脊椎がオパールになる前に 一

 夕方、掛橋かけはしは、探偵事務所のソファーに座って書類を整理していた。

 ドアが開き、山園やまぞの真由花まゆかが出勤してきた。

「……お疲れ様です」

「山園さん。お疲れ様です」

 山園はデスクの前に座ると、頬杖を突いて溜め息をついた。

 その様子を見た掛橋は、何か違和感を覚え、

「……あれ、何かありましたか?」

 そう尋ねると、山園は驚いて、掛橋を見つめた。

「え、なんでですか?」

「なんか落ち込んでるような気がして。気のせいだったら良いんですけど」

 掛橋は取りなすように笑って、頭をいた。

 山園は遠くを見つめ、

「……高校の同級生が、死んじゃったんです」

「それは……お気の毒に」

 掛橋は一応そうは言ったものの、面識がない人物なのでいまいち心が込められなかった。

「私はあんまり喋ったことがないし、同窓会にも行かないから、卒業してからは会ってなかったんですけど。でもやっぱり、知ってる人がこの歳で亡くなるのは……寂しいですよね」

「……それは、そうでしょうね」

 かつて亡くなった近親者のことを思い出しながら、掛橋はそう答えた。

「なんで、死んじゃったんだろ」

 山園は、ぽつりとつぶやいた。

 その人の死因は、掛橋にはもちろん、山園にも計り知れるものではない。

「……人の命って、あっけないですよね」

 山園は、スマートフォンの画面に笑顔で映っている――相田あいだ朱里じゅりの写真を見つめた。


                   *


 痛みや熱さはまったく感じないけれど、私は燃えている。

 真っ赤な炎に全身が包まれ、行ったことはないがまるで地獄のようだ。きっとそのうちすべてが燃え尽きて、私はただの灰と骨になるのだろう。

 音も、感覚も、言葉も、嗅覚も、触覚もない。ただ、私の視覚と意識だけは――まだ、ちゃんと残っている。

 ――遺体が入った棺が引き出され、骨だけになった私は、やっと火葬炉の外に出ることができた。

 私は真っ先に、光希みつきの姿を探した。

 喪服を着た父、母、叔父、叔母――を通り越すと、目を真っ赤に腫らした光希がそこにいた。

 みつき――。

 とっさに呼ぼうとしたけれど、声は出なかった。それもそのはずで、私はもう死んでいるのだ。

 やがて骨上げが始まり、私の骨は父や母の手によって骨壺にしまわれていった。光希の順番は、おそらく一番最後だろう。誰もかれもが神聖な儀式を執り行っているかのような、神妙な面持ちをしている。生前には私の気持ちなんてちっとも聞こうとしなかったのに、馬鹿みたいだなと私は思った。

 ――とうとう、光希の番がきた。

 光希は鼻をぐすんと鳴らしながら、

「……今度は一緒に見ようねって、言ったのに」

 そう言うと、私の骨をかじった。

志賀しがさん! 何やってるんだ、やめなさい!」

 私の父が、慌てて光希を止めた。

 が、既に光希は私の骨のわずかな破片を噛み砕いており、それをごくんと飲み込んだ。

 光希は、うろたえている父と母をしっかりと見据えて、

「……いいんです。だって私、約束したから」

 毅然きぜんとした態度で、そう言った。

 ――ああ、光希。

 覚えててくれたんだ。

 私は、今すぐ光希に抱きつきたかった。けれど、そうすることはできない。きっともう、永久にできないのだ。

 私は自ら死を選んだことを、その時初めて少しだけ後悔した。だが、すぐに――これで良かったのだと思い直した。

 これで私は、光希の体の一部になれたのだ。

 ――もう、思い残すことは何もない。


                   *


 私と光希は高校一年生で、同じクラスだったけれど席も遠く、お互いに人見知りだったので、話したことは一度もなかった。

 光希と初めて話した場所は、遠足で来た博物館の常設展示の前だった。

 光希はぼんやりとしたまま、目の前の化石を見つめていた。

「……それに、興味があるの?」

 私が話しかけると、光希ははっとして、慌てて笑みを作った。

「いや、興味っていうか……綺麗だなって思って」

 ――光希が見ていたのは、オパール化したべレムナイトという古代のイカの化石だった。化石はさやと呼ばれる頭の一部のみで、長さは三センチほどしかなかったが、光希はずっと見惚れていたようだった。

