第53話 父と娘の最後の会話

「———お前は……」


 初めてクソジジイの視線が俺に向く。

 相変わらず死んだような見た目をしているが……僅かに驚いている気配を纏っている。


「悪いな、生憎お前程度に名乗る名は持ち合わせてないんだわ。お前程度に名乗っちゃったら折角付けてくれた両親が可哀想だからさ」


 何て煽りを挟みつつ、未だピクピクと口角が痙攣している俺は、ズカズカと巫山戯たことを抜かすクソジジイの下へと闊歩する。

 その時当然、俺と手を繋いでいるセラは引っ張られるわけで……俺が何をしようとしているのか理解したセラが慌てた様子で口を開いた。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ! きっと……きっとお父様だって本心で言ったというわけでは……!!」

「……何で庇うんだよ。本来目と目があった瞬間に殺されても文句言えんことをお前にしてんじゃねーか、このクソジジイ。それに……お前が傷付いてる姿を俺は見てられないんだよ」

「で、ですが……」

「大丈夫、死なないように加減はするからな」


 そういうわけでは……と言いたげに鋭い視線を此方に向けてくるセラだったが、俺が1度言えば曲げない強情野郎だと知っているので、それっきり何も言うことはなくなった。

 これで俺の歩みを邪魔する者はいなくなった。


 はぁ……やっぱ俺には我慢ってのは性に合わないな。

 てか結構我慢したんだしもういいだろ。


 静かに怒りを燃やす俺が一向に歩みを止めないことで本気であることを悟ったらしいクソジジイが僅かに慌てた様子で言葉を紡ぐ。

 

「ま、待て……」

「あーあー聞こえないなー。まぁ聞こえててもやめたりしないんだけどね」


 俺はわざとらしく聞こえないふりをしてベッドの真横で立ち止まると……セラに表情が見られない位置で———ずっと裏に隠していた表情を久し振りに露わにする。




 ———嘗ての様に、心の中に巣食う様々な負の感情がドロドロと混ざり合って溢れ出した醜い表情を。




 その表情を見たクソジジイが今日始めて露骨に表情を変化させた。

 

 目を大きく見開き、その瞳の奥に感情の色を宿す。

 蛇に睨まれた蛙の様に、純粋な死の恐怖からくる怯えた表情だ。


「お、お前は……人間、なのか……?」

「おいおい随分酷いこと言うじゃねーか、クソジジイ。ま、でもそんなことはどうでもいいか。ついでだし、良いこと教えてやるよ」


 俺は濁った瞳で冷笑を浮かべ、そっとジジイの耳元で囁いた。





「俺はな———人の善意を踏み躙るクズ野郎が大嫌いなんだ。だから……今からテメェがセラに味あわせた苦しみを味あわせてやる。歯ァ食いしばれよ?」





 直後———大きな音が響き渡った。










「———あー、スッキリした。やっぱ無理に我慢するのは身体にも心にも悪いって実感するね。ほらセラも———」

「…………ゼロさん……」


 俺が清々しい表情でセラに話を振ろうとして……ゴゴゴッと効果音が付きそうな感じで威圧感の増したセラがジトーーっとした視線を向けてきていたので、俺は思わず続きの言葉を飲み込んだ。


 あ、あれ、激おこセラちゃんに移行しちゃった…?

 いや確かにちょっと感情が乗っちゃってやり過ぎちゃった感はあるよ。

 で、でも約束は破ってないじゃん!

 このジジイだって別に死んでないし……。


 何て胸中でタジタジとなりながら言い訳を唱えていると。


「死んでいないからと言って、顔の原型が分からなくなるほど殴るのは流石にやり過ぎだと思いますよ? 私が回復系の魔法が使えたから良かったですけど……」

「だからどうして俺が考えてることが分かるのよ。もうこの世界の女性には人の心を読む超能力がデフォルトで備わってるって言われても全然驚かないからね。でもやり過ぎた俺の尻拭いをして下さって大変ありがとうございました!」


 言うことを聞かない子供に言い聞かせるように、眉を八の字にして『めっ』と言わんばかりの表情で宣うセラ。

 しかし、俺が全身全霊でお礼を言えば……ふっと顔の険を取って、どこかスッキリした表情で言った。



「でも……私のためにこんなにも怒ってくれて、とても嬉しかったです。少しスッキリもしましたしね?」



 ふふっ、といたずらっぽく笑みを浮かべる彼女の姿に一瞬目を奪われるも……直ぐ様フッとスカした笑みを漏らして肩を竦める。


「お褒めいただき光栄だよ。それにしても、飴と鞭ってこういうことを言うんだね。その温度差で風邪引きそう」

「その時は私が看病してあげますよ」

「やったっ! おい聞いたかジジイ! 超絶美少女のセラが俺に付きっきりで看病してくれるんだってよ! お前には一生その機会はなさそうだけどね! ドンマイ!」


 テンション爆上げの俺は、俺達の会話をポカンとした表情で見つめるジジイに共感を求めてみるも……全く使い物になりそうになかった。

 もしかしたら俺が殴り過ぎてぶっ壊れてしまったのかもしれない……いや精密機械かよ。


「さて、お遊びはこれくらいにして……おいジジイ、良い加減何とか言ったらどうなんだ? それともまだ殴られ足りないのか?」

「ゼロさん、次殴ったら……分かっていますよね?」


 そう言って微笑むセラだが……何だろう、物凄く圧を感じる。

 笑顔なのに破ったら俺の命があっさりプチッとされそうな予感がする。


 ここは従うが吉か……と直ぐ様答えを弾き出し、ビシッと敬礼ポーズを取った。


「はい俺はもう殴りません。もしもの時はデコピンで我慢します」

「ゼ〜ロ〜さ〜ん?」

「はいっ! 私、ゼロはこのジジイを殴らないことを誓います!」


 いや怖いって!

