第10話 小さな巨人計画8
楠瀬は言い切ると、エントランスに入った。
五階までエレベーターで上がり内廊下を進むと、玄関ドアの前に立った。
ドアが開かれると、静かな廊下に来訪を知らせる鈴の音が響いた。
玄関から一直線にフローリングの廊下が伸び、その左右にはいくつものドアがあった。
「遠慮せずに上がって」
「おじゃまします」
佐久夜は玄関ドアを押さえる楠瀬の前を通った。
スリッパに履き替え、楠瀬の案内で廊下の突き当たりにあるドアを開けた。その先はリビングであった。
部屋の中央には一枚板の分厚く大きなテーブルが鎮座しており、正面の壁一面に張り巡らされた大きな窓が部屋と外界との境界線を曖昧にしていた。
「ほかのゲストは?」
「母と来るはずよ」
インターホンが鳴り、楠瀬が応答した。
どうやら相手は有麻さんのようで、彼女も一人だった。
「一階まで迎えに行ってくる」
「いっしょに行こうか?」
「大丈夫。外の景色でも楽しんでいて」
そう言われると、そちらに目を向けさせたい動機があるのではないかと邪推してしまう。非常に悪い癖だ。気を紛らわすため、窓の外にだけ注目して興味が惹かれるものを探した。
一番に目が惹きつけられたのは、陽が沈んでも光り輝き続ける繁華街だった。
繁華街は空が暗くなってしまえば時間を忘れられる。俺にもネオンを当て続けてくれる存在がいれば、十年という空白を忘れられただろうか。
リビングと廊下を遮る扉が開く音で、ここになかった心が戻った。
「有麻さん、お疲れ様でした」
まだ何も出ていないテーブルを囲んで、挨拶をした。
「湊崎くんもお疲れ様」
「まだ何も用意できていなくてすみません。全員がそろってから、寿司職人が来てくれることになっています」
楠瀬は言った。
「今日の主役はあなたたちなのよ、気にしないで。きっと今のままでは、たとえ小さな巨人計画が完遂されたとしても、すべての国民が巨人の本能に快くなろうとしてくれるとは思えない。私たちがデータだけで安全性を訴えても、納得してくれない。そんなとき、搭乗者の肌感覚が頼りになるはず。私はその手助けをしたい。違和感などがあったら、遠慮せずに話してね」
その柔らかな口調も、寄り添いたいという気持ちの表れなのだろう。
「もちろんです。小さな巨人計画の成功が共通の夢であることに感謝します」
街に響く不気味なサイレンが空気を震わせ、それは街中を不安で覆った。
こんな時くらい、祝音を届けてほしいものだ。
佐久夜は窓際に駆け寄った。屋外にいる人々はその場で空を見上げ、屋内にいた人々は窓際へと集まり空を見上げていた。
いっしょになって見上げると、ミサイルが分厚くドス黒い雨雲に風穴をあけた。その傷口からあふれた赤い炎は周囲の雨雲を掻き消し、降下する無数の兵士や戦車を月明かりが照らした。
「これは――何が起きているのか説明してくれ」
「第三勢力圏からの攻撃よ。私たちは戻って、すぐに小さな巨人計画を前進させる必要がある。着いても詳細な説明はできないと思うから、質問があるならここで済ませて。有麻さんもいるから、答えられないことはないはずよ」
テーブルの下で拳銃を手にして装備を整える楠瀬が言った。
「まだ小さな巨人Ⅰが完了したばかりで、小さな巨人Ⅱは準備できているのか?」
「小さな巨人Ⅰは、成功が約束されたデモンストレーションだったのよ。すでに小さな巨人Ⅱの準備は完了している」
降下している戦車の多くは大陸製であったが、今も多くの戦車を生産しているのは内陸国しかなく必然であった。
「大陸国家連合は、戦車の売買を禁止にできないんですか?」
「大陸国家連合も一枚岩ではない。私たちのように小さな巨人計画に賛同する国もあれば、反対する国もある。歪が大きくなるような大改革はできないの」
有麻はテーブルの下で答えた。
「両連合が手を組んでいながら、どうして本土での決戦まで追い込まれているんだ」
「もう、本土はここにないのよ。これを持って」楠瀬は拳銃と予備の弾倉を佐久夜に手渡した。「海洋国家連合の本部も海上に移った。総理も小さな巨人計画と本土移転計画を並行して進めていたけど、小さな巨人計画は大きな支持を得られなかった。使い方は覚えているでしょう?」
俺は母国に見捨てられた気持ちだった。きっと、母もここにいたら同じ気持ちになっていたはずだ。
「てっきり、小さな巨人計画は人類を背負った作戦なのだと思っていたよ……」
「こんな最前線に残ったみんなは、そう信じている。屋上に迎えのヘリが来るはず。走るわよ」
駆け出した楠瀬の背中を追い、玄関を飛び出した。
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