第11話 小さな巨人計画9


 絨毯が敷かれ、高級感のある内廊下を夢中で駆けた。

 けが人には目をつむり、あちらこちらから聞こえてくる耳をつんざくような絶叫にも耳を塞ぎ、ただ逃げるように屋上を目指して内廊下を駆ける足は、エレベーターホールで停止してしまった。


「どうしたの? 止まらないで」


「女性が……」


 視線の先には一本の腕を共有する二人の若い女性が、壁にぐったりともたれかかっていた。


「巨人医療は佐久夜が肉体を得たように、生命を誕生させる術式であるの。巨人医療の失敗は、あのような結合した姿を生み出してしまう。それを治そうとしない家族が、このマンションには多く住んでいる。融合双生児ゆうごうそうせいじの存在は社会の大きな課題なのよ」


 楠瀬は悔しそうに目を背けた。


「今からでも住民を助けに行こう。彼女たちのような体では迅速に避難できない。俺たちは軍人だ。逃げていい存在ではない」


「私たちには、私たちの使命がある。ここにもいずれ、救出部隊が派遣される」


「それまで俺たちが持ちこたえなくて、だれがここを守ってくれるんだ?」


「ここはすでに、最大限の守護を受けているのよ。外では駐在している守衛が今も戦闘を継続している。屋上までたどり着ければ、一番にそれを実感できるはずよ。あなただけがここに残っても、また使命を完遂できずに失意の中、今度こそ本当に死ぬわよ」


 命を賭するほどの役割は、ここにもある。しかし、使命はここにない。使命に生き、使命に死ぬのなら、母に顔向けもできよう。ここで銃を握り死しては、今度こそ汚名を後世に残してしまう。

 来栖のためにも、挽回の機会を無下にはできない。


「わかった……屋上まで急ごう」


 非常階段に駆け込むと一人の足音が聞こえた。音が反響して上がってきているのか下りてきているのか判断できないが、俺はそのゆったりとしたリズムに聞き覚えがあった。


「来栖かもしれない」


「静かにして。上から来るわよ」


 楠瀬は驚きもせず耳を澄ませ、銃を構えた。

 本当は銃口を下に向けてほしかったが、確信は持てなかった。

 足音の主は手摺に手をかけ折り返し階段を曲がると、隠れることなく無防備に全身を晒した。

 顔を確認するよりも先に銃声が響く。それはとなりから発射された。


「どうして撃ったんだ!」


 佐久夜は叫びながら階段を駆け上がる。うつ伏せで倒れる女性の血が階段を流れ、靴底にベッタリとついた。

 左手には銃が握られていた。遺体に触れようとすると、腕を掴まれ楠瀬に止められた。


「大丈夫、この女性は『巨人の子どもたち部隊』の一人よ。佐久夜も涼子さんが入っているはずの子宮から子どもが出産される様子を見たでしょう? 来栖やあなたと似た顔つきをした子どもが生まれてくることもあるの。そんな子どもたちを利用して、今や私たちだけではなく大陸国家連合と第三勢力圏も巨人の子どもたち部隊を創設している。戦場では瞬時に陣営を識別できなければ殺害するしかない」


 佐久夜は有麻の顔を見た。

 彼女はゆっくりと頷いた。

 巨人の子どもたちは人権が軽視されていた。それでも、俺にはどうすることもできない。

 それに俺の知っている来栖がいて、俺を知っている来栖がいてくれれば、それでいい。だから俺の知らない来栖に似ているだけの存在がどうなろうと関係ない。たとえ彼女が俺を知っていても、俺は彼女を知らない。俺の知っている来栖は、今も地下の基地で地上を案じているはずだ。

 見捨てようとする俺を慰めるかのように無慈悲な心がささやくと、命を助けられたことへの感謝が湧いてきた。


「助けてくれてありがとう。もしもこの来栖に似た女性が撃っていたら、俺は死んでいたかもしれない」


 言い終えると、今度は罪悪感を覚えていた。彼女は俺を慕い、会いに来てくれたのかもしれないのに。


「急ぎましょう」


 遺体に視線を落とそうとする自分を吹っ切るため屋上まで駆けた。来栖に似た女性の血がベッタリとついた靴底は、俺と彼女を断ち切らせないかのように足跡を残した。

 屋上は血の雨が降り注いでいた。しかし、それもここら一帯だけで、少し先では敵の降下作戦が継続されていた。

 屋上からは、公道を走行する敵戦車や巨人部隊の列がどこまでも続いているように見えた。


「完璧ではないけど、ここは多くを犠牲にして守られている。私は佐久夜が見なくていいものを見せて、不安にさせてしまった。だから、不信感が生まれたのならここで解消してほしい。きっとヘリが来たらあなたの声は聞こえなくなってしまう。それまでにお願い」