 逆らおうなんて思わないくらい怖いって!

 これはアレだ、優しい人が怒ったときほど怖いってヤツだ!

 

 何て戦々恐々としている俺を他所に、小さくため息を吐いたセラが真剣な表情でジジイを見つめる。

 そして———懐かしむ様に、寂寥感に苛まれる様に……俺から離した手で皺々で枝のように細いジジイの手を優しく握ると。


「……こうして手を繋いだことは、1度もありませんね」


 そう言って寂しそうに苦笑を浮かべる。


「私は、お父様が私のことを国の発展させるための歯車としてしか見ていなかったことを知っています。家族に一切興味がなかったことも理解していますし、今更責めるつもりはありません。ですが———1つだけ。1つだけ、私の質問に答えてくださいませんか……?」

 

 部屋がシンと静まり返った。

 ジジイがセラを無機質な瞳で見つめ、セラがジジイを真剣な眼差しを向ける。


 お互いに何も口にすることはない。

 ただ、ジッとお互いの意見を主張するように視線をぶつけ合うのみ。


 しかし、どうやらこの勝負……セラが勝ったらしい。


「……何だ?」


 折れたかのように、ジジイが口を開く。

 正直『やっとかよ。どうせ聞くなら最初から聞いとけクズ野郎が』と思わないこともないが……流石にこの状況で口に出すほど、俺も空気の読めない馬鹿じゃない。


 俺とジジイの視線がセラに集まる中———1度瞑目したセラがゆっくりと暗い中でも輝くアメジストの瞳を露わにすると。




「———お父様は、お母様を愛していましたか?」




 そんな、予想だにしない質問を口にした。

 これには流石の俺もビックリして、思わずセラの顔を凝視して声を上げそうになるも……彼女は俺の思考を読んだかの如く先回りするように俺へと目を向けて首を横に振った。


「良いのです」

「いやでも……」

「本当に大丈夫です。貴方がそう言ってくださるだけで、私は救われていますから」


 そう嬉しそうに顔を綻ばせる彼女の言葉と笑顔に嘘はなかった。

 だからこそ、俺は言葉を詰まらせて黙ることしか出来なかった。


 ……何だよ。

 お前の人生をめちゃくちゃにした奴が目の前にいるんだぞ。

 なのに……なのにどうしてそんなことが言えるんだよ。

 何で責めないんだよ。

 お前は…………どうしてそんなに人を思い遣ることができるんだよ。


 俺は言い様のない胸糞悪さを胸中で吐き捨てる。

 どうしようもなく俺が部外者であることを痛感してギリッと唇を噛む。

 そうして耐える俺を慈愛の笑みで見つめていたセラだったが……ゆっくりと瞳をジジイに向けると。


「これが私から貴方への最後の言葉です。ですから……答えてください、お父様」


 決別を示唆する言葉を吐き出した。

 そんな彼女の言葉ですら一切態度も表情も変えなかったジジイはボソッと呟く。






「———愛していた。儂の……全てだった」






 小さいながらも決して掻き消えることなく紡がれた言葉を聞き、セラは一瞬驚いたように目を見開いたのち———心から嬉しそうに破顔すると。






「———お母様も、お父様を愛しているとおっしゃっていましたよ」

 



 


 それだけを告げ、彼女は此方を向くと……戸惑いや悔しさに顔を顰める俺に言う。


「それでは、次に行きましょうか」

「…………お前は優しすぎる」

「ふふっ、褒め言葉として貰っておきますね。それに……貴方が怒ってくださいましたからね」


 皮肉のつもりで言った言葉も綺麗に返したセラは、俺の手を引いて———部屋を後にしたのだった。









 ———バタァァァァン。


 セラとゼロが消えた部屋に、扉が締まる音が無情にも響き渡った。

 そんな部屋で、この国の大公———オルトライン・シルハート・フォン・フィーラインはゆっくりと扉からセラが握っていた自身の手に目を向けると。



「…………儂の負けだ。君の言った通り……儂が間違えていた。儂が育てた子は……儂が育ててしまった子は、儂を裏切って……儂はこんな身体になってしまった。何とも……情けない話だ。君の言う通りにしていれば…………ハッ、今更後悔した所で何の意味があるというのか。…………だが、君の子は。セラは———」



 いつの間にか握られていた小さな宝石———アメジストが嵌められた指輪をゆっくりと握って……額に当てた。







「君の様に、立派に育ったよ———オリーフィア」

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