「これ、見て」

 私はスマートフォンで検索して、魚竜の脊椎せきついがオパール化した化石の画像を光希に見せた。

 ずらっと並べられた脊椎の一部が、白い骨ではなく不思議な虹色に輝いている。それは人の手で作られたのではないかと見紛みまごうほど、幻想的で美しかった。

「何これ、すごい……」

 光希はじっと見て、感嘆の溜め息を漏らした。

 私は光希の腕を引っ張り、外に出ようと目で合図した。

 私たちは歩いて博物館近くの公園に向かった。天気は快晴で、公園の池には澄み渡るほどの青空が映っていた。

 集合場所に戻る時間までにはまだ少し時間があったので、私たちはベンチに腰を下ろした。

「志賀光希さん。変わってるね。博物館じゃなくて、散策もあったでしょう。私たち以外は、みんなそっちに行ったんじゃない?」

 私が言うと、光希は笑った。

「それは、お互い様でしょ。相田朱里さん」

 ――私たちは顔を見合わせ、笑った。

「……人間のせきつい? も、いつかオパールになるのかな」

 光希が、ぽつりとつぶやいた。

「まだわからないよ。一センチのオパールが形成されるのには、五百万年もかかるんだって」

「そんなに!?」

 光希は目を丸くし、飛び上がらんばかりの勢いで声を上げた。

「そう。だから……もしオパールになれたとしても、それを観測できる人間はいないかもね」

 そう言って、私は笑った。

「……そっかあ。残念だなあ。せめて綺麗になるなら、死んだ甲斐かいもあると思ったのに」

 光希は本当に残念そうに、そう言った。

「……志賀さんは、死ぬのが怖い?」

「あったり前でしょ? 怖いよ。できるなら、ずっと死にたくない」

 光希は目をいて、憤然ふんぜんとした様子で言った。表情がころころ変わる面白い子だなと、私は思った。

「……バナナの木と、石の話があるの」

「……へ?」

 光希は素っ頓狂すっとんきょうな声を出した。無理もない。普段なら同級生には絶対にしない話のはずなのに、どうして急にこんな話をしようと思ったのか、自分でもよくわからなかった。

 ――今思えば、他の同級生とは明らかに違う光希の素直な立ち居振る舞いを見て、少し安心したのかもしれない。

「ある日、バナナの木が、『人間はバナナのように手も足も目も耳も二つずつで、バナナのように子を生まなければならない』と言ったの。そしたら石が、『人間は石と同じ外見を持ち、石のように硬くなければならない。そして不死であるべきだ』と言ったから、二人は戦い始めたの」

「バナナの木と、石が?」

 私は、うなずいた。

「……結局、勝ったのはバナナの木だった。だから人間は、死ななければいけなくなった、という話」

「何それ。なんでバナナ?」

 私は首を振り、

「わからない。インドネシアの話だから、日本よりもバナナの木が身近だったのかもね」

「ふうん……」

 先ほどまでの溌剌はつらつとした様子が嘘のように、光希は大人しくなって考えていた。

「……ねえ、もし石が勝ってたら、あたしたちは死なずに済んだのかな」

 光希は急に思い付いたように、早口で言った。

「それは……そうかもしれないけど、今みたいに歩いたり、考えたり、子供を産むことはできないよ。だって、石と同じだから」

「そっか……そうだよね」

 光希は、がっくりと肩を落とした。

 時計を見ると、いつの間にか集合時間近くになっていた。私は光希に集合場所に行かなければいけないことを告げ、二人で公園から立ち去った。


 ――それから半年ほどは、私は光希と話さなかった。

 私は前の席の子に話しかけられてクラスの無難ぶなんなグループに入り、教室移動や弁当の時間はほとんどその子たちと共にしていた。

 光希の友達は――見たところ多くはなかった。

 なんでも光希は親の都合で、高校入学と同時に東京に引っ越してきたらしい。顔は整っているけど変わった子というのが、噂好きな子たちが光希に下した評価だった。

 ひょっとしたら、光希はみんなから馬鹿にされていたのかもしれない。色々な意味で光希は目立っていたから、最初は派手な子たちのグループに入っていた。けれど、お菓子を食べている時に光希だけもらえなかったり、クラスの変わった男子とお似合いだ、などとからかわれたり――そういった光希を見下すような態度を他の子が取っているのを、私は何度か見たことがあった。

 そういう時、光希は何を言われても決して言い返したり不服な顔をせず、きょとんとした顔をしてからへらへら笑うだけだった。

 ――そしていつの間にか、光希は一人で行動するようになっていた。

 私が光希と仲良くなったのは――偶然、スーパーで光希を見かけてからのことだった。

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