 佐久夜は足元に落ちていた、血塗られた紙を拾い上げた。ところどころしか読めないが、そこには小さな巨人計画が非人道的であると書いてあった。

 きっと第三勢力圏が投下したものだ。周囲には、同じような紙切れが数多く血で染まっていた。


「人間を捨てるのが小さな巨人計画だ。まったく人間に配慮されていない、実に非人道的な実験だ」


 握りつぶすと、滲み出た血液が腕をたどった。


「私への個人的な不信感くらいあるでしょう? 私は来栖にそっくりな女性を殺し続けているのよ」


「それを俺に伝えても不安にさせるだけだ。楠瀬の判断は正しい。もしも俺との関係に罪悪感が生まれるほどの信頼関係が芽吹いていたなら、俺の願いに協力してほしい」


「聞かせて」


「本当に海底巨人の本能になれるのなら、巨人の子どもたちを漏れなくいっしょに連れていきたい。今は人権が軽視され軍人になることしか許可されていない巨人の子どもたちを、そこでなら解放できる。楠瀬には、俺に不幸があっても成し遂げてほしい。有麻さんには、大陸国家連合にいる巨人の子どもたちをいっしょに連れていってあげてほしいんです。協力してくれませんか?」


 ほんの数十分前までは、俺の知らない来栖に似た女性や巨人の子どもたちがどうなろうと関係ないと思っていた。しかし、冷静になれば同じ血を流す家族だ。軍人になるしかなかった境遇も共通している。より強制的な巨人の子どもたちには同情してしまう。


「あくまで私は母国の命令で動くだけです。ですから、完全なる奉仕は期待しないでください。しかし、心は佐久夜と同じ場所にあります」


「ありがとうございます。俺は巨人との対話が小さな巨人Ⅱで発現すると考えています。小さな巨人Ⅱでは外部から細胞が供給された巨人の子宮内で搭乗者が細胞を供給します。しかも胎児からの持続的な細胞供給はなく人間の巨人支配率が上昇することはありません。すでに細胞が供給された巨人の子宮内で人間の巨人支配率を上昇させずに再び細胞を供給することは、胎児の再分解においてサイクルの三番目に相当すると考えられます」


「佐久夜は小さな巨人Ⅰで巨人の容姿が変化している可能性を言及していました。司令部から見ていた有麻さんなら知っているはずです。巨人の容姿は変化していましたか?」


「もちろんです」


 有麻は淡々と言った。


「どうして中止なされなかったのですか?」楠瀬は詰め寄った。「本来の計画では小さな巨人Ⅲからが巨人の本能になり自我と対面する作戦だったはずです」


「私たちは、巨人の本能になろうとしているのです。その巨人とは、巨人の自我が容姿となりあらわれた巨人です。それがあらわれている環境下で作戦を遂行することこそに意義があるのです」


 本当にそのとおりであった。俺たち搭乗者は、小さな巨人計画を人類のための作戦であると誇っておきながら、それの目指すべき目標を理解しきれていなかった。

 納得してしまったら、もう巨人の自我が来栖と似ているからといって、それを問題視していられない。


「小さな巨人Ⅱでは、とうとう巨人との対話を体感することになり嬉しく思います。それを経験する搭乗者の肌感覚が重要だと言ってくれた有麻さんの期待に応えてみせます」


 輸送ヘリのブレードスラップ音が聞こえると話は切り上げられた。

 ヘリの窓からは街を一望できた。

 海に沈んだ家屋が、海と街の境界線を曖昧にしていた。遠くに見える海底巨人は迎撃しきれなかったミサイルや第三勢力圏に所属している巨人部隊の攻撃を受けていた。

 それを防ぐため動員された両連合の巨人部隊は肉の壁となりミサイルを受け止めた。損傷した巨人は背中につながれた細胞管から細胞供給を受け、体を再生させた。


「傷が癒えれば、また前線へと舞い戻る。それは不死鳥のようだと軍内部ではもてはやされている」楠瀬は悲しげにつぶやいた。「巨人は自由に飛べないのにね」


 巨人の背中につながれた細胞管は、海底へと続いていた。


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