小さな巨人計画 ――巨人の子宮内殺人事件――

冠いろは

 ――プロローグ―― 海底巨人生殺与奪作戦

第1話 海底巨人生殺与奪作戦1

     


 羊水が、かかえた膝まで迫っていた。

 巨人の子宮内は暗く閉ざされ、子宮内膜に埋め込まれた通信機の明かりだけが頼りであった。


「生体管理部長の天海千景あまみちかげです。湊崎佐久夜みなとざきさくや搭乗員、湊崎来栖みなとざきくるす搭乗員、両名に通達します。太平洋の深海で発見された海底巨人の頭部が大気と接触。海面が持ち上げられ高波が発生しました。連合艦隊まで到達します。衝撃に備えてください」


 ドンという低い音と大きな傾きにより、佐久夜は少し羊水を飲んでしまった。通信機からは生体管理部の惨状を知らせる衝撃音が響いた。


「天海さん、大丈夫ですか?」


「大丈夫よ。これから二人は、湊崎涼子みなとざきりょうこ司令長官に体を構成する細胞のすべてを巨人に供給することが命令される。それは現在の体を失うことになるけど、新しくあなたたちの体になる胎児の誕生は人間の巨人支配率を高め、栄誉ある巨人の搭乗者となる。巨人に搭乗して海底巨人の頭部に上陸するあなたたちと司令長官の会話は、もしかしたら親子で交わす最後の言葉になるかもしれない。それを心にとどめておいて。通信回線を切り替えるわね」


「司令長官の湊崎涼子です。二人には、これより巨人への細胞供給を命じます。二人は私の誇りです。兄妹で生き残りなさい」


 その声色は、司令長官としての重責と佐久夜たちの身を案じる優しい母の感情とが交錯していた。

 佐久夜は搭乗時に携帯する、体細胞の核が移植された成熟卵に無事を祈願した。

 次は、これが俺の体になる。それをクローンだとは思わない。自我さえあれば、俺になる。


「わかりました。これより、巨人となりましょう」


 佐久夜は誇りを胸に高々と宣言した。

 羊水が注入され全身を満たすと、佐久夜の意識は薄れていった。




 戦闘指揮所は光学センサー、赤外線センサー、各種レーダーの情報を現実の情報と合成する拡張現実を全方位に採用していた。

 海上では味方の数十にもなる戦艦と隊列を組んで、太平洋の横断を遮断するほど巨大な海底巨人と対峙していた。

 モニター越しの海面に反射した光がみや・クレイトシス参謀長の金髪を輝かせた。


「湊崎司令長官に生体管理部から報告です。佐久夜搭乗員、来栖搭乗員、以上二名の細胞は人体の許容を超えた速度で細胞分裂を実行。人間の形状を消失しました。巨人へは体細胞、生殖細胞、神経細胞、グリア細胞、いずれも順調に供給されています。ニューロン内を流れる電気信号はコンピュータ疑似脳内で複製されており、自我の保護を完了いたしました。これにて第一次細胞供給は無事に完了です」


「わかった。私は生体管理部に向かう」


「母の仕事をなさってください」


 涼子は出入り口で歩みを止め振り返ると、全員が起立をして衆目をただ一点、私だけに向けて敬礼していた。その敬意には敬意で報いようと、足をそろえ直立不動で全身全霊の敬意を敬礼で体現した。


 涼子は生体管理部のガラス越しに二体の巨人を見上げた。

 まだ完全に人間と融合していない巨人は人間の形をなしているが、まるでただマネキンが突っ立っているだけかのように人間味がなかった。

 生体管理部長の天海は長い髪をかき上げ、モニタリングデータを注視した。


「体細胞の核が移植された成熟卵は細胞分裂を繰り返して表面を栄養膜、内部を内細胞塊で構成する胚盤胞に変化。栄養膜は子宮内膜上皮と接着。栄養膜細胞の子宮内膜侵入を確認。胚盤胞は子宮内膜に覆われ埋没して胎盤が発生。胎児の鼓動を検知、胎児の誕生は人間の巨人支配率を上昇させました。巨人へ供給されている胚性幹細胞は皮膚を形成、巨人の体表に変化があらわれます」


 タンパク質と水分は無機質だった巨人に肉体を与え、筋繊維が肉体を引き締めると骨格や脂肪のつき具合で男女の違いが発現した。しかし、人間と巨人とが入り混じったそれは顔つきが搭乗者と酷似しているだけの人間もどきであった。変形した胸骨は甲冑のように胸部を守り、そこから伸びる肋骨は背骨につながらず背中から突き出ていた。下半身は寛骨が体表にむき出し、伸び続けるそれが膝上までを覆った。

