不死の病 二

 歌舞伎町の夜は、明るい。

 十時を回っても人々が当たり前のように道を行き交い、その顔を店の煌々こうこうとしたネオンが照らし出している。東京オリンピックの際に取り締まりが厳しくなって一時は静かになったと思われたが、あっという間に何年か前の元の姿に戻ってしまった。

 掛橋は清掃がてら、そこかしこでたむろしている少年少女たちに横山からもらった写真を見せ、『リコ』について何か知らないかと尋ねていった。中にはリコのことを知っている者もいたが、やはり横山と同じで、見た目と名前以上の情報を得ることはできなかった。

「あの子、柄の悪いホストと一緒に住んでたからさあ。たまに殴られてたし、殺されちゃったのかもよ?」

 そんなことを言いながら、けたけた笑う少女もいた。

 掛橋にはまるで理解できなかったが、どうやらここにいる少年少女たちにとって、死とは身近な存在で、世間話程度の軽さで扱われているようだった。

 歌舞伎町には、色々なものが落ちていた。ビルとビルの間の薄暗い空間に、誰が捨てたかもわからない、使用済みのコンドームが落ちていたり――。

 掛橋は平然とした顔でトングでそれをつまみ、ゴミ袋に入れた。ホテルや学生寮の清掃も探偵事務所の依頼で請け負っているので、こういった作業には慣れていた。

 ――掛橋はふと顔を上げ、歌舞伎町の路上を見つめた。

 観光客に客引き、ライオンの銅像の上にまたがり、ロデオをしているカウボーイのごとく腰を振っている少女、寝転がって何かをぶつぶつとつぶやいている男性、その様子をスマートフォンで面白がって撮影している、海外からの観光客……。

 あまりにも浮世離れしている光景の中で、彼らはとても愉快そうにしていた。

 が、掛橋の頭の中には『地獄』の二文字しか浮かび上がってこなかった。

 ――本当ならこの調査は、我孫子のほうが向いていたのかもしれない。

 掛橋は自分が担当すると決めたことを早くも後悔し始めていたが、我孫子には連日、働いてもらってばかりで、休んでほしいという気持ちもあった。

「とりあえず、こっちは終わりました」

「おっ、早いね。じゃあ、次はどうしよっかな……」

 地図を手に掛橋の配置を考えている渡辺を見ながら、

「……不躾ぶしつけな質問かもしれませんけど、渡辺さんはどうしてこの団体を作ろうと思ったんですか?」

 さりげない様子で、掛橋は尋ねた。

「え、俺?……俺はなあ、やっぱり、困ってる人を助けたいんだよ」

「……人助けが好き、ってことですか?」

 まだ会ったことのない出門という男性の姿を思い浮かべながら、掛橋は尋ねた。

「好きっていうか……まあ、俺もろくな家庭環境じゃなかったのよ。親父が酒飲みで、いっつも殴られてさ。俺の世代では珍しいことじゃないけど、やっぱり嫌は嫌だったんだよね」

 地図から顔を上げ、遠い目をして渡辺はそう言った。

「そんで、ニュースとかで歌舞伎町の現状を見てたら、あの時の俺にも話を聞いてくれる人がいたらなあ……とか思っちゃってさあ。俺、根性ないから、一人でやっても続かなさそうだなあと思って。大学時代の友達に話したら、じゃあみんなでやるかって。それで、今の団体を立ち上げたわけ」

 懐かしそうに顔をほころばせると、

「……ま、その頃の友達は、もうみんな辞めちゃったけどね」

 急に冷めた素振りをして、渡辺は話を結んだ。

「なるほど。素直な方なんですね」

 掛橋は心の底から感心してそう言ったのだが、渡辺は耳を赤くし、途端に早口になった。

「まあほら、こういうことしてると偽善者とか、良からぬ別の目的があるんじゃないかとか、いろいろ言われるじゃん。それなりに入ってはくるけど、出ていく人も多いわけよ。……だからさっき会った、倉持ってやつがいただろ? ああいう、長く続けてくれる人には、俺は本当に感謝してる」

 渡辺は、真剣な目つきをしてそう言った。


 ――さっきから俺は、んだろう。

 少し前から、体の震えが止まらない。

 だが、この状況でいったい自分が何をすれば落ち着くことができるのか、梶井にはまったくわからなかった。

 ――少し前、倉持はコンビニを出てから車を少し走らせ、古びたアパートの前で停まった。

 「とりあえず、これに着替えてくれる?」

 倉持はボストンバッグから黒い長袖Tシャツとズボン、ニット帽とサングラスとマスク、軍手を取り出して梶井に渡した。なんだか不審者みたいな恰好だな――と思いながら、梶井は言われた通り、車内で倉持から受け取った服装に着替えた。

 倉持は自分もニット帽を被ってサングラスとマスクと軍手を付けると、スマートフォンを見ながらアパートの一室へと入って行った。ドアに鍵はかかっておらず、表札には何も書かれていなかった。

