第5話

「へえ、いいなこれ」

 放課後の美術部準備室で、ようやく完成した作品を實川に見てもらっていた真里也は、彼の評価を聞くまで今日一日中、心ここに在らずで、ずっと落ち着かなかった。

「よかったぁ。先生にまず判断してもらわないと、コンクールどころじゃないって思ってたから」

 實川が色々な覚悟から作品を見てくれているから、真里也は弛緩ちかんした体で椅子に座った。


 コンクールには老若男女、様々な年齢の人が参加する。だから多少、腕前を褒められたからと言って、入賞なんてできるとは思っていない。けれど、挑む限りは何でもいいから評価をもらいたいのが本音だ。


「俺は射邊のお父さんやおじいさんの顔を知らないから、似てる似てないの話はできないけれど、お二人はいつもこんな笑顔で過ごしてるんだなって感じるよ」

 いい顔だなぁと、實川の両手で少し上に掲げられた真里也の作品は、博と父の顔が前と後ろで一つになっていて、二人の口は奥まで見えるんじゃないかと言うほど大きく開けて笑っている、羽琉命名の爆笑顔だ。


 最近、博は大声を開けて笑うことが少ない。最初、体の具合が悪いんじゃないかと心配して真里也は病院へ行けと、口うるさく言っていた。

 どこも悪くない、ピンピンしていると聞き入れてくれなかったけれど、食事をとる量も減っているし、頼むから言ってくれと懇願した。

 夏バテだと言いつつも、渋々病院へ行ってくれた。そして目の前に血液検査の結果を突き付けられ、異常がないことを目で見てようやく真里也はホッとできたのだ。


 今、真里也の家族は博だけしかいないけれど、また、父が生きていた頃みたいに博には笑顔でいて欲しい。二人──いや、羽琉を入れて三人でいつまでも笑っていたい。

 真里也が作った作品は、そんな思いが込められている。


「でもよく間に合わせたな。俺がもっと早くコンクールのことに気付いてたら、時間をたっぷりかけて完成させることができたのに、すまなかった」

「そんな、先生が謝らないでください。それに、俺はこれでよかったですよ。逆に時間がたっぷりあったら、きっと、あーでもない、こーでもないって迷ってたと思うから」

「なるほど、射邊は追い込まれると本領を発揮するんだな。覚えておこう」

 じゃ、来週から始まる中間テストも余裕だろ、何て言われたから、「テストは別です」と、笑った返した。


 隣の美術室では、モデルを用意してデッサンの練習をしている。静かにしないといけないのに、思わず大声で笑ってしまったから、真里也は慌てて實川にすいませんと、頭を下げた。

 すると、後ろでドアが開く音がし、同時に、「こらっ」と、叱責の声を浴びた。


「す、すいません。大きな声出してしま──って、な、何で羽琉がここにいるんだよ。し、しかも、は、はだ、裸……」

 ドアの方に向かって頭を下げたものの、怒っていた人間は羽琉で、しかも愉快そうに笑っている。何より一驚したのは、羽琉が上半身裸で、下半身にはバスタオルを巻いているといった、露わな姿だったからだ。

 おかげでまた大声をあげそうになったから、慌てて口を両手で押さえた。


「玉垣、お前はモデルのくせにウロウロするんじゃないよ。それに、射邊に今日のこと話してなかったのか?」

 實川の言葉を聞き、モデルってどう言うことだよと、今度は静かに言った。

「なんか、今日のデッサン? のモデルさんが腹が痛くなって来れないって先生が困ってたからさ、代わりに引き受けたんだ」

「そ、そうだったんだ。あ、でも羽琉。今日ってバイトは?」

「今日は臨時休業。店の空調が故障して気候のいい間に修理しとこうってなったんだ。これから寒くなるから、暖房が使えないとお客さんが寒いだろ」

 だから、今日がフリーになったんだと言いながら、腰のバスタオルを巻き直している。 

 そのタオルの下はどうなっているんだと、真里也が見入っていると、タオルを留めていたピンが外れ、はらりと落ちそうになった。


「うわっ! は、羽琉っ。み、見える──」

 目をギュッと閉じたまま、真里也は落ちたタオルを手探りで拾うと、「は、早く巻け」と、羽琉にタオルを押し付けた。けれど、また笑い声が聞こえてきた。今度は二人分だ。

 そろっと目を開けると、羽琉と一緒になって實川までもが笑っている。

「ほら、真里也見てみろ」

 名前を呼ばれて反射的に羽琉の方へ振り返ってみると、ジャジャーンと、自前の効果音と共にバスタオルを開帳して下半身を曝け出した。

「ば、ばかっ。よせっ。は……るってなんだよ、もう。海パン履いてんじゃん」


「ははは、生徒を真っ裸にさせるわけないだろ。ほんっとに射邊は可愛いな」

 まだ、くすくす笑っている實川に頭を撫でられながら、禁句を言われた。けれど、差し出された手も、毛嫌いする形容詞もちっとも嫌な気持ちにならなかった。

 不快に思わなかったことが逆に不思議に思い、ポカンとしていると、羽琉の視線を感じた。

 真里也をジッと見てくる表情はどこか悲しげに見え、声をかけようとしたが、ツイっと視線を逸らされてしまった。


 何だよ、なんで目が合ったのに無視するんだ。


 意味がわからず不貞腐れていると、美術部員の一人が準備室にやって来た。

「モデルさん、休憩終わりよ。さあ、定位置に戻ってよね」

 羽琉の腕を掴んで連れて行こうとしている女生徒は、チラッと真里也の方を見てくると、プイッと顔を背ける仕草をして羽琉の腕を強引に引っ張って去って行った。


 キュッと吊り上がった大きな目は猫のように見え、一瞬だったけれど、真里也を鋭く睨んできたように見えた。

 初対面の女生徒から睨まれる覚えがないから、気のせいだと思いたかったけれど、どう考えても、彼女は自分を憎々しげに見ていた気がする。

 やはり、隣で部活をやっているのに、騒いだ自分が悪かったのだろうとよぎり、今度からは気をつけなければと、全力で反省した。

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