第78話 耐えた先にある再会
———さて、カーラさんに笑顔の練習をしておけと格好付けてみたものの……本当にどうしようかな。
俺は互角に何とか渡り合いつつも、彼女の身体に染み付いた純粋な武術の技量との差で徐々に押されている現状に内心舌を打ち———一度大きく後退する。
結果的に言えば、俺の魔法の発動は成功した。
身体能力は遥かに向上し、身体の底から力が湧き上がってくる。
集中力も今までとは比べ物にならないほど高く、今ならどんなことでも出来そうな気すらしていた。
ただし……。
『ケケケッ、その形態はやベェなァ……下手したら魂が崩壊するぜェ?』
という世にも怖いお墨付きをスラングに貰ってしまった。
ただ、奴の言っていることも分かる。
うまく言語化出来ないが……立っている場所が突然崩れていくような、1番大切なモノが突然消え去って茫然自失するような……とにかく底知れない喪失感が俺の中で渦巻いている。
きっとこの喪失感こそ、魂が悲鳴を上げている何よりの証左なのだろう。
ただ別にそんなに難しく考えなくても良い。
もちろん大焦りはしているが……対策もちゃんとある。
要は———魂が崩壊する前に全てを終わらせればいいだけの話。
うん、本当に簡単な話。
俺が頑張れば死なないという至極単純で分かりやすいことであり、この世界みたいにまどろっこしくなくて良い。
「やってやりますかっ……俺に掛かればちょちょいのちょいよ」
『言うねェ……それで内心まで取り繕えてなら完璧なんだがなァ?』
お黙り!
折角俺がやる気を出してるんだから空気の読め馬鹿野郎。
俺はテンションでその日のコンディションも強さも変わるんだよ。
『頼むぜェ。流石のオレもテメェのフォローまでは出来ねェからなァ』
「お前のフォロー何か要らないっつーの」
誰がお前なんかにフォローを頼むかっての。
これ以上フォローなんてされたらいよいよこの戦いが終わった瞬間に全寿命を吸い取られそうだし。
俺がそんな考えを巡らせて頭が痛いとばかりにため息を吐けば……。
『———ケケケッ、まだそんな脅しを信じてんのか?』
…………は?
スラングが馬鹿にした様子で嗤う中、俺はこの悪魔の言っている意味が分からずポカンと呆ける。
いや……は?
え、どういうこと?
代償が寿命って……それが嘘?
『お、お前……本気で言ってんの……?』
『ケケケッ、本気だぜェ? これからテメェの寿命なんかよりよっぽど契約の対価として有能なモノが手に入るからなァ』
俺はその言葉に珍しくピン来た。
この性悪悪魔が言っているのは、恐らく黒魔龍の魂のことだ。
俺の老化という身体的寿命がないのを考慮すると、悪魔のいう寿命とは魂が消滅するまでの時間なのだと思う。
そして目の前には———根本的に俺の魂とは別次元の力と恒久の寿命を持つ強大な魂が転がっている。
……うん、俺の寿命とか要らんやん。
てかこの黒魔龍の魂が食べたいから俺と契約しただろコイツ。
何て考えていると、スラングが面白がりながら言う。
『お、やっと分かったか? まぁだが、テメェなら本契約をしても良いと思ったのは本当だぜェ?』
『テメェ良くも俺を騙したなこの野郎!! 俺がどれだけの覚悟で決断したと思ってやがる!?』
これだから悪魔って奴は良い印象がねーんだよ!!
