新天地 二

 翌日、我孫子は、コンクリート造りの四角い建物の前に立っていた。

「松坂様からのご紹介ですね。お話は伺っております」

 そんな話をしただろうかと疑問に思いながら、我孫子は出門に言われるがまま、マッサージベッドに横になった。

 廃墟のような建物の外観に反して室内は掃除が行き届いており、清潔感もある。もっと怪しげな場所を想像していたのだが、さながら診療所のような綺麗さだった。

「あの……こういうことって、誰にでもしてるんですか?」

「……それは、どういった意味でしょうか」

 出門は不思議そうに、首をかしげた。

「俺は松坂から聞きましたけど、俺たち以外にもお客さんっているんですか?」

「ええ、いらっしゃいますよ。名前は申し上げられませんが、著名な方もいらっしゃいます。釘を抜くことは、脳の疲労に絶大な効果をもたらしますので」

 そう話しながらも、出門は釘抜きを手に取って我孫子を見下ろしていた。出門は考えながら、

「そうですね……たとえば、普段から頭を使うお仕事をされている方。政治家やエンジニア、小説家のお客様もいらっしゃいます」

 我孫子は普段から頭を使っているとは胸を張って言えないので、この施術が自分に適しているかどうかわからないと言うと、出門は笑った。

「本当は、頭を使っていない人などいないのですよ。家から出ない方ですら、今や、スマートフォンなどで何かしらの情報は見ているでしょう。お仕事をなさっているなら、なおさらそうです。寝ている間に見る夢ですら、外部からの情報にはなり得るのですから」

 ――そういうことなら、出門の言っていることは正しい。俺たちは、常に何かの情報をインプットし続けている。環境音、物音、人の話し声……。夢も数えられるのなら、情報を遮断することなど不可能に等しいだろう。

「あの、失礼なことを聞くようですが」

「はい、構いませんよ。なんでしょうか」

「……これって、トリックとかじゃないんですか? 本当は頭の中から釘なんて抜いてなくて、あらかじめ持ってる釘を俺の頭の後ろから出して、抜いたように見せかけてるだけ、とか……」

 おそるおそる聞くと、出門はなぜか嬉しそうににこりとした。

「もちろん、疑いを持たれるのもごもっともです。……ですのでそういったお客様には、施術中の様子をお見せしております」

 出門はそう言うと、我孫子の前にモニターが載ったワゴンを移動させ、電源を入れた。そこには出門の釘抜きを持つ手と、我孫子の後頭部が映っていた。

「よく、ご覧になっていてください」

 出門が我孫子の後頭部に釘抜きを当てて引っ張ると、その部分だけ頭皮が溶けたように柔らかくなり――頭の中から、ぬるりと釘が現れた。

 出門は手慣れた様子で、素早く釘を引き抜いた。後頭部に金属が当たってひんやりとはしたが、痛みはまったく感じず、頭が少し軽くなったような感じがした。

 モニターの中の我孫子の後頭部は傷一つ付いておらず、念のために自分の手でも触ってみたが、普段と変わったところはないようだった。

 出門はうやうやしく頭を下げ、

「終了いたしました。次回の分も予約されますか?」

「ええと、ちょっと考えさせてください」

 指定された料金を財布から出しながら、我孫子は引っかかっていた。

 こういう不思議な出来事には、大抵リスクが付きものだ。

「……たとえばなんすけど、一気に大量の釘を抜いた場合も、今みたいに何も起こらないんですか?」

 我孫子の唐突な質問に、出門は少し顔をしかめた。

「……ふむ、それは、どういった意味でしょうか」

「ええと、まあ、頭がおかしくなるとか、現実ではあり得ないものが見えるようになるとか……」

 我孫子は一生懸命考えたが、ぱっとはこのぐらいしか思い付かなかった。掛橋だったらこんな時にもっと的確な例えが言えたのだろうかと、我孫子は少しだけ思った。

 出門は笑って、

「まったくリスクがないとは言い切れませんが、一度に抜ける釘の量はこちらで定めております。規定を超える量を抜きたいと言ってくるお客様には、はっきりお断りさせていただいておりますので」

