無痛 三
「そういうわけで、宮下穂香は竹井さんの言ってた通り、痛みを感じないみたいです。似たような話は友達からも聞いたんで、信ぴょう性は高めかと」
事務所に戻り、我孫子は多田から聞いたことを山園と掛橋に報告した。
「……俺の予想では、この件には出門が関わってると思います」
「それは、我孫子さんの言う通りかもしれませんね」
掛橋はそう言い、山園もうなずいた。
出門安則――いわく、ただ人助けをしているだけの男。性別以外の素性はまったくもって不明だが、常人には使えない力を持っていることだけは確かだ。現に我孫子は出門に、頭の中から存在しないはずの釘を抜き出されたことがある。
「……そういえば、多田がもう一つ、気になることを言ってました」
多田は実家に住んでいたので、宮下と多田が会う場所はもっぱら外か、宮下の住んでいるアパートだった。学生なのであまりお金もなく、必然的にアパートで会う頻度が一番高くなったが、アパートから徒歩三分ほどのコンビニに行く時ですら、宮下は多田に留守番をさせたがらなかったと言う。
「風呂ですら一緒に入りたがって、多田を一人で部屋にいさせないようにするんですって。最初は付き合いたてで甘えてるか、逆に信用されてないかのどっちかだと思ってたらしいんすけど……」
大学からの帰りに、宮下がネックレスをなくしてしまったことがあった。
それは父から買ってもらった物だったらしく、宮下は帰りに立ち寄った店に電話をかけるなどして、ずいぶん熱心にネックレスを探していた。多田も協力しようと、灯台
「やめて。そこだけは開けないで」
今まで付き合ってきた宮下とは別人のようなきつい口調で、宮下がそう言った。
はっとして振り返ると、電話を終えて戻ってきた宮下が、ものすごい
多田は宮下が今まで自分を部屋に一人でいさせなかった理由はクローゼットにあるのではないかと思ったが、宮下の剣幕に押され、結局その中を見ることはなかった。
「……つまり宮下さんは、クローゼットの中に何かを隠している可能性が高いと」
「そういうことっす」
我孫子は、うなずいた。
「……なんとかして、宮下の家に入れないっすかね」
少しの間、三人は考え込んだ。
「あの、いいですか」
山園がすっと手を上げたので、掛橋と我孫子はそちらを向いた。
「ちょっと、思い付いたことがあるんですけど」
山園と薫は、穂香が住んでいるアパートの最寄り駅のカフェで待ち合わせをしていた。
穂香はまだ到着しておらず、山園と薫はそれぞれ飲み物を頼み、二人で席に着いて話していた。
「ほんと、ありがとね。わざわざここまでしてくれて」
「私っていうか、掛橋さんのおかげだから……あとで伝えておくよ」
掛橋という名前が出た途端、薫は目を光らせ、悪い相談でもするようにひそひそ声でささやいた。
「……ね、掛橋さんっていくつなの?」
「何、急に。二十八だよ」
「一回り上かあ。恋愛対象としては、ちょっとハードル高いね?」
薫はにやにやしながら、山園の様子を
「えっ!? 違うよ、薫。私、そんなつもりじゃ……」
「もう、まだ何も言ってないじゃん。わかりやすいんだから」
そう言われて、山園は自分の顔がたちまち紅潮していくのがわかった。
山園の様子を見て、薫はくすっと笑った。
その時、入り口から穂香が入って来るのが見え、山園は慌てて深呼吸をした。
「穂香、こっち」
薫が立ち上がって穂香に手を振り、山園も顔を
「穂香さん! 今日は、ありがとうございます」
穂香はただ困惑しており、うろたえながら席についた。
「あの、薫ちゃんから、私のファンだって聞いて……本当ですか?」
顔をしかめて露骨に疑っている様子の穂香に、山園は顔を大きく上下させてうなずいた。
「私、薫の友達で、この間の試合に来てたんです。それで、穂香さんの強さに
「ね? だから言ったじゃん。大学の友達が穂香のファンで、会いたいって聞かないんだって。今日は、来てくれてありがとね」
