第14話 講談1・お力(13)

行き交いする人の顏が皆小さく/\見えて、袂に摺れ違うほどの人の顏さえもが遙遠くに見るように思はれ、まったく現実感がないのです。それは恰も自分が踏む土のみ一丈(約3メートル)も上にあがりたるような心地なのでありました…はて、いったいこれはどうしたことだろう、あたしはいま現し世に居るのかそれともあの世に居るのか、すべてが虚ろでさっきまであった哀しみも空しさも、確か絶望も?…今はもう何も感じない。何かボーッとしていて、自分がすべてから離れ浮き上がって居、隔絶しているような気がする。これは…?ああ、そうだ。これはあたしが常々願っていたあの…〝どうしたら人の聲も聞えない物の音もしない、靜かな、靜かな、自分の心も何もぼうっとして物思いのない處〟…という世界そのものだ。ああ、そうなのか…これはいい!これは素敵だ。もうこのままこの小路を通り過ぎて、彼方の世界へと行ってしまおう…とお力は思い、その口元には僅かな笑みさえ浮かべております。こうなったらもう思い切りのいいお力のこと、この世なんぞに未練などあるものかとばかり、人様より一丈も高い所を歩くみずからの足元を早めようと致します…が、なぜかその足に力が入りません。またそもそもこの小路の先がよく見えません。そこは暗さが増しており凝視しようとすれば些かでも怖気をふるわされるのです。なぜ、どうして…とお力は行きも行きならず止まりも止まりならず、もはや絶望の極みの呈なのですが…その時に、お力の肩をポンとうしろから叩く者がおりました。ふり返り見れば「お力何處へ行く」と親し気な笑みを浮かべて尋ねる山高帽子姿の三十男が。お力には云わずと知れた結城朝之助(ゆふきとものすけ)の姿がそこにありました。

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