 ――安全性も抜群、か。

 今のところは、この先も松坂がここに通ったとしても、特に問題は起こらなさそうだ。

「……あ、最後に、一つだけ聞いてもいいすか?」

「ええ、なんなりとお尋ねください」

 そう言うと、出門は頭を下げた。

「出門さんは、なんでこんなことをしてるんですか?」

「そうですね……しいて言えば、人助けでしょうか」

 あごに手を当てて首をかしげながら、出門はそう答えた。

「たとえばなんすけど、人類みんなが釘に頭を支配されてるって主張する団体に入ってる、とか……」

 出門は、声を出して笑った。

「そのような大層なものではございません。わたくしは、個人で商売させていただいております。……それに、わたくしはただ、困っている方々に少しでも楽になっていただきたい。それだけです」

 ――施術室から出た我孫子は、廊下で黒い帽子をかぶり、サングラスとマスクを身に付けた老人とすれ違った。老人は、たまにテレビにも出演している引退した政治家によく似ていた。

 出門はああいった富裕層相手にも商売をしているのかと、老人の後ろ姿を見つめながら、我孫子は思った。

 もし、疲れが溜まらない体を本当に手に入れられるとしたら、大変喜ばしいことではあるが――出門が言ったことを、鵜呑みにしても良いのだろうか。

 とりあえず掛橋に相談してみようと思いながら、我孫子は建物から出た。


「人間の頭に、もとから釘が入ってたってことですか? なんか気持ち悪い話ですね」

 おおかた話し終えると山園やまぞのが眉をひそめて後頭部を触りながらそう言ったので、我孫子は苦笑した。

「ちょっと試してみましょうか。ちょうど釘抜きもありますし」

 そう言うと、掛橋は引き出しから釘抜きを取り出して我孫子の後頭部に当て、釘を抜く動作をした。

「何も出てきませんね。……まあ、当たり前か」

 言いながらも、掛橋は、少しがっかりしているようだった。

「……で、どう思います? 通い続けても問題ないと思いますか?」

 掛橋は腕組みしながら、

「……俺は、おすすめできませんね」

「え、なんでですか?」

 我孫子は驚いた様子で、掛橋を見た。

「たしかに、出門さんが安全を確保しようと努めていることはわかりました。……ですが、もし本当に何のリスクもないなら、そんな便利な技術は世間に公表したほうがより人助けになるんじゃないかと思うんですよ」

「私もそう思いました。Xで広めるとか、そういうことですよね」

 山園は、掛橋に向かって同意を表すようにうなずいた。

「……まあ、SNSでなくても、しかるべき脳の研究機関に伝えれば、なにがしかの反応はもらえるかもしれません。人間の脳にこんなものが埋まっていて、しかもそれを取り出せるなんて、世紀の大発見になり得るでしょうから」

「……じゃあ、やっぱり、出門さんのやってることには裏があるんですかね」

 我孫子は指を組みながら、そう言った。

「どうでしょう。彼の言う通り、本当に人助けをしているだけなのかもしれません。……ただ、俺個人の考えとしては、おおやけにしない以上は何か後ろめたいことがあるのかもしれない、と思っただけです」

 我孫子は少し考え、

「わかりました。とりあえずは松坂から話を聞くだけにします。この話も、一応あいつに伝えておきます」

 掛橋はうなずくと、我孫子を見つめた。長い前髪の隙間から見える目が、こちらをじっと見据えている。

「……それより、我孫子さんは、どうしてそんなところに行く気になったんですか?」

 思いもよらないことを聞かれ、我孫子はぎょっとして、掛橋から目を逸らした。

「いや、そりゃ、まあ……最近、ちょっと忙しかったんで」

「俺は常々、事務所の経営はひっ迫してないし、休みたくなったらいつでも休んでくださいね、と言ってるじゃないですか」

 我孫子にどんどん近付きながら、掛橋はそう言った。珍しく、やや語気を強めて。

「いやあ、なんかつい、頑張りすぎちゃったっていうか……」

 掛橋の視線が痛くて、我孫子はうつむいた。

「すません」

 他に返せる言葉もなく、我孫子はうなだれた。

「……ひょっとして我孫子さんは、私たちのことが信用できないんですか?」

 山園が不思議そうに言ったので、我孫子は慌てて首を横に振った。

「いやいや、全っ然そういうことじゃなくて。ただ、やりきらないと気が済まなかったっていうか……」

「助けを求められる環境にいるなら自分から声を上げないと、背負いこみ過ぎて自滅しますよ。山園さんの言うように、頼れる人がいないのなら別ですが」

「……そうっすよね。猛省します。どうも、すみませんでした」

 肩を落としている我孫子を見て、掛橋はふっと笑った。

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