第8話 小さな巨人計画6
朝の目覚めは、十年ぶりの目覚めとなんら変わらなかった。曇り空は海底巨人を隠して元気づけてくれるが、心は晴れない。
短いノックを響かせ楠瀬が入室した。
「おはよう。昨日は言えなかったけど、あなたのお父さんであるギリス大陸国家連合議長から十年間、手紙が送られ続けていたの。読んでみる?」
「読めないよ。俺は父さんと違って、ここに残った」
「そうよね。お腹がすいているのなら食事を用意するわよ」
食べようかと考えるほどの空腹感はなかった。あまり感じていなかったが、緊張しているようだった。
「食べたって、どうせ体は巨人に細胞を供給するため分解されてしまうんだ。食事はいらないよ。それよりも明日の天気を知りたい」
「天気? 明日は晴れだったはずよ」
「ありがとう」
海底巨人が存在しているのなら、見えないよりは監視していたかった。
「これから小さな巨人Ⅰが実行される。十年もの間、あなたのことは一度たりとも忘れたことはなかった。いっしょに行きましょう」
俺が目覚めたときも、そばにいてくれたのは楠瀬だった。それが偶然であるとは思えない。目を覚ましたのは十年後であったが、この体はそれよりも前から楠瀬にケアされてきたはずだ。
病室を出て地下七階まで下った。直立する巨人を横目に、二人は更衣室前でわかれた。
更衣室には数多くのロッカーが設置されていた。それらの中で、湊崎佐久夜という名札がつけられたロッカーの扉だけが閉じられていた。
ロッカー内には初めて見る搭乗服がハンガーにかけてあった。タグを見ると、これは巨人への細胞供給を阻害しないよう人間の皮膚で作られていた。
十年前は裸での搭乗が基本であった。巨人医療は新たな繊維の大量生産を可能にしていた。
肌に密着する服はあまり好きではなかった。しかし、これは同じ皮膚で作られているからか張りつく感覚に気持ち悪さがなかった。
佐久夜は十年前から、たとえ大陸国家連合とは海底巨人の対処で歩調を合わせられなくても、巨人に関係する研究は共同でするべきだと思っていた。しかし、小さな巨人計画を聞かされて考えを改めさせられた。
人類共通の脅威であった巨人をも利用する人間だからこそ人間を何よりも脅威だと怯え、人類の危機であろうと一つになれない。
こんなことは、ずっとわかっていたはずだった。
でも父と母だからこそ、どこかで協力できるのではないかと思っていた。それが今、母なくして現実のものとなろうとしている。
搭乗服に着替えた佐久夜は格納庫に足を踏み入れると、一体の巨人が立っていた。
足元から見上げている状態では全貌を把握することに難儀して、変化に気づくのが遅れた。
マネキンのように生気がなかった巨大な物体は内壁から伸びる細胞管につながれ、細胞が供給されることで巨大な人間へと認識が改められた。
その容姿に母の面影を見るが、なりそこないの巨人になった母の細胞が供給されているのでから、似ていることは当然であった。
楠瀬があらわれるとスピーカーから宮・クレイトシス司令の声がした。
「私は計画に参加したすべての命を忘れないため、ここにいる。私たちは二人がここにいてくれることを光栄に思う」
佐久夜は楠瀬の視線に応えて目を合わせた。
「私たちは一つよ、もう敵視しないで」
楠瀬はそう言い残すと、早々に人工筋肉で作られたカプセルに入った。カプセルが装填された搭乗装置から伸びる管は巨人の子宮内まで続いていた。
佐久夜は躊躇せず入った楠瀬に慣れを感じた。これが安全に目的地まで運んでくれるものであれ、公共交通機関と同じ感覚にはなれなかった。
恐る恐る人工筋肉のカプセルに手を入れた。吸着して絡みつく感覚が、水に濡れぴっちりと体に密着する衣服のようであった。
生体管理部を見上げると、宮・クレイトシス司令と有麻さんの真剣な表情が視界に入った。なぜかそこに焦点が合わせられ、目が離せなくなった。
任務への緊張感が高まり恐怖心が抜けていく。
佐久夜は足を力強く踏み出すと、沈み込むように包み込まれていく。腰を下ろして背中を預けると、どこまで沈んでいくのか不安になったところで止まった。
腹部が覆われていき、それは顔面へと近づく。全身を覆われることに嫌悪感や不快感はなかった。
カプセル内のモニターには宮・クレイトシス司令が映った。音声は耳に取りつけた通信機が取得した。
「これより、カプセルを発射する。健闘を祈っている」画面上には司令部の様子が映し出され、耳には宮・クレイトシス司令の声でカウントダウンが届いた。「5、4、3、2、1……発射」
衝撃や揺れはカプセル内まで到達しなかった。自動でカプセルが割れると羊水で満たされた子宮内に放り出された。
