不死の病 一
「メメント・モリって言葉、知ってるか?」
燃え盛る炎の前で、椅子に座って上半身を前に傾け、手を組みながら男はそう言った。
聞いたことはあるけど意味は知らない、と答えると、
「死を忘れるな、って意味のラテン語だ。ヨーロッパでペストが流行し、数え切れないほどの人々が命を落として、死がより身近なものになった。それから、メメント・モリを題材にした芸術作品が流行ったらしい」
「……叔父さんも、似たような精神状態ってこと?」
男はふっと笑い、うなずいた。
「……いつの時代も同じなんだ。死とは、俺たち人類にとって――もっとも恐れ、忌むべきものなんだよ」
「……めざしの頭も信心から、ってことか」
「よく知ってるじゃないか。……ま、俺は迷信とは思ってないけど」
そう言って、男は微笑んだ。
*
「……つまり、友達を探してほしい、って依頼ですか」
横山が探してほしい人物の名前は、リコ。わかっているのは性別が女であることと名前だけで、それが本名かどうかも、リコという名前の漢字もわからない。横山とは歌舞伎町の路上で知り合って、よく一緒に話す仲だったというだけだ。幸い二人で写真は撮っていたので、スマートフォンから顔写真を送ってもらった。
軽そうな見た目とは裏腹に、横山の表情はいたって深刻だった。膝のあたりで手を組み、目を落としている。
「そういうことなら俺たちみたいな探偵じゃなくて警察に頼んだほうが、できることは多いと思うんですが……」
「リコはODとか、なんならキメセクもやってたかもしんないから。家族と仲悪いとも言ってたし、通報なんてしたらかえって逃げられちゃうかも」
そう言って、横山は肩をすくめた。
ODはオーバードーズの略で、社会問題にもなっている市販薬の大量
オーバードーズは違法ではないが、違法薬物を使用している可能性があるなら、警察は放っておかないだろう。
「あたしはもう十九だから、親の許可なしで依頼できるでしょ。ちゃんと調べてきたんだ」
横山はそう言うと、財布から免許証を取り出して掛橋に見せた。
「……仮にリコさんが見つかったとしても、もし本当に違法薬物を使用していた場合は、俺たちとしても放っておくわけにはいきませんよ」
「それって、見逃せないってこと?」
掛橋はうなずき、
「探偵にも、法律を守る義務がありますから」
横山は少し考える素振りをしてから、うなずいた。
「……わかった。最悪、警察に引き渡してもいいよ。リコを見付けてくれれば」
横山は財布から札束を取り出し、掛橋に差し出した。分厚く重なっている一万円札を見て、掛橋は慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってください。代金は、依頼が成功してから頂きますから。あとで大丈夫です」
「なんだ、そうなんだ」
横山は笑うと、札束を財布にしまった。
「……それにしても、横山さんって友達思いなんすね。ちょっと話しただけの子を溜まり場で見かけなくなったからって、そんな熱心に探してほしいだなんて」
おそらくこの場にいた横山以外の誰もが思っていたであろうことを、黙って話を聞いていた我孫子がぽろっと口にした。
「……実は、それだけじゃないの。あたしの友達、他にも何人かいなくなってる子がいてさ」
横山はうつむきながら、言いづらそうに口を開いた。
「わけありな子ばっかだし、もちろん何もないかもしれないんだけど。男と住み始めたとか、ただ来なくなっただけとか……。でも、なんか嫌な予感がしちゃって」
努めて明るく話そうとはしていたが、横山の表情は相変わらず暗いままだった。
掛橋は、少なくとも今の段階では、少女たちがいなくなった原因は横山の言う通り、生活の変化や気まぐれが原因なのだろうと――そう思っていた。
「じゃあ、とりあえず説明はこんなもんで。今日は清掃活動の日なんで、外に出ましょうか」
雑居ビルの一室に、所狭しと会議室のような机と椅子が三セット並べられた場所の一角で、掛橋は面接を終えた。面接といっても、紙に本名と電話番号を書いて提出し、活動内容をざっと説明されただけだ。
掛橋を面接した
『済』の活動内容は、少年少女に限らず困っている市民からの相談に乗り、可能であれば手助けをすること。また、任意での清掃や炊き出し。
主な活動拠点は歌舞伎町だが、相談者が助けを必要としているのであれば、絶対に歌舞伎町内で活動しなければいけないという決まりもないらしい。
いなくなった少女たちは皆、『済』の人とよく話していた――と、横山は言っていた。横山はこういった団体をあまり信用していないため、交流は少ないほうだったらしい。
とりあえず『済』に潜入してきてほしい、と頼まれ、掛橋は入団申し込みをするために、この事務所へ来たのだった。
「あの、この団体は、NPO法人にされたりはしないんですか?」
