第6話 小さな巨人計画4

 


 案内された会議室には長机が並べてあった。

 宮・クレイトシス司令と長かった髪をばっさりと切り短くした天海千景生体管理部長、そして初めてお目にかかる女性が着席して待っていた。

 佐久夜と楠瀬は長机を挟んで三人と対面するように腰をかけた。


「まずは宮・クレイトシスが全職員に代わって礼を申し上げる。ありがとう、小さな巨人計画への参加を心から歓迎する」


 俺は差し出された右手を握り返すだけの理由をまだ持ち合わせていなかった。


 宮・クレイトシスは右手を引っ込めると言葉を続けた。「この手を握ってもらえるように、この場は用意されている。まずは天海から安全性について説明してもらう。楠瀬も気になることだろう。そして天海のとなりに座る女性が大陸国家連合で巨人を研究している有麻穂乃佳(ありまほのか)さんだ」


 宮・クレイトシス司令は大陸国家連合を出し抜くと言っていながら、小さな巨人計画の中枢に大陸国家連合の人材を採用しているではないか。

 彼女の言葉が、どこまで本気であるのかわからなくなった。


「有麻です。小さな巨人計画の完遂に至るにはデータだけではなく搭乗者とのヒアリングも重要だと考えています。それが多くの国民の心に寄り添うことになり、安心を得ることになるでしょう。よろしくお願いします」


 彼女の容姿は宮・クレイトシス司令や天海さんよりも俺たちに似て若く、長い髪を後ろで束ねていた。

 佐久夜と楠瀬は、有麻から差し出された手を握った。

 その手が離れると、天海は言った。


「佐久夜くん、十年ぶりね。小さな巨人計画は涼子さんの遺志を受け継いだ私たちで実現されるべきだと思うの。これから概要を説明するわね。海底巨人の子宮を使用した実地段階に突入するまで、ここでは巨人の子宮を使用した小さな巨人Ⅰから小さな巨人Ⅳまでの作戦が予定されている。全段階、二人で巨人の子宮に搭乗してもらうことになる。でも小さな巨人Ⅰで巨人へ細胞を供給することはない。まずは外部から細胞が供給されている巨人の子宮内に二人が入っても拒否反応がないのか確かめたい」


 楠瀬は小さな巨人計画の概要を聞いても、顔色ひとつ変えなかった。彼女の行動原理が十年前と変化していないのなら、ただ日本をより良い国として存続させたい、それに尽きるはずだ。


「海底巨人の脳内で第一分隊が胎児の再分解中に遭遇した容姿の変化や来栖に似た女性との対話は、母の作戦を失敗に追い込んだ元凶です。その原因は特定されましたか? 皆さんは来栖に似た存在を巨人の自我であると結論づけているようですが、どうして来栖と酷似しているのでしょうか?」


「我々も、あの容姿を確認した。確かに似ていたが、来栖と同一人物であると判断できるほど酷似していなかった。我々は似ているだけの別人であると結論づけた」


「似ていることが問題なのです」


 佐久夜は強く言った。


「我々も問題視している。だからこそ、すでに両連合は実戦における胎児の再分解を禁止している。私たちは胎児の再分解を五つのサイクルに区分けして性質を精査した。Ⅰ胎児の分解、Ⅱ人間の巨人支配率の低下、Ⅲ巨人への細胞供給、Ⅳ胎児の誕生、Ⅴ人間の巨人支配率が再上昇。まだ問題の解決には至っていないが、問題を放置していない。きみたちが任務に集中できる環境を整えている」