美女ならまだ許せるかもだけど……男のスラングテメェは駄目だ。
『カハハハハハハハッ、騙される方が悪ぃんだよォ!!』
『クソッタレ野郎が!! いつかボコボコにしてやる!!』
俺は内心スラングの言葉に激怒するも……必死に呼吸を整えて怒りを抑える。
怒りに支配されたままじゃあの災厄野郎には勝てない。
そう数回深呼吸を繰り返したのち、俺は何故か全然攻撃してこない黒魔龍の様子に不思議に思いつつも———刹那の内に黒魔龍の懐に入る。
もはや感覚的にさっきから速くなったのか分からないが……黒魔龍の驚愕を灯した瞳を見る限り速くなっているのだと思う。
「ふっ———ッ!?」
「分かっているぞ、貴様の狙いなんぞなッ!」
バッと拡げた漆黒の左手が、黒魔龍の顔面を掴まんと伸びる。
ところが途中までピクリとも動いていなかったはずなのに、既で途轍も無い速度で身を翻して攻撃を躱す黒魔龍。
更に反撃とばかりに放たれた神速の蹴りが俺の腹を穿ち———何とか腹に力を込めて風穴が開くのは塞いだものの、内臓が衝撃で破裂し、俺は歯を食いしばって痛みに耐えながらよろめくも。
「ぐっ……へへっ、温いぞ馬鹿野郎……ッ!!」
「!?」
死の足音が徐々に近付いてくる感覚に冷や汗を流しつつ、ニヤッと気丈な笑顔で体の軸が後ろにあるにも関わらず、再び左手を伸ばす。
まさか体勢を整えることなく仕掛けてくるとは思っていなかったらしい黒魔龍も、これには焦燥を瞳に宿したまらずバックステップで避ける。
奴にとってこの戦い初めての後退だった。
「くっ……」
「おっ、どうした災厄さんよぉ? こんな才能もない一般兵士の俺相手に後手に回っちゃって大丈夫?」
自らの焦燥を隠すように煽れば、黒魔龍がプライドが傷付いたとばかりに苦虫を噛み潰したかのような苦々しい表情に顔を歪める。
どうやら俺が思っていた以上に大変なお怒りの様だ。
俺はその揺らぎを逃さず———駆け出す。
最初からトップスピード。
一直線にヤツへと突撃する。
「真正面から何ぞ、嘗められたモノだな———ッッ!!」
しかし憤怒に顔を歪めつつも一切動じることなく膨大なオーラを右手に収束させた黒魔龍が避ける間もなく俺の胸を穿つ。
空間が癇癪を起こす。
鼓膜が一瞬で弾け飛ぶ衝撃波が叫ぶ。
身体が風船のように破裂する。
痛みが頭をガンガン叩く。
それをたった一撃で生み出したモノだとは———本当に規格外だと驚嘆させられる。
しかし———今回は俺の読み勝ちだ。
俺はぽっかりと開いた胸を気にすることなく背後に回ると———逃げられない様に羽交い締めにする。
同時に心の中で叫んだ。
『おい、さっさとやれ!!』
『カハハハハハッッ!! テメェやっぱりおもしれー奴だなァ!! さぁ叫べ!!』
俺は頭に流れてくる言葉を胸が塞がって声が出るようになったと同時に発する。
「『【
瞬間———俺の両手から漆黒のオーラが漏れ出す。
オーラは幾つもの鎖となってカーラさんの胸の中に吸い込まれていく。
「な、何だこれは……!?」
「今更驚いても遅いっつーの! 大人しく消え去れバーカ!」
自らの魂が喰われていることに気づいてらしい黒魔龍が驚愕の声を上げながら俺の腕を振り解こうと藻掻くが……身体スペック自体は同格となった今、此方が簡単に振り払われる所以はない。
しかし向こうも馬鹿ではない。
頭を大きく前にしたと思ったら———。
———バキャッッ!!
俺の顔面に後頭部が直撃する。
頭が揺れるなんて生易しいものではなく、咄嗟に首を捻ったものの、顔の左半分がへしゃげた。
い、痛い痛い痛い痛い!?
え、普通に腕吹き飛ぶとかより断然痛いんですけど!?
目ぇ潰れてるし鼻もボキボキだよね!?
