脱皮
脱皮 一
とある古いビルのフロアで、白衣の男性が歩きながら、十人ほどの男女に向かって演説をしている。
「そもそも私がこの実験を思い付いたきっかけは、小さい頃に観た映画が強烈に印象に残っていたからです。『ルパンVS複製人間』という映画で、巨大な脳がロケットに乗って宇宙へと旅立つシーンがある。当時、私は子供でしたが、そのシーンを観てから、人間は本来、こうあるべきなんだと、信じて疑わなくなりました」
白衣の男性は大きく息を吸い込み、両手を広げた。
「――私の夢は、皆さん人類を肉体から解放することです。その第一歩として、皆さんには是非、私の研究に協力していただきたい。昆虫が成長するにつれて今までの体を脱ぎ捨てて、新しい体に生まれ変わるように――皆さんにも進化して、新たな姿かたちを手に入れていただきたいのです」
聴衆から、軽い拍手が起こった。白衣の男性はお辞儀をして、満足げに振り返った。
壁際にはインスタント食品やスナック菓子が並ぶ棚とドリンクバーが置かれ、奥にはシャワー室がある。まるで漫画喫茶のような空間の中に、本棚の代わりに、十人分の大きな横長の
「大学で、変な募集の噂を聞いたんです。SNSで呼びかけてる人がいて、実際に行った人がいるって」
探偵事務所に入って来るなり、
そこには、
『【先着10名様】
八月十三日~ 一ヶ月間 研究の協力者を募集しております
食事、風呂付 謝礼あり(金額はDMにてお問合せください)』
と、書かれていた。ツイートが投稿された日付は、今から二週間前だった。
掛橋は、脳がデフォルメされた絵のアイコンをタップした。すると、アカウントのプロフィールが表示された。
そこには『脳科学者』と書かれており、アカウント名は『
「詳細も全然書いてないし、こんなうさんくさい募集、誰が応募するかと思ったんですけど。私と同じ大学の
溜め息をつきながら、山園は言った。
「一応、その野崎さんの写真を見せてもらえますか」
山園はスマートフォンを操作し、写真を掛橋に見せた。半袖シャツを着た、小太りの男性が写っていた。
スマートフォンの画面をじっと見ていた掛橋は、
「試しに俺が、望月さんのアカウントに連絡を取ってみましょうか」
「えっ!?」
山園は驚いた様子で、掛橋を見た。掛橋は早速、スマートフォンで望月宛のダイレクトメッセージを作り始めた。
「でも……やっぱりいいです。掛橋さんの身が危ないかもしれませんし」
山園はそう言い、掛橋を止めようとした。掛橋は顔を上げ、
「ちなみに、その人と連絡は取れますか?」
山園は首を振り、
「ここ最近は、誰も取れてないみたいです」
「……じゃあもし主催者から返事が来たら、山園さんに行き先を伝えます。俺とも連絡が取れなくなかったら、我孫子さんを連れてそこに来てください。さすがにそんな大人数を、一気にどうにかすることはできないと思いますから」
「でも……」
不安そうな山園を見て、掛橋は、山園にしっかりと体を向けた。
「山園さん。今、何か視えますか?」
山園は、掛橋をじっと見つめた。いくら目を凝らしても、未来の映像は何も映し出されないようだった。
「……何も、視えないです」
「そうですか。――なら、大丈夫です」
掛橋はそう言うと、山園に向かって安心させるように微笑みかけた。
「……」
その時、掛橋のスマートフォンが振動した。掛橋は画面を見て、
「例のアカウントから返事が来ました。……どうやら受け入れてくれるようなので、支度をしたら行って来ます。あ、心配しないでください。事務所が休みでも、給料はちゃんとお支払いしますから」
山園はまだ不安そうだったが、掛橋がボストンバッグに着替えを入れ始めたのを見て、諦めてデスクへと向かった。
――それから約二時間後、掛橋は都内近郊のカフェで主催者を待っていた。
「あの、Xでご連絡いただいた方でしょうか」
声をかけられて掛橋が顔を上げると、サラリーマン然としたスーツの男性が立っていた。
「どうも、お待たせしてしまってすみません。わたくしはこういう者です」
男性は名刺を差し出し、そこには『
あんなにうさんくさい募集を出していたわりには、望月はずいぶん爽やかな見た目をしていた。体が引き締まっていて愛想が良く、物腰も柔らかいので、異性に人気がありそうだ。
「本当はツイートに書いたように先着10名だったんですが、先日欠員が出ましてね」
望月は掛橋の顔を見て、もったいぶったあと、
「……今なら、空きがありますよ」
さもお得とでもいうように、そう言った。
「それで、報酬の話なんですが……」
野崎が報酬目当てで参加したと聞いていた掛橋は、さりげなく金額を尋ねた。望月は掛橋に顔を近付け、ひそひそと額を告げた。治験のアルバイトよりもやや高額だ。これで先着順と来れば、飛び付く者もいるのかもしれない。
「実験の内容は、現地で説明させていただきます。まずはご覧になっていただいたほうが早いと思いますので……行きましょう」
そう言うと、望月は立ち上がった。
望月に続いて建物のフロアに入ると、ずらりと並んだ楕円形のオブジェに、掛橋は圧倒された。
「どうです、壮観でしょう。このフロアは、今回の実験のために私が借りました。見ての通り、以前は漫画喫茶だったようです」
望月はスーツの上着を脱ぎ、上から白衣を羽織った。掛橋が見ていると疑問を感じ取ったのか、この服装だと一目で管理者だとわかるんです、と言った。
「それで、このオブジェは……」
「そうですね。『05』と書かれた番号の部屋に入ってみてください」
掛橋が歩いて裏に回ると、楕円形のオブジェには、裏側に人が入れる大きさのドアが付いていることがわかった。掛橋は言われた通り、側面に書かれた番号を参考に『05』の中へと入った。
中は六畳ほどの広さで、白い横長の机とリクライニングチェアが置かれている以外には何も見当たらなかった。
掛橋は、机の上に置かれていた黒いサングラスを手に取った。実験に使うのだろうか。レンズの部分にやや厚みはあるが、形はスポーツ用のサングラスによく似ている。違うのは、つるの部分にスライドできる無線イヤホンが埋め込められ、マイクが付いていることだ。
「Virtual Realityを体験されたことって、ありますか」
部屋に望月が入ってきて、掛橋に尋ねた。
掛橋は首を振った。VRの存在は知っているが、体験したことはない。それに、掛橋がテレビで見かけたVRはこれよりももっとごついゴーグルを付け、両手にコントローラーを持って体験するもので、ここにある器材はそれらよりもはるかに簡易的に見えた。
「これは、とあるソフトウェア会社から提供された最新のVR器材です。ゴーグルも軽いし、腕と足の数ヶ所にベルトを付けるだけで動きが同期できる」
望月は掛橋が置いたサングラスを手に取り、レンズを透かして見るように天井にかざした。
「私の実験は――この中で一ヶ月皆さんに過ごしていただいて、その間の脳波を測定することです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます