第25話

「ああ。あの時の……」


 ロニアの中で記憶が蘇る。それはロニアが一回目の最終試験に落ちた次の年のことだった。

 その年は各地で大結界が弱まっており、大神殿は各地の神殿から入る救援要請が絶えず、人手不足に陥っていた。主だった神官や聖女たちが各地に派遣されて不在だったその日に限って、騎士団が演習先で魔物と遭遇してしまい、予想外の強さに多数の死傷者が出てしまったのだった。

 怪我人を連れて這う這うの体で大神殿に帰還した騎士たちだったが、大神殿に残っていた聖女や神官たちでは到底治療が追い付かなかった。そこで軽症者の治療を修行中の聖女見習いたちにやらせるように騎士団長から要請が入ったのだった。

 ロニアたち聖女見習いたちは軽症者が控える大神殿の広間に案内されたが、額や手足から大量の出血をした者が床に直接寝かされている姿を前にして怖気づいて逃げ出した者や泣き出した者もいた。それでも優等生の聖女見習いたちを筆頭に治療を行い、どうにかして怪我人を癒していった。

 そんな中で唯一誰からも治療を受けずに最後まで放っておかれた騎士がいた。それが当時から「騎士団の狂犬」として恐れられていたフェルディアであった。


「他の騎士からなんて呼ばれて、そして聖女や神官たちから恐れられているのか知っています。ですから治療を拒まれても仕方がないと諦めていました。その時もしばらく待っていましたが誰も近寄ってこなかったので自分で手当てをしようと部屋を出た直後でした。貴方に声を掛けられたのは」

「あの時は私もその……目の前の怪我人で手が一杯でフェルディアさんの噂を気に掛けている余裕なんてなくて……とにかく必死だったんです」


 忘れたい失態の一つとして、すっかり記憶に蓋をしていた。フェルディアがロニアを探して騎士団に入ったと知って徹底的に避けていたものの、この時ばかりは緊急事態だったこともあって関わらざるを得なかった。ロニア自身も初めての実戦で慣れない治療に悪戦苦闘していると、怪我を負っていながらふらりと広間を出て行こうとした騎士がいたので、つい後を追い掛けてしまった。

 頭から血を流し、足も怪我をしているのか片足を引き摺るような歩き方をしており、今とは違って他の騎士と同じ騎士団から支給される騎士服だったので、遠目からは誰か分からず、ただとにかくそのままにしておけないからと、考えるより先に呼び止めてしまったのだった。

 声を掛けてから相手があのフェルディアだったことに気付いて、ロニアは心底後悔したくらいであった。


「ええ、分かっています。貴女はそういう方です。きっと怪我をした俺を放っておけなくて声を掛けてくれたのでしょう。あの時の聖女見習いたちは初めての実戦で誰もが緊張していました。怖くて泣き出した者や出て行ってしまった者がいる中で、貴方も辛いのを必死に堪えているような様子で騎士たちの治療に当たってくださいました。幾人も治療して疲れているところ、無理を押し通して私の傷まで癒してくれて……今でも深く感謝をしております」


 フェルディアが深く頭を下げる。言われて思い返せば、あの時のフェルディアはここまで物腰丁寧では無かった。治療をしなくていいと拒絶され、一人でも多く他の騎士を救えと眼光鋭いガーネットのような赤い瞳で威圧もされたのだった。

 その時にはロニアも相手がこれまで避けてきたフェルディアだと気付いていたので、言われた通りに戻ろうか悩んでしまった。それでもやはりそのままにしておけなくて、ロニアはフェルディアの腕を掴んで通路の片隅で治療を始めたのだった。


「その時に貴方が言われた言葉は今でも覚えています。『怪我人を前に身分も人柄も関係ない。困っている人がいるのなら助ける。それが聖女の務めだから』と……」

「そんなこと言いましたっけ……?」

「覚えていないのも無理はありません。でもその時に思ったのです。この聖女見習いは――貴方は将来素晴らしい聖女になると。そんな聖女に仕えられたのならどんなに幸せなことか夢想したものです」


 大神殿で普段騎士団の治療を請け負っている聖女や神官たちの大半は貴族の出身であり、ロニアやフェルディアのように平民階級や孤児をどこか蔑んでいるところがあった。大神殿には時に重い病や重度の怪我を負って治療のために運ばれてくる国民がいるが、そういった国民たちを貴族出身の神官や聖女たちは見下している。自分たちが国民から崇拝される聖職者にして貴族階級であることを利用して、相手が逆らえないことを良いことに高圧的な態度を取り、必要以上に金を払わせようとするのだった。

 怪我人や病人たちは背に腹は代えられないからと借金までして金を積み、余分な金は治療に当たった神官や聖女たちの懐に入る。そして神殿長と神官長には正規の値段で治療したと虚偽の報告をするのだった。そんな腐敗した大神殿にやり方にロニアは辟易しており、自分だけでも大神殿で語り継がれる曇りなき聖女になろうと反面教師にしたものであった。


「ほとんどの聖女たちが身分や容姿、はたまた親からの命令で騎士を決めてしまう中、騎士の人柄を見てくださる聖女はそうそういません。それから貴方のことを知って、そして最終試験で合格したと聞いた時、守護騎士の打診が来ないかと密かに期待をしてしまったものです。打診はありませんでしたが、それならせめて貴方が聖女として旅立つ姿をこの目に焼き付けようと儀式への参加を申し出てしまいました」

「それで今年は儀式に参加したんですね。毎年不参加だと聞いていたのに、今年はどうして参加したのかと聖女たちも不思議に思っていました」

「やはりそうでしたか。どうも儀式のような堅苦しい行事というのは苦手で、いつも騎士団長に相談して参加者から外してもらったのです。これまでも儀式の日は警備や巡回などを割り当ててもらいました」


 なんてことのないように笑うフェルディアにロニアは不思議と胸の中が熱くなっていくのを感じる。フェルディアの傷の手当てをした時は、まだ自分が落ちこぼれだと思っていなかった。努力次第で自分は何だってできると信じていた無鉄砲な時期であった。

 聖女として独り立ちできるか見極める最終試験に落ちる者は毎年少なからず存在する。だいたいは二回目の試験、遅くても三回目の時には合格して大神殿を出て行ってしまう。試験を四回も受けたロニアが異常なだけである。流石に三回目の試験に落ちた時は、ロニアが如何に無能であるか自覚せざるを得ず、そこからすっかり聖女としての自信を失ってしまったが……。

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