第2話 海底巨人生殺与奪作戦2

   


 海底巨人の頭頂部には、巨大な穴があいていた。

 脳内を中心部へと突き進むこの穴には脳を圧排する鉄板が無数に張り巡らされ、右脳と左脳の神経をつなぐ脳梁まで銀の道が続いていた。

 そこではだれもが、底をのぞき込んだ。


「佐久夜? 聞こえてる?」


 その声は来栖だった。

 まずは会話ができるほど体調も優れているようで安堵した。


「聞こえているよ」


「ごめん、本当は私もそこにいるはずだったのに……。でも見えてしまったの。もう一人の私がこっちを見ていた。そのドッペルゲンガーが私に語りかけてきて、まるで私と入れ替わろうとしているようだった。私は、どうなってしまっていたの? このまま搭乗できなかったらどうしよう。母の期待を裏切ってしまった……」


「来栖は胎児になった体を失い、一時的ではあるが人間の支配下にない巨人に細胞を供給していた。きっと、そのときに悪夢を見たんだろう。来栖が搭乗できなかったのは、不幸な事故だ。国民の関心がそちらに向かないほどの成果を、俺が上げてくる。だから待っていてくれ」


「ありがとう。私、待ってるから。必ず帰ってきてね」


 通信が切れた。


 俺は日本と同盟国との温度差に疑問を抱いていた。

 米英両国は胎児への細胞供給が多く、胎内で成人にまで成長させていつでも出産が可能な状態にしていた。それは大きく膨れた腹部を見れば明らかだった。それに、母と祖国も考えが完全に一致しているようには思えなかった。作戦は生殺与奪の命運を握ることであるが、母は海底巨人の殺害を政府に推薦していた。


「湊崎隊長、大陸国家連合からの攻撃はありませんでしたね」


 霜月は言った。


「最低限のことだ。それができずして、この作戦の成功はない」


「全巨人部隊に通達する」湊崎司令長官は言った。「海底巨人脳内への、再降下を命じる」


「隊長、行きましょうか」


「そうだな」


 再降下は、潮が満ち頭上から海水が降り注ぐ環境で実施された。

 日本の巨人部隊は先陣を切って懸垂降下した。足裏が触れる生焼けの切断面は、二回目でもやはり気持ち悪かった。

 体に当たる海水はまだ冷たく、こたえるものがあった。脳細胞で圧迫された狭く窮屈な脳内は海水が溜まっており、そこを潜っていく。


 海水が溜まった空間を抜けると、大脳を鉄板で押し上げて作られた広い空間に出た。まだそこに海水は溜まっておらず、右脳と左脳をつなぐ脳梁に着地した。

 橋のような場所だと想像していたが橋の終わりは見えず、大地となんら変わりなかった。

 どこを見渡しても赤一色だった。溜まっていく海水は赤く染まり、その反射で自分の手も赤く見えた。


 米、英国の巨人部隊は医師の指導に基づき、より奥にある視床を目指す。胎児の成長で膨らんだお腹をかかえる日本分隊はニューロコネクトチップの埋め込みに備えて、分隊ごとに交代で大きくなった胎児を細胞レベルにまで分解して膨れたお腹を小さくする胎児の再分解を実行する。


 楠瀬くすのせ・クレイトシスが率いる第一分隊は先行して胎児の再分解を実行した。パンっと破ける音と同時に温かい羊水が大量に流れ出して、それは波となり佐久夜の足元にまで押し寄せた。

 胎児を失った巨人は人間の巨人支配率が急速に低下した。その影響は、巨人の体表に明らかな変化としてあらわれた。

 楠瀬と酷似していた容姿は面影すら残らず、生気のない静けさが漂った。

 胎児がいなくなり聞こえるはずのない心音が聞こえてくると、目を疑う第一分隊の異常に気がついた。

 巨人にあるはずのない心臓が胸で脈動しており、変化した容姿は来栖と酷似していた。しかし、来栖なはずはない。来栖を苦しめた元凶であるドッペルゲンガーが、そこにはいた。