 涼子は体表の変化を見届けると、胎児のモニタリングデータを重点的に確認した。


「天海部長、佐久夜機の胎児は成長が早い。左腕を切り落として胎児ではなく巨人への細胞供給量を上昇させてください」


「わかりました。これより左腕を切断します」


 巨大な回転する刃が上腕の皮膚に触れると血しぶきを降らせ、こまかく散った肉や粉砕された上腕骨が勢いよく強化ガラスに当たる。鳴りやまない心地の悪い切断音は、同族の切断をやめてくれと人間の防衛本能に訴えかけているようであった。

 肉と骨を断たれた左腕は気持ち悪く伸びきった皮膚で垂れ下がり、ぶちぶちと音を立てちぎれ落ちた。

 その衝撃は地響きを立て、生体管理部を襲う。涼子は机を掴んで体を支えた。


「天海部長、報告をお願いします」


「巨人への細胞供給量が上昇。巨人は胎児の成長速度を低下させ、左腕の再生を優先させています。胎児となった佐久夜と来栖の脳は巨人の脳を介してコンピュータ疑似脳に保管されていたニューロン内の電気信号を同期して自我を複製。第二次細胞供給を完了しました。二体の巨人は意識を覚醒します」


     


 佐久夜は巨人の意識となり、巨人と胎児、二つの体の成長を感じていた。母の声が届いても、まったくこちらの声が届かないのは胎児としての宿命なのだろう。

 巨人の意識でありながら芽生えた胎児としての自覚は、俺の自我を人間に回帰させた。それを生体管理部は意識の覚醒と言った。

 ガラス越しに母が見上げていた。その目は腕を切り落とした他人行事なものでなく、初めて巨人を息子と認識しているようであった。


「まずは二人に海上の無人偵察機が撮影した海底巨人の映像を見てもらう」


 通信は、巨人に外部から細胞を供給するためにもちいる細胞管さいぼうかんが背中につながれて可能にしていた。

 佐久夜と生体管理部を遮っていたガラスに映像が流れ、母の姿が見えなくなった。

 海上に出現した巨大な海底巨人の右目は広大な地平線を遮り、太陽をも覆い隠した。光を反射しない大きな眼球が振動すると轟音で海が震え、それは闇が蠢いているようであった。

 海面は海底巨人が産み落とした巨人で埋め尽くされ太陽光を吸収していた。すべての巨人兵器は、そこから回収されたものが使用されている。それは佐久夜が搭乗する巨人も例外ではなかった。


「まだ海底巨人は、そこにいるだけの存在だ。しかし、それがいつまで続くかもわからない。海底巨人の脅威を一番に感じているのは、我々が誇る海洋国家連合である。よって、海洋国家連合安全保障理事会で可決されたこの作戦の到達目標は海底巨人の生殺与奪権を握ること、その一つに尽きる」


 海底巨人の頭部が拡大された。

 円形に開頭された前頭葉は、大脳皮質を晒していた。

 生体管理部にアラームが鳴り響くと天海は声を張り上げた。


「来栖機に異常が発生。人間の巨人支配率が急速に低下しています。基準値を上回る活発な巨人への細胞供給は胎児の肉体を完全に喪失させました。しかし細胞の供給は止まりません」


 俺は動揺しなかった。それも、このまま任務を継続した場合とどちらが危険であるのかを脳内で天秤にかけていたからにほかならない。


「来栖機は巨人への細胞供給を停止させて、胎児の育成に細胞を使わせろ」涼子は顔色一つ変えずに佐久夜を見上げた。「問題はない、動揺するな。巨人部隊の任務は海底巨人の頭部に上陸して、右脳と左脳の脳神経をつなぐ脳梁と脳の中心部に位置する視床に巨大なニューロコネクトチップを埋め込むことだ。これはニューロン内の電気信号を解析して神経伝達物質の働きを制御することが可能であり、巨人の行動を支配する。この任務は海洋国家連合にしか成し遂げられないものであり、生殺与奪を握ることと同義である」


 力強い母の言葉に、俺は体に力が入った。


 涼子は言葉を続ける。「この作戦を成功させるには、まず頭頂部の場所を特定する必要がある。その場所は脳内を流れる脳脊髄液の川が右脳と左脳を隔てる硬膜に沿って脳の中心部へと向かっているため、流れが急になっている。こちらも巨人部隊の位置を補足しているが、すぐに気づけるだろう。すでに大陸国家連合は海底巨人を人間と同じ知的生命体として扱い、人道的な種の存続を約束している。政治的な介入は必至だ。そして――」


