第23話

(えっ……)


 魔物は血を拭き出しながら土煙を上げて後ろに倒れてしばらく痙攣していたもののすぐにピクリとも動かなくなる。フェルディアは血が溢れ出す右腕を押さえながら魔物から剣を引き抜くと、剣を力任せに振って刀身についた血を地面に落としたのだった。


「フェル……」

「ご無事ですか……聖女さま……?」


 その場でよろけたフェルディアは剣を地面に突き立ててどうにか転倒を免れる。しかし先程から顔は青く、額からはおびただしい量の汗が噴き出していた。

 ロニアを庇って魔物に襲われたのは明らかである。


「どうして……」

「言ったはずです。必ず貴方を守ると……うっ!?」


 地面に膝をついていたフェルディアの背中をウサギほどの大きさをした小さな魔物が襲い掛かる。先程の魔物に比べたら大したことのない力だが、重傷のフェルディアには耐えられない。ロニアは近くに落ちていた石を闇雲に投げて追い払うと、すぐにフェルディアに向き直る。


「待っていてください。すぐに回復の魔法をっ!」


 両手を前に伸ばしたロニアではあったが、魔物に襲われかけた衝撃と自分を庇ったフェルディアが大怪我を負ったことにショックを隠し切れない。動揺が大きいからか頭の中が真っ白になってしまい、癒しの呪文が浮かんでこなかった。


(早く回復させないと! 早く、早く……!)


 ロニアは自分を急き立てて呪文を思い出そうとするが、そうしている間に癒しの呪文どころか他の呪文さえ思い出せなくなる。どうしてという気持ちがますますロニアを焦らせ、ますますロニアをパニック状態に陥らせてしまう。とうとう泣きながら魚のように口をパクパク開閉させているロニアに、またしても衝撃が襲う。片腕から血を流すフェルディアが「良かった……」と安堵の息を吐きながらロニアを抱き締めたのだった。


「貴方が……無事で……本当に……良かった。俺のことは良いので……逃げて……くださっ……」

「これの何が良かったんですか!? フェルディアさんがボロボロになっただけじゃないですか!? 待ってください。すぐに怪我を癒しますから……」

「俺のことは放ってください……何よりも大切な貴方を守れた……今度こそ……もうそれだけで俺は……」

「フェルディアさん!? いやっ……しっかりしてっ……! ルディ!!」

 

 そのまま力が抜けて地面に倒れてしまったフェルディアをロニアは抱き留める。真新しい白いローブがフェルディアの血の色に染まろうと構わなかった。ただ目の前で大切な人が息も絶え絶えの歩くことさえままならない瀕死の状態になっている。

 このままではフェルディアは助からない。ロニアが傷を癒さなければ、フェルディアの命は無い。けれどもロニアは一向に癒しの呪文を思い出せずにいた。

 聖女でありながら、家族同然の大切なフェルディアでさえ救うことができない。せいぜい「ルディ……」と呼んで、泣くことだけ。

 こんな不甲斐ないことがあっていいものだろうか。聖女とは全ての民に癒しと救いを与える存在。今のロニアに聖女を名乗る資格はあるのか。


(ルディを死なせたくない。でもさっきから頭の中がぐちゃぐちゃで呪文が出てこない。早く助けないといけないのに……もし私に力があったのなら、それこそ女神様のように力があったのなら、呪文が分からなくても助けることができるかもしれないのに……)

 

 無いものをねだっても仕方がない。どうにかしてフェルディアを助ける方法を考えなくては。ロニアは辺りを見渡しながら声を張り上げる。


「誰か! 誰か助けて! ルディを……私の騎士を助けて! ねぇ、誰か! 助けて! お願い! ルディを助けてっ! ルディを……!」


 その時、繁みが不自然に音を立てて揺れたので、ロニアはまたしても魔物が現れるのかと覚悟する。今度こそフェルディアを守るために自分が盾になろうと決めるが、現れたのは一人の若い騎士であった。


「無事ですか!?」

「貴方は……?」

「大神殿に所属する守護騎士です。この近くで魔物が大量発生しており、聖女と守護騎士が戦っていると聞いて援護しにきました」


 ロニアに軽く一礼してすぐに残った魔物と対峙した守護騎士に続いて、ロニアと同じ聖女のローブに身を包んだ若い聖女が姿を見せる。桃色の髪を頭の上でまとめた聖女はロニアたちを見つけると、早足で近寄ってきたのだった。


「もう大丈夫ですわ。さぁ、彼の怪我を診ましょう」

「貴女も聖女ですか?」

「そうですわ。担当する地域の治療院を回っていたところ、男性に声を掛けられましたの。人手がいると聞いて助けにきました」


 ロニアたちより少し年上と思しき聖女は癒しの呪文を唱えると、あっという間にフェルディアの腕の傷を癒していく。荒い息を繰り返していたフェルディアも次第に落ち着いていき、やがて「ありがとうございます」と小さく呟いて立ち上がったのだった。


「よろしいのですか?」

「はい。聖女さまをお願いできますか。俺も戦います」


 それだけ言うと、フェルディアはロニアを見向きもしないで騎士と合流して魔物を討伐していく。先程までの怪我をものともせずに縦横無尽に剣を振るうフェルディアを見ているうちに、ロニアの目から涙が溢れ出す。

 フェルディアは命がけでロニアのために戦ってくれているのに、ロニアは守られてばかりで聖女としての務めさえ果たせていない。

 今も聖女たちが助けてくれなかったら、フェルディアと共に魔物の餌食になっていただろう。あまりにも不甲斐ない。悔しさで涙が止まらなくなる。

 やがてフェルディアたちによって魔物が全て倒され、先に逃げ出した人たちの怪我を聖女が治療したが、ロニアは終始その場に立ち尽くしただけであった。


 ◇◇◇

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