 倉持は奥の部屋まで向かい、何かを見付けたようにしゃがみ込んだ。梶井も倉持のあとに続こうとしたが、何やらすさまじい臭いがして、鼻をふさいだまま、玄関から進めずにいた。

「裕斗、こっちこっち」

 倉持は晴れやかな表情で、奥の部屋から梶井に向かって手招きをした。

「……あ、ドアに鍵かけといて」

 そう言われて梶井は鍵をかけると、廊下を進んで部屋の入り口で立ち止まった。

 ――梶井は、目の前に広がる、おぞましい光景に言葉を失った。

 六畳ほどの畳が敷かれた部屋に、腐りかけの死体が転がっていた。死体の首には荷造り用の紐が巻かれ、紐の先は窓のハンドルに結んで固定されていた。

 梶井は必死で吐き気をこらえながら、

「……こ、これ、なんなの?」

「何って、死体だよ。見ればわかるだろ」

 倉持は、笑いながら平然とそう言った。

「叔父さん……これ、どうする気なの?」

「お前は、外にいるだけでいい。誰かが来たら適当に時間を稼いで、入れないようにしてくれ」

 梶井は部屋から逃げるように出て行くと、ドアの近くに立った。

 辺りを見回すと酔っ払った老人が一人でふらふらと歩いているのが見えたが、その足取りはおぼつかず、こちらを気にしているようにも見えなかった。

 ――やがて、ドアから倉持が出てきた。

 倉持は死体にシーツを巻き付けて紐で固定し、死体の腹の部分を肩に乗せ、腕と足を自分の手でつかんでいた。そしてその体勢のまま、死体を車に運んだ。

 倉持は死体を車のトランクに入れると、梶井を呼んだ。それから運転席に座り、エンジンをかけた。

「……お、叔父さん。うええええっ」

 助手席に座った梶井はとうとう、耐え切れなくなって嘔吐おうとした。

 倉持は苦笑いしながら、梶井の背中をさすり、

「まあまあ、あの場で吐かなかっただけよくやったよ。一旦、駐車場に停めるから、後ろの席で横になっときな」

 と言った。


 ――コンビニの駐車場で休んでから、一時間ほどは走っただろうか。

 倉持が次に向かったのは、使われていないガレージの前だった。

 倉持は車から降りるとトランクから死体を取り出して床に置き、シャッターを下ろした。ガレージの壁際には、なたが載った大きな作業台が置かれていた。

「ね、ねえ。『済』の人に、連絡しなくていいの?」

「連絡はしたよ。今日はもう上がりますって、裕斗の分も合わせてメッセージを送っといた」

 死体のことを連絡しなくて良いのか、という意味で梶井は聞いたのだが、倉持が死体からシーツを外し始めたので、またすさまじい腐臭が辺りに広がった。梶井は頭痛が起きそうで、それ以上、口を開きたくなかった。

「窓を開けるわけにはいかないから、もう少し我慢してな」

 自分の手で鼻と口を覆っている梶井をちらりと見てから、子供をさとすように、倉持はそう言った。

「……その人、叔父さんの知り合い?」

「……知り合いってほどではないかな。酔っぱらって路上で寝てた爺さんに話しかけて、話し相手がいなくて寂しかったって言うから、身の上話をいくつか聞いただけだ。……借金まみれで首が回らないっていつもなげいてたから、

 それを聞いて、梶井は先ほどアパートの前で見た老人のことを思い出した。この死体も、あの老人のような人だったのだろうか――そう思うとまた気分が悪くなってきて、梶井は顔をしかめた。

 倉持は死体を作業台の上に置くと、勢いよく鉈を振り下ろして、死体の右腕を切り落とした。ぐちゃあ、と気味の悪い音がして、梶井は作業台から目を背けた。

 倉持はふたたび鉈を振り下ろし、死体の右手だけを切り取った。

「――うん。このぐらいでいいか」

 倉持は納得したようにつぶやくと、棚からバーベキュー用の金串を持ってきて、右手を串に通した。

「ちょっとこれ、持っててくれないか」

 梶井はそれをなるべく見ないようにしながら、怪訝けげんな顔で、右手が刺さったままの金串を受け取った。

 倉持は左手も鉈で同じように切り落とすと、それらをサランラップで一塊ずつ包み、クーラーボックスにしまった。

 それから倉持は作業台の上の死体をふたたびシーツでくるんで肩にかつぎ、ガレージのシャッターを開けて裏手に向かった。梶井も、そのあとに続いた。

 裏手には赤いドラム缶が置かれており、その前に木でできたベンチが置かれていた。

 倉持は死体をドラム缶に入れると、業務用の醤油のボトルのふたを開けて上からかけ、マッチをって火をつけた。

「それ、貸してくれ」

 倉持は梶井から金串を受け取ると、右手にも醤油をかけ、死体が燃やしている火であぶり始めた。

 ――まるで、バーベキューみたいだ。

 そう思った梶井の脳裏に、恐ろしい予感がよぎった。

「待って、叔父さん、まさかとは思うけど――」

 ――梶井がすべて言い終える前に、倉持は死体の右手にかじりついた。 

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