 その変化は、第一分隊の隊員に共通するものだった。

 動揺しているうちに搭乗者の胎児が再誕生したことにより人間の巨人支配率が急上昇して巨人の胸にあった心臓は消えた。

 何事のなかったかのように容姿も楠瀬のものへと戻り、大きく膨れていたお腹は小さくなり胎児の再分解が完了した。


 いったい、何が起きていたんだ。

 第一分隊は我々の動揺を理解できていないようだった。


「第二分隊による胎児の再分解は中止とする。ニューロコネクトチップの埋め込みを続行しなさい」


 司令部の命令変更に第一分隊は急く理由を大陸国家連合と結びつけたことだろう。すぐに作業が再開された。


 全貌が掴めない脳梁は少し離れるだけでもライトの光が届かない闇へといざなう。

 佐久夜はメスで神経や血管を傷つけてしまわないように、医師の指導に従い慎重に脳梁を裂いてニューロコネクトチップを埋め込む。大きな腹が作業を長引かせ、あせりを募らせた。それは他の隊員も同じようで、作業は予定時間を超過していた。


 埋め込み予定の半分ほどを完了させると、米、英国の巨人部隊は戻ってきた。その腹は膨らんでおらず、何事もなかったのか勘ぐらせた。


「海底巨人の脳内にいる全部隊に通達する」湊崎司令長官の張り上げた声に、すべての巨人が動きを止めた。「大陸国家連合が海底巨人との意思疎通に成功したと発表した。現在、全世界に向けて会見を開いている。だが、これで我々の脅威がなくなるわけではない。脳内にいる部隊は海底巨人の血管および神経を破り生命活動の停止を最優先目標とする」


 その命令の直後、米国、英国の巨人部隊は本国から作戦の中止と海底巨人脳内の保護を命じられていた。

 それは涼子の命令と敵対していた。


「私は大陸国家連合議長のギリス・バーベイトだ。日本に所属している全部隊に告げる。きみたちの母国は海底巨人を殺害するよう提案した。しかし、その意見は海洋国家連合内でも孤立している。ただちに作戦を中止しなさい」


 それは家族を見捨てて大陸国家連合に亡命した父さんの声だった。


「海底巨人は確実に人間の脅威となる。殺害しなさい」


 母の声が、より強烈に響く。


「それは、まだ判断できる段階にない。日本の巨人部隊の中にも、巨人との対話を経験したものがいるだろう。対話できる命を絶やすことが、どれだけ愚かなことか理解できるはずだ。それに海底巨人が人間と似た容姿をしているのは同程度の知能があることを示すためであり、人間への敬意を表している。敵対とは無縁だ」


 そんな言葉には、だれも耳を貸さないと思っていた。しかし、楠瀬を皮切りに第一分隊の大半は両手を上げ投降した。

 第一分隊と俺たちでは、胎児の再分解時に発生した異常くらいしか異なる経験をしていない。あれが、巨人との対話だったというのか? だから父のたわごとで投降までしてしまうのか?


「どうしてなんだ。楠瀬――裏切るくらいの信念で任務に臨むくらいなら、出撃せず来栖の話し相手にでもなってほしかった」


 志を同じくしていた同士の裏切りに、驚きと失望を隠せなかった。それは母国と母を裏切った父と重なった。

 俺は再び母を選び忠義を尽くす。

 足を開き重心を落として、足元の血管を両手で掴む。羊水で反射した顔は自分自身と酷似しているが、人間と認識するには必要な何かが足りていなかった。


 ギリス・バーベイトはたたみかける。「愚かなことはやめろ。きみたちの中にも胎児の再分解中に自我が人間から解放されるべき真実を感じた者も多くいるだろう。巨人は我々が目指す一つの姿である。きみたちは神聖視されて迎えられる。恐れることはない」