 疑問が解決されることのない返答であったが、最善は尽くしてくれている。俺にはそう思うしかなかった。


「母を裏切った第一分隊のメンバーを在籍させている組織を心からは信頼できません。ですが、作戦には参加します。私の忠義は母が残した小さな巨人計画にのみ捧げられます」


 楠瀬のことを想像して放った言葉ではなかった。しかし、確実に彼女を傷つけてしまった。

 よけいなことを言ってしまったという後悔はあったが、楠瀬に面と向かって言ってしまうよりかは、ここで吐き出してしまってよかった。


「上官の命令に逆らった第一分隊のほとんどが今は除隊している。軍に神聖視された者はいない」


 それで、来栖が少しでも負い目を感じなくなったのなら嬉しいことだった。


「楠瀬は今もここにいます。それをどうして許したのですか? 第二分隊には、忠誠を忘れなかった仲間たちが多く在籍していました。どうしてとなりにいるのが彼女なのでしょうか?」


 言ってしまっては後悔するとわかっていても、隊長でありながら裏切った楠瀬の存在は見過ごせなかった。彼女を気遣って溜め込んでいたすべてが無駄になってしまう。それでも、これを言わずして同じ作戦には挑めなかった。


「小さな巨人計画は、絶対に成功させる」宮・クレイトシスは力強く言った。「私は、そのために最高で最良の人材を用意しなければならないと考えた。巨人部隊で隊長を務めたことのある二人をこの作戦に招集しないで、いったいだれを招集するというのだ。そのために十年という歳月をかけた。決して、司令部は第一分隊の行動に賛同したわけではない」


 小さな巨人計画にかける思いは多分に伝わった。しかし、それで司令部を全面的に信頼できるわけではない。小さな巨人計画だって、本当に母が考案した作戦かもわからない。母の現状は、何も裏づけてくれなかった。

 本当に、ただ無謀な出撃を試みただけという愚かな考えが脳裏にちらついた。その思考を停止させるためにも、小さな巨人計画を残しながら無謀な出撃を試みた母に司令部は何を思っているのか確かめずにはいられなかった。


「涼子司令長官の現状を確認しました。あの姿は、小さな巨人計画に関係しているのでしょうか? あんな姿の巨人を見たことがありません」


「それについては天海から説明してもらおう」


「私たちは何度か涼子さんのような巨人を戦場で見かけたという報告や写真を受け取りました。しかし、それらと涼子さんの現状が一致しているのかはわかりません。現状では小さな巨人計画で必要となる細胞を提供してもらっています。小さな巨人Ⅰ、小さな巨人Ⅱで使用される予定です。有麻さんや大陸国家連合の見解はありますか?」


「湊崎涼子さんの名前は私もよく耳にしていました。彼女は搭乗者としての経験がありません。しかし迷わず搭乗の判断をされたようでした」有麻の目が佐久夜に向けられた。「日頃から訓練などは受けていたのですか?」


「一度も目撃したことはありません。全搭乗者が参加する訓練でも目撃したことはありません」


 佐久夜は楠瀬に顔を向けた。


「私も、見たことはありません」


「湊崎涼子さんのように搭乗者が出産されなくなってしまった巨人を、我々は『なりそこないの巨人』と呼称しています。もしも本当にあの巨人がなりそこないの巨人であったのなら、搭乗者はすでに亡くなっている可能性が高いです。こんなことを作戦前に言うべきではないことは十二分に承知していますが、希望を抱かせ、その希望が作戦への活力になってしまっては騙しているようで申し訳ないという気持ちが強くありました。私から言えることは、最悪の場合を常に頭から離さないでくださいということだけです」


 母の症状を知っている人に会えたと思ったら、それは最悪を知らせる死神だった。

 混乱している脳は母が死んでいるかもしれないということだけを処理していた。反論をしなければ、母が本当に死んでしまう。しかし、脳の整理が追いつかない。

 何も言えないでいると、楠瀬が口を開いた。


「今は作戦についての理解を深めるべきです。涼子さんについては後日、その結論に至った経緯を詳しく聞かせてください」


 俺は母の生死に関係することのすべてを保留にして、ただ作戦に必要とされた姿が現状なのだということだけを受け入れて納得した。小さな巨人計画に必要とされていることが無謀な出撃を敢行していないということにはならない。しかし、現状の母が必要とされている作戦に参加しないという選択肢はなかった。


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