山園の話を補足するように、薫が合いの手を入れた。
「ありがとうございます、本当に……あ、握手してもらっても良いですか?」
山園がそう言って手を差し出すと、穂香はまだ戸惑いながら、その手をそっと握り返した。
「あとで、サインも頂けたらと思うんですけど……」
「私はアマチュアなので、サインとかは作ってないんです。だから、本名を書くだけで良かったら……」
「全然大丈夫です! ありがとうございます」
山園が勢いよく言うと、穂香はふっと笑った。
――この調子でいけば、穂香の緊張も徐々にほぐれるだろう。穂香の様子をそっと目で窺いながら、山園はそんなことを思った。
「……ちなみに穂香さんって、この辺に住んでるんですか?」
事前に薫と打ち合わせた通り、山園は穂香のアパートについて尋ねた。穂香の迷惑にならないようにという理由で、二人は穂香が住んでいる場所から一番近い駅に来ているはずだった。
「ああ、はい。すぐそこです」
「あの、厚かましいとは思うんですけど、良かったら家を見せてもらえないかな、なんて……」
「え……?」
山園が家という単語を出した途端、穂香の顔色が曇った。
「あっ、嫌だったら全然良いんです。ただ……」
山園は、薫のほうをちらりと見た。
「この子、穂香に憧れてボクシングを始めたいんだって。それで使ってるグローブとか、ヘッドギアとかを見てみたいって」
「今、口でもお伝えできますけど……」
首をかしげながら穂香がそう言うのを見て、山園はどきりとした。すると薫が、
「やだなあ、穂香。現物を見たいに決まってるじゃん。初めてのファンなんでしょ? サービスしてあげなよ」
「そういうもの……なんですか?」
薫に説得され、穂香は不思議そうな顔で山園を見た。
山園はしっかりとうなずき、
「はい。是非、お願いします」
そう言って、頭を下げた。
穂香はしばらく考えていたが、
「……わかりました。じゃあ、うちに案内します」
会計をしている時に、薫は穂香に気付かれないよう、山園に目配せをしてきた。ありがとう、と心の中で思いながら、山園は軽くうなずいた。
「……そろそろ、三人が会ってる頃っすね」
事務所の時計を見ながら、我孫子がつぶやいた。
「そうですね。危ない目に遭わないといいんですが……」
読んでいた本から顔を上げると、掛橋は険しい顔つきで言った。
「掛橋さん、珍しくずいぶん嫌がってたじゃないっすか。やっぱり心配だからですか?」
山園が穂香のファンを装って会いに行くという計画を聞いた時、掛橋は真っ先に反対した。危険だから、という理由だったが、我孫子は何か別の理由があると思ったようだ。
「俺は……」
掛橋は腕組みをして、
「これ以上、山園さんの背負うものを増やしたくないのかもしれません」
そう、ぽつりとつぶやいた。
――未来が視える能力を持った女性、山園
掛橋は、想像してみた。自分の意思とは関係なく、不意に他人の未来が見えてしまうとしたら――
それはどんなに恐ろしく、どんなに残酷なことなのだろう。もちろん幸せな未来が視えることもあるかもしれないが、つらい未来のほうが、より印象に残るように思えてしまう。
「……大丈夫っすよ。ああ見えても、山園さんは強い女ですから」
我孫子はそう言い、右手でガッツポーズをした。
「どうして、そう思うんですか?」
「なんでっすかね。……どことなく芯がありそうなところが、うちの嫁さんに似てるからかな」
そう言うと、我孫子はふっと笑った。
「掛橋さんも、あんまり過保護になっちゃ駄目っすよ。なんでも代わりにやろうとすると、俺の嫁さんは信用されてないって怒っちゃいますから」
信用――か。
我孫子のその言葉を聞いて、掛橋は少しだけ、肩が軽くなったような気がした。
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