書類を机の上でそろえて片付けている渡辺に掛橋が尋ねると、渡辺は一瞬、いぶかしげな顔をした。
「おたくは知らないかもしれないけど、NPOって意外と狭き門なんだよ。うちはみんなに自由にやってもらいたいから、社員十名って条件ですら厳しいし」
「……では、ここの資金は、どうやって工面されてるのですか?」
「そりゃ、自腹切ってるんだよ。昼間は会社員の人もいるし、夜の仕事をやってる人もいるし……みんなの気持ちで成り立ってる団体ってことですよ、うちは」
掛橋が納得していると、事務所のドアが開き、人が入ってきた。筋肉質で背が高い男性と、細身で目がうつろなフードを被った少年の二人組だった。
「お疲れ様です、渡辺さん。……あれ、新しく入った方ですか」
背が高い男性は掛橋を見てそう言うと、右手を差し出した。
「
掛橋は自分の名を名乗り、倉持の手を握り返した。倉持の握力は強く、がっしりと手を握られたので、掛橋は手のひらから汗が滲み出た。
「……おい。おい」
倉持は、後ろにいる少年を肘で小突いた。少年は両耳にイヤホンをしていたようで、小突かれたことに気が付いてイヤホンを外した。
「新人さんだって。挨拶したら」
倉持が小声でそう言うと、
「……
梶井は、よく見ていないとわからないぐらい軽く頭を下げた。
「倉持くん、今日は上がり?」
「いや、ちょっと忘れ物しちゃって。これから見回りして、十二時ごろには上がります」
「精が出るねえ。お疲れ様」
倉持は濃いピンクの表紙のクリアファイルを手に取ると、何枚かのページをスマートフォンで写し、棚に戻した。それから爽やかな笑顔でお辞儀をすると、事務所から出て行った。
「……今の方たちは?」
「あの人は倉持さんって言って、入ってもう二年ぐらいかな。ベテランだよ」
「後ろにいた男の子は、倉持さんのお友達ですか?」
「梶井くん? 彼についてはよくわかんないけど、一ヶ月前ぐらいに倉持くんが連れてきたんだよね。甥っ子っつってたかなあ。ずっと連れ回してるんだけど、ちゃんと活動してんのかよくわかんないんだよね。愛想悪いし、暗いしで」
眉をひそめながら、渡辺はそう言った。
倉持と梶井は、車のシートに並んで座っていた。倉持が運転席、梶井が助手席だった。
「……さっきのファイル、なんだったの」
梶井が、ぼそっと尋ねた。
「ああ、あれ? 俺が個人的に気になってた人をリストアップしてまとめたファイルだよ」
「悩んでる人とか、そういうの?」
「……当たらずとも遠からず、ってとこかな」
倉持はコンビニの駐車場に車を停め、車から降りて梶井の分も含めて飲み物を買った。
倉持を待っている間、梶井は、自分が『済』に入るまでの経緯を思い出していた。
梶井は定時制の高校を卒業してから大学にも行かず、二年間、職に就いていなかった。そんな梶井を見かねた父――つまり倉持の兄が、社会生活に慣れるためのきっかけとして『済』に入れてもらえないかと倉持に打診し、一ヶ月前に入団することになった。
以前から、倉持は梶井に無理に干渉しようとせず、自分と対等な目線で話しているような気がしていた。彼は他の大人と比べても信用できるのではないかと、梶井は漠然と思っていた。
――だから、倉持がいる『済』に、自分も入ってみようと思ったのだ。
コンビニから出てきた倉持は、梶井に紙パックのピルクルを渡した。
「何これ、子供扱い?」
梶井が鼻で笑うと、
「お前、不摂生そうだからな。それ飲んで元気出せよ」
倉持も笑いながら、そう言った。
倉持はポケットからショートホープの箱を取り出し、タバコに火をつけながら、
「どう、慣れてきた?」
「慣れたも何も、知らない人の話を聞くだけだし。その気になれば誰にでもできるでしょ、こんなん」
そう言うと、梶井は鼻で笑った。倉持は不服そうな顔もせず、ただにっこりとして梶井の話を聞いていた。
「……俺も、最初はそう思ったよ。しょせんは人の悩み事の種類なんて、十パターンもないしな。親とそりが合わない、親が浮気してる、家庭内暴力、借金……。色んな人の話を聞くうちに、相づちのパターンも決まってくる。『済』のことは俺も知り合いから紹介されたんだけど、正直言って、最初のうちはずいぶん退屈だったな」
「……じゃあ、なんで今も活動してんだよ」
「だから今日は、裕斗にその理由を教えようかと思ってさ。いつもとは違うぞ。楽しみにしてろよ」
倉持はそう言うと、梶井の頭をぐしゃぐしゃと撫で、携帯灰皿にタバコを押し付けて車に乗り込んだ。
普段は徒歩で歌舞伎町の路上にたむろしている少年少女たちの話を聞くのが主だが、珍しく今日は車で来ているし、何か新しいことをするに違いない――。
期待しないほうが良いと思いつつも、一体何をするのだろう、と梶井は気になり始めていた。
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