第1話 炎上少年・千ヶ崎煉

「ウソだろ……!?」


 一人の少年が、ガタッ、と椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。

 その目の前にはパソコンモニター。

 暗闇の中、少年の青ざめた顔が煌々と照らされている。


 少年の名前は、千ヶ崎煉ちがさき・れん

 名前の煉は、煉獄の煉と書く。


 その名の通り、彼は今、煉獄にいるような苦しみを味わっていた。

 見かけたニュースサイトの情報が、彼にとってあまりに衝撃的だったからである。


「『人気Vtuber篝火くれない、一ヶ月の活動休止』……」


 その見出しを反芻すると、煉はよろよろと蹌踉めきながら、ぼふ、とベッドに飛び込むと、枕に顔を埋めて――


「あああああああ! 僕のくれちゃんがああああ! やだあああああああ!」


 思い切りそう絶叫した。


 千ヶ崎煉は、そのVtuberのファンだった。

 大手Vtuber事務所『アオライブ』所属の人気女性Vtuber、篝火かがりびくれない。

 それが、彼が愛したVtuberの名前だ。


 ガチ恋なんて大それたものではないのかもしれない。

 ただ、それでも彼には日常生活のすべてが彼女のためのものだった。

 配信は見れるだけ見ていたし、楽曲もいつもスマホに入れてヘビロテしていた。


 そんな篝火くれないの身辺がキナ臭くなったのはほんの数日前。


 なんでもないFPSゲームの実況配信中に、連絡アプリ『DISCOZA』のメッセージが映り込んだのだ。

 それは、男性Vtuberとのデートを約束するものだった。それをきっかけに、篝火くれないはあれよあれよと炎上。

 先に述べた、活動休止に追い込まれたというわけである。


「ううう……なんだよ、ばかやろー……どいつもこいつも好き勝手言いやがって……」


 ネットは荒れに荒れていた。

 それはもう、嵐のように。

 だが、煉はむくり、と起き上がると――


「ええい、言いやがって言いやがって言いやがって!」


 再びパソコンの前に座り、カタカタと文字を打ち始める。

 火中に栗を投げ込むように。XY(旧Tweeter)に篝火くれない擁護の書き込みを。

 推しが馬鹿にされて黙っていられなかった。

 たとえ無謀な戦いでも、風車に立ち向かうドン・キホーテのように立ち向かっていく。

 ファナティック(狂信的)だからファンなのである。


@Ren_Chigasaki

【くれちゃんも、人間だろ! 男と遊ぶぐらい、いいじゃんか! 批判してるやつら、一回も異性と遊んだことないのかよ! それとも元々友達いないのかよ!】


「……ふう」

 書き終えて一息つく――

 暇もなく、その書き込みが、凄まじい勢いで炎上し始める。

 鳴り止まない通知!


【おいおいおい! なんだぁこいつ! 彼氏発覚したのはくれないなのに、俺たち一般市民を攻撃してきたぜ!】

【こんな特級呪物にまだファンがいるとか信じられねえな!】

【ドル売りしてる箱なんだから当たり前だろ。プロ意識が足りねえんだよ!】


「ぐぬぬぬぬ……!」


 あっという間に、煉のつぶやきが「アホで盲目的なファン代表」として俎上に載せられた。

 カシャカシャ、とアホみたいにリポストの数字が増えていく。

 そして、雪だるま式に、投げつけられる悪意も増えていく。

 一人一人は牽制球を投げているつもりでも、1万人に投げられたら、対象者は散弾銃で撃たれるのと同じなのである。


「あいたたた! やめて! もういいから! 炎上、止めてーーーーー!」


 千ヶ崎煉は、椅子に座ったまま、打ちのめされていた。

 胃が痛い。

 思わず吐いてしまいそうなくらい、内臓が締め付けられている。

 並み居る悪意に感情さえも否定されて、自分がとても卑小なものに思える。


「うう、胃が痛い……でも……他にも擁護してるファンいるのに、なんで僕だけ――」


 煉は、再びクリックしてネットの反応を確かめる。


「なんで僕だけ、何を書き込んでも炎上するんだよおおおお!」


 千ヶ崎煉。

 彼は、物心ついた時から自他ともに認める『炎上体質』の少年だった。


   *  *  *


 炎上が一段落したあと、煉は夜中にも関わらず家を出る。

 落ち着くため、自販機で飲み物だけでも買ってこようと思ったのだ。

 空を見上げれば、大きな満月が輝いている。

 少年の心を慰めてくれるものは月の美しさだけだ。

 煉は傷心のまま、パーカーに手を突っ込み、耳にイヤホンを刺しながら街を徘徊する。


「はあ」


 イヤホンに流れているのは、篝火くれないの代表曲。

 『君と行きたいアルカディア<理想郷>』である。


 ♪好きなんだから 好きでいいでしょ

 まだまだわがままでいなくちゃ

 高速道路突っ切って、建ってる家まで突っ切って

 君となら 行けるよアルカディア<理想郷>♪


「うう……染みる」


 そして、10分ほど歩いて、コーヒー缶を買うと、その場で蓋を開ける。

 ぐっ、と飲み干してからまた月を見上げる。


 煉はぼんやりと思う。

 くれちゃんの歌は、自分が好きなものを好きでいることに自信をくれた。

 高校を中退して、引きこもっていた自分にとって、すべてを肯定してくれる福音だった。

 だけど――今はネットのどこを見ても自信が揺らぐ。

 自分の「好き」だという気持ちさえ、どこかに吹き飛んでしまいそうだ。


 どうにか――彼女を守る方法はないのだろうか。

 ファンとして、くれちゃんのためにできることは何かないのか――


 そんなことを考えながら歩いていたからだろうか。

 最初は気付かなかった。

 自分の家の前に出現していた黒い塊に。


「いて」


 なにかに躓いて転びそうになる。

 なんだ?