 涼子は言葉を詰まらせた。そんな姿を見かねた天海が代わりに口を開いた。


「海底巨人が海洋国家連合に攻撃不能なほどの損害をもたらすと予想される大きな動きや、大陸国家連合から作戦遂行が困難と判断せざるをえない介入があった場合は、即座に脳内を標的としたミサイル攻撃を実行する。これは決定事項であり、不可逆的な作戦である」


「必要な装備は開頭部にて準備が完了している。天海部長、佐久夜機の最終点検をお願いします」


 涼子は母だからこそ、毅然とした態度で言った。


「細胞供給量、人間の巨人支配率、胎児の成長速度、すべて正常の範囲内です。湊崎司令長官、佐久夜機の発進許可をください」


「この作戦に親子で参加できることは、私にとってこの上ない名誉だ。天海部長、発進を許可します」


 涼子は敬礼をした。

 その真剣な眼差しは、来栖のことよりも作戦の行く末を見据えていた。


「佐久夜機、発進します」


 天海のかけ声とサイレンが艦内に鳴り響く。佐久夜機は床ごと上昇すると頭上の装甲が開かれ艦の甲板に出現した。大気は削られた頭蓋骨の粉塵で濃い霧がかかったかのように太陽光も薄っすらとしか通さず、海は血液で赤く濁っていた。

 眼前には空母が連なっていた。そこを全力で疾走する。一歩ごとに空母が大きく沈み込んで、赤い水しぶきが上がった。

 先頭の空母を勢いよく踏み切ると海底巨人の前頭葉に飛び移った。蹴り出された空母はより深く沈み込み、一段と大きな水しぶきを上げた。

 頭部なのだからもっと丸みを帯びているものかと思っていたが、その巨大さから巨人の動きを観測する施設も建設できるほど平坦に近かった。


 開頭部には皮膚や肉の切断に使用したであろう切っ先が細く鋭い巨大な剪刀が固定され、切開創を複数のヘラが最大限に展開していた。

 のぞき込むと奥深くで大脳皮質が心臓のように鼓動しており、その気持ち悪さと鼻をつく鉄の臭いが相まって、戦場を数多く経験した老兵でも体調を崩した。


 その大穴を囲うように日本、米国、英国の巨人部隊が集結する。直径五メートルはあろうかという四角いニューロコネクトチップは細胞膜に包まれた状態で積み上げられていた。

 佐久夜は巨大な薙刀のようなメスを握り頭部にカメラを装着した。


「湊崎隊長、準備が整いました。緊張しますね」


 部下の霜月慎也しもつきしんやが同じく装備を整えて言った。


「これは俺たちにしかできないことだ。恐れる必要はない」


「こちら司令部。カメラの映像は正常に届けられている。日本の巨人部隊は海底巨人の脳内へと降下せよ」


 涼子は言った。


 佐久夜はロープを脳内に垂らした。細胞管が命綱になってくれるだろうが、それで安心できるほど簡単な任務ではなかった。

 各国の巨人部隊が開頭部を囲い、続々と電気メスで止血された厚い頭皮の切断面に足裏を密着させ懸垂降下する。

 止血の際に出た煙の中を潜っていく。狭い空間にこもる強烈な鉄の臭いは一段と濃くなった。

 すでに破かれた硬膜とクモ膜の層を通過すると足元では脳脊髄液が流れていた。垂らされたロープは流れに沿って頭頂部への道を示した。


 佐久夜は足先から慎重に入水する。胸のあたりまで沈んでも足がつきそうにないほど深く、底に見える大脳皮質がおぞましく思えた。

 すべての隊員が入水すると、水流に沿って明かりが届かない奥へと進む。周囲を赤い壁で囲まれ、浮き出る太い血管がまるで巨大なミミズのように思えてくると、佐久夜は前回の健康診断で血管が綺麗だと褒められたことも嬉しくなくなってきていた。

 ロープの先が急落して見えなくなっている地点まで到達した。その滝のような場所は、右脳と左脳を隔てる硬膜の壁が脳の深部へと続いている場所だった。


「目標地点の頭頂部に到達しました」


 佐久夜は言った。


「巨人部隊の位置は補足している。これからその地点を開頭して、剪刀で硬膜の剥離作業を進める。巨人部隊には、新たに開く穴から再降下してもらう。撤退せよ」


 湊崎司令長官の命令で歩いてきた道を引き返す。

 頭蓋骨を切断する音は聞こえないが、微細な振動が伝わってくる。

 海底巨人が少し動くだけでも作業は中断される。しかし、時間との戦いは避けられない。すべてが順調であっても大陸国家連合の動き次第で頓挫してしまう。


 海上の部隊は「ミサイル攻撃があっても巨人の皮膚に守られているから心配するな」と冗談交じりに言っていたが、お互いにミサイルが投下されたら無事では済まない。しかし、その冗談にも本気が混在しているようだった。

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