どの方向に水面があるのかは、頭から発射されたことを考えればすぐに理解できた。
光の方向から一本の腕が差し出された。佐久夜はその腕を掴むと水面に引き上げられた。
「これから羊水が少しずつ排出されていく。流されないようにね」
ここは回帰を想定されておらず、居心地が悪かった。すべての羊水が排出されると、ぽっかりとあいた暗い空間に取り残されたような寂しさを覚えた。
緊張感はあったが、張り詰めるようなものではなかった。
「佐久夜は母のことがあるから、なかば強制的に参加しているのかもしれない。だけどね、また選択してほしいの。自分の思うようにすればいいと思う」
となりに座る楠瀬が言った。
やはり、最善を選んでも最良の結果がついてきたわけではないようだった。だけど現状を楠瀬が否定することはできず、変革することもできない。俺を頼っていることはすぐにわかった。しかし、傀儡となった俺に何を期待しているんだ。
「俺がここにいても、従うことしかできない。何も変えられない」
「変えてほしいことがあるのかわからない。でも、受け入れることしかできなかった私が謀反を画策していたら、従うことしかできなかったあなたは革命を起こして」
わけがわからない。
実現させてほしい未来があるのなら、それを言えばいい。自分の選択が間違っていたかもしれない事実を俺に知られたくないなら、何も言うなよ。もしも楠瀬が間違いを受け入れたら、俺がそれを悟って協力してほしいって、わがままなんだよ。
「俺がお前を謀反者に仕立てあげてやる。反逆者として、その名を汚せ」
「そうなったら、あなたは英雄ね。きっと世間はあなたが正しかったのだと認めてくれる」
本当は、俺が裏切ろうとしていないか確かめているだけかもしれない。
そう思うと気持ちが楽になった。
「これより外部からの細胞供給量を増加させる」
通信機から、宮・クレイトシス司令の声がした。
「いけない、すぐに中止するべきだ」
とっさに佐久夜は叫んだ。
「ダメだよ、こんなところで失敗できない」楠瀬は優しく諭すように言った。「子宮内は正常です。司令は作戦を継続してください」
「司令部は作戦の継続を決定した。そちらの生体反応は常に把握している。安心してほしい」
「佐久夜――どうしたっていうの?」
「この巨人は細胞供給を受けているが、人間の支配下にない。そこに多くの細胞が供給される。それは胎児の再分解においてサイクルの三番目に該当する。巨人の容姿が来栖のように変化してしまう」
「この巨人には、そもそも細胞を供給している胎児がいないのよ。前提条件が適用されない。それに私たちが子宮に入る前から、この巨人は細胞供給を受けていた。供給される細胞の量が増えるだけで、きっと巨人には何も変化を与えない。もしも十年前と同じ異常が起きていたとしたら、司令部は作戦を中止するはず」
そのとおりであると思いたい。
「人間の支配から逃れた巨人の自我は搭乗できなかった来栖をあざ笑うかのようにそっくりな容姿をして、代わりと言わんばかりに海底巨人の脳内を跋扈していた。そして、それは胎児の再分解を実行したすべての巨人部隊員に共通していた。俺は目を疑うことしかできなかった」
「そうよね。何もできないのは、きっと私も同じ。佐久夜が悪いことは何もない」
それから司令部の指示などは何もなく、作戦の終了だけが告げられた。
長く息を吐くと力が抜けていった。
「お疲れ様。次の作戦から私たちの肉体に負荷がかかる。油断しないようにしましょう」
出産されると、巨人はマネキンのようになっていた。床が濡れているだけで他に変化はなく、滞りなく遂行されたようだった。
二人は宮・クレイトシス司令からタオルを手渡された。
「小さな巨人計画の第一歩は成功した。これも二人のおかげだ。今晩は佐久夜の歓迎と作戦の成功を祝して私の家でホームパーティーを計画している。ぜひとも参加してほしい」
「ありがとうございます」
胎児の再分解が再現され、巨人の容姿が変化していたのか問いただしたい気持ちはあった。しかし、確証がないまま関係だけを悪化させることは避けたかった。
「我が家までは楠瀬が案内してくれる。楽しんでくれることを願っているよ」
更衣室に戻った佐久夜は、椅子の背に体を預けた。
このまま、椅子と合体してしまいたい。
俺は作戦の奴隷になっても、司令部の奴隷にはならない。俺の忠誠は、母が残した小さな巨人計画に捧げられている。だから司令部の意思が小さな巨人計画に介入しようとしているなら、俺はそれを暴かなくてはならない。
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