不死の病 四

 渡辺から倉持と梶井の連絡先を聞いた掛橋は、何度も電話をかけていた。

 何日か経ってから、梶井とようやく連絡がついた。掛橋は聞きたいことがあると言って、『済』の事務所内で梶井と待ち合わせた。

 現れた梶井は初めて会った時と同じように、パーカーのフードを被っていた。相変わらず目を合わせず、うつむきがちな梶井に、

「倉持さんって、今、どこにいるかわかりますか?」

 と尋ねると、梶井は首を横に振った。

「……何日か前から、全然連絡つかなくって」

「あいつも飛んじゃったのかな。まあ、仕事じゃないし仕方ないか」

 金ももらえないしね、と言いながら、渡辺は事務所から出て行った。

 梶井はまだ、事務所の床を見つめたまま黙りこくっていた。

「どこか、心当たりはないんですか? 倉持さんがよく行ってたところとか」

「……」

 梶井が何も言わないので、掛橋も事務所から出ようとすると、

「掛橋さん」

 呼び止められ、掛橋は振り向いた。

「……?」

 意を決した様子で、梶井は掛橋を見た。


 梶井の運転で、掛橋は倉持の利用していたガレージの前へと到着した。

「こんなところで、倉持さんは何を……」

「……」

 梶井は、何も答えなかった。

「叔父さん。叔父さん、いるんでしょ?」

 呼びかけながら梶井はシャッターを開け、すさまじい悪臭に思わずうっと声を漏らした。

 作業台の上には何かの肉のかたまりと、血がこびりついた鉈が置かれていた。

 掛橋は作業台に近寄り、肉塊をまじまじと見つめた。梶井も自然と、同じ方向に目をやった。

 人間の死体の頭部らしき部分が鉈で切り落とされ――そこから、脳味噌が露出していた。

 梶井はすぐにそこから目を背け、ガレージの外に出て、ドラム缶のほうへと向かった。

 いつものベンチに、倉持が座っていた。

「……叔父さん?」

 梶井は恐る恐る、倉持に声をかけた。

 倉持は梶井を見上げて視線を合わせたが、にやけたような表情のまま何も言わない。その体は、なぜか左右にゆらゆらと揺れ続けていた。

「よ、よう。ゆうとか……」

「叔父さん、大丈夫?」

 倉持は動かず、奇妙な表情を浮かべたまま、梶井をじっと見つめていた。

 あとから来て様子を見ていた掛橋が、ぽつりと言った。

「倉持さんは、ここで死体を食べていたんですか?」

「なんで、それを……」

 梶井は驚き、掛橋を見つめた。

「前に、本で読んだことがあるんです。倉持さんはひょっとしたら、死体の脳味噌を食べてしまったのかもしれません。……どうしてそんなことを急にする気になったのかは、俺にはわかりませんが」

 その言葉を聞いた瞬間――梶井は、急な目まいに襲われた。

「……に、人間の、脳ってことですか?」

 梶井は倉持を見ながら、そう尋ねた。

 掛橋はうなずき、

「人間の脳を食べると感染すると言われている、クールー病という病気があるんです。千九百六十年代にパプアニューギニアで人肉食の儀式をする部族がいて、その間では流行したようですが……」

「もし倉持さんが、本当にその病気にかかってたとして……それって、治るんですか?」

 掛橋は首を横に振り、

「……症状が見られてから、二年以内には亡くなるそうです」

 ――それを聞いた梶井は力が抜け、その場にへたり込んだ。

「……結局、先に死んじゃうのかよ」

 梶井は、ぽつりとつぶやいた。

 突然、体を揺らしていた倉持が、大きな声で笑い始めた。それは声を出そうとしていないのに出さずにはいられないような、奇妙な笑い方だった。

「……これも、症状の一つだと思います」

 呆然とする梶井と、立ちすくむ掛橋がまるで目に入っていないかのように、そのまま倉持は笑い続けていた。


「リコさんは亡くなっていました。お力になれず、申し訳ありません」

 探偵事務所のソファーで掛橋が頭を下げると、横山は慌てて首を振った。

「やっ、やめてよ。居場所がわかっただけで感謝してるんだから」

 ――結局、横山から依頼されたリコと何人かの少女たちは、倉持に処分されていたことがわかった。だが相変わらず、行方がわからない少女も数人残っていた。

「……この子たちが見付かっただけで、充分だよ」

 横山は、自分に言い聞かせるようにそう言うと、

「本当に、ありがとうございました」

 しっかりと、頭を下げた。

 テレビではワイドショーが流れており、倉持の顔写真が映し出されていた。

「……にしても、この人もずいぶんエグいことやってたんだね」

 横山はそう言ったが、掛橋にとって意外だったのは、、ということだった。

 倉持はあくまで自ら死を選びそうな人や事故死しそうな人を選別し、発見した死体をあのガレージまで運んで処理していただけで、直接的に人を殺したことはない、と報道されていた。

「人間にとっては、死ぬことは避けられない恐怖ですからね」

 梶井から聞いた倉持の動機を思い出しながら、掛橋はそう言った。

 ふと、掛橋は、歌舞伎町でたむろしている男女のことを思い出した。

 彼らは、死をどう捉えているのだろう。いくら恐れていないように見えても、いざそれに直面すると怯えたり、泣きわめいたりするのだろうか。それとも、そんなことはどうでも良いと本気で思えるほどに、もうこの世に希望を持っていないのだろうか――。

「……」

 横山は、自分の手首を内側にしてそっと見た。そこには、刃物で切ったようなあとが何本かうっすらと残っていた。

 掛橋はデスクの一番上の引き出しを開け、中に入っているタバコの箱を見た。それは、倉持が吸っていたショートホープだった。

「……死ぬのを怖がると死にたくなっちゃう、か」

「何、それ?」

「『ソナチネ』という、映画の中の台詞せりふです」

「そうなんだ。……なんか、いいね」

 そう言うと、横山はふっと笑った。


参考

 『ソナチネ』 北野武監督/松竹

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る