第16話 講談1・お力(15)
飾の金物をこしらえる貧乏な職人の家に生まれた娘でしかないお力は、華族の令嬢でもなければお大尽の娘でもなく、家の零落の末に銘酒屋の酌婦にまで身を落とした娘。幸か不幸か器量よしで御侠(おきゃん)の性質(たち)があったお力には客が数多付き、妻帯者の源七から岡惚れされてもおりました。しかし他方で父・祖父の偏屈な気質を受け継ぎ、その偏屈さゆえに貧乏を強いられ、不幸な死に方をした、その父・祖父の因業をも受け継いでいる身だったのです。つまりお力には自他の〝業〟がありました。人間の究極の姿たる魂、その魂には光と陰の二面があると申します。魂は人間の原版のようなものであり、光、陰ともにそこには嘘がなく、その人の人生を形作り、終生当人に影響を及ぼし続けるのだとか…。そして別にこれは、何もお力に限ったことではございません。万人に共通の真理であります。しかるになぜ「お力には自他の〝業〟がありました」と、まるでお力に特別のことででもあるかのように私が最前申し上げたかと云うと、それには分けがございます。えー、こちらも最前の最前、具体的には「講談1・お力(6)」の上から7行目になりますが、〝お力は自分への思い入れが強すぎた〟とも私は申しました。これを改めて正確に申しますとお力の魂は光(つまり朝之助、彼と持つ堅気の所帯)に向かう指向が甚だ強いのですが、光強ければ陰も同時に強くなるの道理で、互いが足を引っ張り合い、心の中で謂わば自家感作症を起こしているような塩梅なのです。具体的には、菊の井から、酌婦から足を洗いたい更生したい、朝之助と結ばれたいと強く指向しているにも拘らず、それは成らず、痴欲に充ちた酒席の喧騒の中に毎日身を置かねばならなかった。それゆえ鬱屈し、しかし同時にこうなったのも父・祖父から続く因業のせいと自分に云い聞かせて、悟り顔に自分を突き放してしまってもいるのです。
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