第5話 小さな巨人計画3
廊下に出ると、軍の内部でも秘匿にされていた単語を目にした。
「巨人医療なんて言葉が、どうして病院でだれもが目にできるようになっているんだ」
「巨人を受け入れた国々は、巨人の子宮をもちいた再生医療が民間レベルでも実用化されているの。規制が緩和されたおかげで、佐久夜も肉体が得られているのよ。でも、若さを維持できるのは搭乗者だけの特権よ」
その特権を好意的に受け取ることはできなかった。ただ搭乗者には巨人への潤沢な細胞供給が求められているため、活発な細胞分裂が必要というだけのことだ。
エレベーター乗り場には四十八階と階数表示があった。エレベーターに乗り込むと五十五階まであることを自然と確認していた。
エレベーターは降下した。
息遣いまでもが聞こえてしまうのではないかという静寂の中で緊張感が高まり、黙っていられなかった。
「母さんは無謀なことをした。あの時点で出撃しようとも海底巨人を殺害できるはずがない。そこまでした母の残した作戦は海底巨人を生かす小さな巨人計画だった。自暴自棄になって、ただ本当に無謀な出撃を試みただけとは思えない。きっと深刻に見える現状は、小さな巨人計画にとって必要な姿なんだ」
「涼子さんの現状は、そう思わせてくれるほど勇敢なものではないのよ」
地下五階でエレベーターが止まった。
扉が開かれると、妹に似た顔を持つ巨人と同じ目線の高さにいた。
「今は訓練中なの」
駆け寄ると、ガラス越しに目が合った。
「来栖は、望んで巨人になっているのか?」
「きっと彼女は、あの作戦に参加できなかったことを今も悔いているからここにいる」
心が痛んだ。本当に一人で背負おうとしているなら、どうしてもやめてほしかった。
訓練を終えたのか巨人は腰を低くして出産体勢に入った。二人の若い男女がタオルを持って搭乗者を待ち構えていた。
「見覚えのない顔ぶれも増えたな」
女性が出産された。
本当に彼女が来栖であるのか、ここからでは判然としなかった。
「そうね。涼子さんのところに行きましょう」
三人は談笑していた。その笑みから、俺の話題ではないことだけ読み取れた。
母の面影を残した巨人は、となりの格納庫にいた。しかし、俺はそれを母と認識できなかった。
天井から伸びたワイヤーが前かがみになった巨人の体を支え、壁から伸びた何本もの細胞管が体につながれていた。
「今は外部から細胞供給を受けて延命されているような状態よ」
母の遺伝子が希釈され続ければ、いつか母がそこからいなくなってしまうような感覚に襲われた。今だって、ただ立っているだけで生命力を感じられない母のどこに語りかけていいかわからない。
目を閉じリズムの取れた力強い心音に耳を澄ましていると、ドンという大きな音を立てて何かが落ちた。とっさに開いた目は、濡れた全裸の女性を捉えていた。
「――母さんが生まれた」
顔を確認したわけではない。だが、これの子宮から出てくる人間は母としか考えられなかった。
「いいえ、きっと彼女も涼子さんじゃない。いくら生まれようとも、涼子さんだったことはないの。だから今もこうなっている」
起き上がった女性も母の面影を残していた。しかし、息子の血は彼女を母と認識しなかった。
「彼女たちは、これからどうなるんだ?」
「多くはここで働いている。来栖と話していた二人も、ここで働いている巨人の子どもたちなのよ」楠瀬は淡々と言った。「小さな巨人計画の詳細が伝えられるミーティングに行きましょう。母さんたちが待ってる」
楠瀬は母をこんな姿にしておいて、まったく罪悪感を抱いていないようだった。俺は楠瀬が裏切ったことを責めはしない。しかし、その行為から生まれた被害者を目の当たりにして謝罪の一つもないことに腹が立った。
もしも自分の決断が正しいという自負があれば、責任を果たすことのみを念頭に置き謝罪するべきではないのかもしれない。俺も間違った判断をしてしまったと楠瀬に謝罪することはない。それを楠瀬に責められることもない。だから、お互いに過去は保留にして協調路線を歩んでいくしかない。
佐久夜は頷き彼女の後ろを歩いた。
白衣を羽織った研究員にタオルをかけられる生まれたばかりの女性から目を離せなかったが、柱で強制的に遮断された。
宮・クレイトシス司令は、目覚めたばかりの俺に知りたかったことを答えてくれた。だから小さな巨人計画に賛同していれば関係が悪化することはない。
そう思い込んでも緊張はほぐれなかった。
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