 太い、丸太のような……と振り返って、それが生きた人間の身体だったことに気付く。


「うわっ!」


 家を出てから、自販機のところに行って帰ってくるまで十数分の間しかなかったはずだ。

 だが、その十数分の間に、自分の家の前に、全身黒ずくめの服に身を包んだ薄汚いおっさんがどこからともなく現れ、表札の前にもたれかかって座っていたのだ。


 その中年男性は見た感じ、三十代くらいか。

 あごには無精髭。頭髪は黒髪で、ミディアムヘアーに目が隠れるぐらいの前髪。

 よく見たら、黒ずくめだったのはよれよれのスーツを着ていたせいだとわかる。

 ……酔っ払って行き倒れたサラリーマンだろうか?

 どことなく、饐えた臭いがする。

 もしかしたら酔っ払ってゲロもぶちまけたのかもしれない。

 人の家の前で。迷惑極まりないことに。


「……おっさん、おっさん」


 煉は、身体を揺すってその酔っ払いの男性を起こす。


「……あぁ?」


 俯いていた男性は気怠げに顔を上げる。


「ここ、人の家の前なんだけど」


「……ああ……それはすまなかったな。なんというか少々――」


 立ち上がろうとした男性だったが、いきなり口を押さえると――


「……酒を飲み過ぎて……うぷっ」


 言葉の途中で、路上に向けて盛大に嘔吐した。


「ゲロゲロゲロゲロ!」


「うわあああ! きったねえーーーーー!」


 反射的に、煉は後ずさる。

 だが――そんな煉に向けて男性が手を伸ばし、がし、と肩を掴んで引き寄せる。


「ひいっ!?」


 煉は、ゲロが飛んでくるかと思って身構える。

 取り越し苦労だった。

 吐瀉物の代わりに、かすれた声で男性がこう言った。


「少年、頼みがある……」


「な、なんですか……」


「み、ず……水……を……飲ませて……くれ……」


   *  *  *


「なんだよもう、あのおっさん、酔っ払いのくせにゲロは吐くわ注文が多いわ……」


 酔っ払った男性を玄関の前に放置しておいて、ぼそぼそ愚痴りながら、煉は水道水をコップに注ぎ込む。

 まあ、些事で気が紛れるのはほんの少しだけ助かった所もあったのだが。


「……ふう」


 そして煉が、コップを流し台に置いた瞬間――


「ありがとう、少年」


「うわっ!」


 煉の背後からすっと手がコップに伸びて、それを奪い取った。


「い、い、家に入ってくんなよおっさん! 許可出してないだろ! 警察呼ぶぞ!」


「すまない、手持ち無沙汰だったものでな……おや」


 男性は、煉の部屋へと真っ直ぐに向かい、そのパソコン画面を覗き込む。


「ははっ。お前……炎上してるぞ」


 画面を指差してそう言う。

 画面の中では、永遠に続くかと思われるくらい、XYの新しい返信通知が増え続けている。


「おっさんあんた、ずかずかと家にあがるばかりか、人のパソコンまで勝手に覗くなよ……」


 そして、煉は部屋に入ると、パソコンモニターの電源を切るために手を伸ばす。

 その指が電源ボタンに触れようかという刹那――

 ガシ、と煉の腕が掴まれた。


「……え?」


 力強く、素早い動きだった。

 それはもはや、酔っ払いの動きではなかった。

 そして男性の目付きが、一際鋭いものに変わっている。


「……思ったことはないか? 子供の頃から……他の人と同じようなことをつぶやいているのに、なぜ自分だけ炎上するんだ、と」


「な、なんだよ急に……」


「実は、俺はお前のことをずっと調べていた。お前がネットで炎上する度にな。千ヶ崎煉、だろ?」


 煉の全身に寒気が走る。

 こいつ……何者だ?


「で、出て行け、おっさん! 警察呼ぶぞ!」


 煉は、虚勢を張りながら手近にあったはたきを掴み、ぶんぶん、と振り回す。

 だが、男性はひょいひょい、とはたきを躱し続ける。そればかりか――


「Vtuberが炎上したんだろ? お前の『推し』の」


 その言葉に、煉の手が、ピタリと止まる。


「あんた、なんで、そこまで――」


 戸惑う煉にさらに投げかけられたのは――悪魔が契約を迫るようなお決まりの文言だった。


「――なあ、千ヶ崎煉。『力』が欲しくないか? お前が望むなら……俺はその力をお前にやることができる。その子を守るための力を」


「……何を、言ってるんだ、おっさん?」


「よく言われるよな。ネットでは、【何を言ったか】より、【誰が言ったか】の方が重要だと。俺も――昔は理不尽な話だと思っていた。そもそも『炎上体質』とは何なのか。それは、誰かが何か発言した時、文脈をすっ飛ばして誰かにイラッとさせる『体質』とも言える。その度合いが、全人類で1~100までばらけてるとしたら――100の人間もいるってことだ。だから俺はお前を探していたんだ。俺と同じ100の体質を持つ、お前を」


「だから意味がわからないよ……。あんた……一体何者なんだ?」


 中年男性は――少しだけ姿勢を正し、襟元を直してからこう言った。


「自己紹介が遅れたな。俺は匂坂さきさか……いや、違った。今は八雲焔やくも・ほむらと言う」


「八雲……? その苗字、どっかで……」


「千ヶ崎煉。お前にチャンスをやる。これは、お前のクソみたいな人生を変える、ただ一度きりのチャンスだ」

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