「テメェ……なんつーことを……ぐあっ!?」
「離せッ! 離せぇぇえええええええッッ!!」
よほどこの技か魔法か良く分からん悪魔の技が効くのか、俺を消し飛ばそうとカーラさんの身体の内側から膨大な漆黒のオーラが吹き荒れ、悪魔の黒と黒魔龍の黒のオーラがぶつかり合い、激しい火花を散らす。
『痛いんですけど! まだか!? まだ何か!?』
『あと……15秒くらいかァ?』
15秒……つまりはまだ半分。
この地獄みたいな怒涛の【無限再生】頼り切りの時間を過ごさなければならないわけで……普通に頭がおかしくなりそうだ。
「ぐっ……クソッ……早く……」
「離セ離セ離セ———人間風情ガァアアアアアアアアアアアアッッ!!」
「うおっ……!? くっ……ぁぁぁぁぁああああああああっっ!!」
更に発せられるオーラが強まり、物量によって身体が吹き飛ばされそうになるのを必死に腕だけでしがみついて耐える。
それだけでなく、脇腹や胸に撃たれる裏拳や肘打ち、頭を砕かれる頭突きも【無限再生】に頼り切りになりつつも耐える。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
耐えて。
「———全く……本当に君は馬鹿だな」
呆れを多分に孕みながらも此方を気に掛けるような親愛の籠る声色の音が、必死に耐えていた俺の耳朶を揺らした。
懐かしくて……今一番聞きたかった声。
あの時俺を絶望の淵から救い出してくれた声。
共に笑い、共に平和な日々を過ごした声。
そんな懐かしい声に俺は痛みや疲れを忘れ、心の底から湧き上がる感情を何とか飲み込んで……それでも堪えきれずふっと笑みを零す。
「アンタにだけは言われなくないな。なにとんでもないバケモンを身体の中に封印してんのよ」
「仕方ないだろう? 身体の中の魂相手には私もどうしようもないんだ」
「うっそだーっ! チート騎士のアンタなら魂くらい斬れるでしょ」
だって規格外を地で行くチート騎士だもの。
出会った時だって霊体のゴースト細切れにしてましたやん。
俺はそんな軽口を交わしつつ、先程から荒々しく俺の身体を蝕んでいたオーラも鳴りを潜め、振り解こうとする力すらなくなったカーラさんの身体をゆっくりと離す。
昔は俺より遥かに高かった彼女も、今では俺と殆ど変わらない。
「———ふふっ、君は本当に君のままだな。今も昔も……私を明るく眩いくらいに照らしてくれる」
そう言って此方に振り返るカーラさんは———ハラハラと塵になって空に舞うオーラを背に、瞳を半分元の黒色に戻し、そちらの方の瞳からキラキラ輝く雫を浮かべていた。
———あの頃と同じ嬉しそうな笑みと共に。
その笑顔を見た瞬間———俺の中の何かが決壊した。
もう止まれなかった。
もう我慢できなかった。
視界がぼやける。
目頭が燃えるように熱い。
ただ嫌じゃない。
寧ろ懐かしさすら感じる。
この日を心の何処かでずっと待っていた。
俺を救ってくれた恩人に、俺が貴女のお陰でここまで来れたと胸を張って話したかった。
いつも巫山戯てばかりの俺だけど。
いつもやらかしてばかりの俺だけど。
俺には貴女以外に共に戦い、心から信頼できる仲間が出来た、と。
俺には貴女以外に一緒に笑って、何かと世話を焼く仲間が出来た、と。
俺には貴女以外に自らの過去を打ち明けられる仲間が出来た、と。
でもまずは———もう2度と言えないと思っていたあの言葉を送ろう。
あの頃見せられなかった心の底からの笑顔と共に。
「———おかえり、
「———ただいま、
空に舞い散る白銀と漆黒の花びらが。
黒雲の隙間から差し込む柔らかく淡い月光が。
辺りにおりるゆったりとした静寂が。
———濡れた笑顔と共に抱擁を交わす者達を、どこまでもそっと包み込むのだった。
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