は実行されていないけど、生きているのかわからない形にまで体が削ぎ落とされているそうよ。いくら再生しているとはいえ、それで宇宙巨人も海底巨人のように守る必要があるなんて、よく言えたものよね」


「帰ったら、宇宙巨人の資料を見せてもらいたい」


「わかった。そろえて持っていくわね。でも、今日から病室に帰らなくていいのよ。佐久夜は退院して、軍が管理している宿舎に住んでもらうことになっているの。まずはそこまで案内するわね」


 佐久夜は背中を見せた楠瀬を呼び止めていた。「有麻さんの前では言えなかったけど、中途半端に細胞が供給されることでなりそこないの巨人になってしまうのだとしたら、母さんは搭乗前に亡くなっていた可能性がある。格納庫で胎児の再分解を実行するはずがなく、ましてや敵の攻撃で細胞供給中の母だけが殺されるような状況はありえない。殺されて間もなく遺体を巨人の子宮内に隠されたんだ。宮・クレイトシスと天海千景は、母の搭乗を見届けた責任者だ。当時のことを問いたださなくてはならない」


「私が帰還した時点で、すでに涼子さんはあの姿になっていた。佐久夜なら、私が受け止めるしかなかった過去を変えられるかもしれない。真実を探して」


 楠瀬はもう、何が真実で何が嘘かわからなくなっているようだった。だから、すべてを託すことしかできない。

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