 その言葉は、残りの第一分隊も投降させた。

 意図のわからない言葉で、第一分隊は完全に投降してしまった。意味がわからず、だからこそ警戒心が強まった。


 佐久夜は出撃できなかった来栖のことが気がかりだった。もしもこのまま投降して神聖視された帰国が叶ったとしても、出撃できなかった来栖はどうなってしまうのだ。

 俺たち兄妹の人生は巨人があらわれてから一変した。軍人になったのも、その一つに数えられる。

 それは母たっての願いであった。

 母に現在のポストが用意されたのも、俺たち兄妹の貢献があってのものだ。

 もしも兄妹が神聖視されるのなら、母の地位はより盤石になり帰還を歓迎してくれるはずだ。しかし、それを捨ててでも母は海底巨人を殺せと命令した。それは、来栖が負い目を感じるかもしれない帰還という選択を完全に排除させた。


 体が震える。

 俺は怯えているのか? そう自問すると、不敵な笑みが浮かんだ。それは恐怖という抑制を好奇心が凌駕しており、この震えが武者震いである証拠だった。

 足元の血管を食い千切ると、大量の血液が噴き出す。

 何が「人間から自我を解放する」だ。

 こんな残酷なことでも、自我がしていることなのか人間がさせていることなのか判別できない。

 こんな惨状で、自我と人間を切り離せるものか。


 これだけで抵抗は終わらない。無防備になる覚悟で、全体重をかけて背中から出血部に倒れ込んだ。

 二十本もの肋骨が海底巨人の脳細胞に突き刺さる。


 佐久夜を取り押さえようと、米国、英国の巨人部隊は急接近した。


「湊崎隊長をお守りしろ!」


 霜月の号令で、第二分隊は佐久夜を囲う。

 俺は、こいつらの忠義に報いる義務がある。

 倒れた衝撃で肋骨が折れたのか、呼吸をするだけで胸に痛みが走った。


「佐久夜? 聞こえてる? お願い、返事をして」


 来栖の声だった。

 細胞管からの細胞供給で骨はすぐに再生した。しかし起き上がる間もなく強い力で細胞管を引っ張られた。無理やり引き抜かれた細胞管は皮膚をも剥がし、その勢いで突き刺さっていた肋骨がまた折れた。

 呼びかけられていた来栖の声も聞こえなくなった。どうか、きみは生きてくれ。ここにいなくてよかった。

 なんとか起き上がろうとするが、折れた肋骨が佐久夜と海底巨人の脳を串刺しにして身動きが取れなかった。

 背中に手を回して、血が滴る肋骨を血だらけの両手で掴んで固定する。

 周辺では、佐久夜を守ろうとしていた第二分隊の隊員が抵抗も虚しく取り押さえられていた。

 俺は覚悟を決め、あまりの痛さに顔を歪めながらも出ることのない雄叫びとともに体を起こして引き抜いた。

 折れていた肋骨は一本で済まなかった。何本もの肋骨が痛々しく海底巨人の脳に突き刺さったままであった。

 それらを支えにしてなんとか立ち上がると、多くの肋骨を失った体が猛烈に痛んだ。血管が損傷したようで、傷口からは大量の血液が流れ出た。脚には亀裂が入り、神経や血管が引っ張られる感覚に襲われると血がほとばしった。


 まだ、胎児は無事だ。それだけで俺は抗える。

 足に力を入れると亀裂が大きくなり、力を削がれる。それは自然と立てなくさせた。

 這いつくばりながらも、巨人の脳に突き刺さった肋骨を掴む。

 もう一撃、どんなに皮膚が裂けて骨がむき出しになろうとも止まることはない。しかし、気持ちでは幾度となく決心して腕に力を込めているはずなのに、どうしようもなく動かなかった。


 少しずつ、決心が削ぎ落とされていく。もう、十分だ。でも、こんなはずではなかった。だれもが同じ未来を目指していた。それが、こうも脆いものだったのかよ。

 活動限界を迎えた巨人には、出産を試みる力も残されていなかった。

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