聖女は迷う

第16話

「ん、んんっ……」

「お目覚めですか。聖女さま」


 香ばしい匂いに気付いたロニアが瞬きを繰り返しつつ身体を起こすと、近くでは火を焚いたフェルディアが料理をしているところだった。

 肉と野菜を交互に刺した串が火の周りを囲んでおり、フェルディアは火にかけた鍋でスープを作っていた。


「いつの間にか、寝ていて……」


 途中からロニアの意識が無い。顔に当たる風が冷たいと毛布を顔まで被ったところまでは覚えている。そこから先の記憶が曖昧なので寝てしまったのだろう。フェルディアに昨日のことを謝罪しようと思った矢先に失態を犯してしまい、ロニアは深いため息を吐いてしまう。

 

「休憩しようと馬車を停めたらぐっすり眠られていたので、起こすのは悪いと思って声を掛けませんでした。寒くはありませんか? 今朝市場で分けてもらった野菜屑と干し肉のスープがもうすぐ完成します。それともお湯を沸かして、お茶の方が良いでしょうか……」


 フェルディアのかき混ぜる鍋の中ではとろりとした白いスープの中で、細かく刻まれた野菜や肉がくるくると渦を巻いていた。パチパチと音を立てる火からは、串焼きの肉がジュウと肉汁を垂らしており、辺りには濃厚な肉のうまみが詰まった匂いが充満する。

 空腹を思い出したロニアが生唾を飲み込んだ途端、お腹が音を立ててしまう。羞恥で顔を赤く染めたロニアにフェルディアは口角を緩めたので、ロニアはわざとらしい咳払いをする。

 

「ありがとうございます。ル……フェルディアさんもずっと御者をしていてお疲れですよね。それなのに全て任せてしまって、すみません……」


 まだ頭が寝惚けているのか、ついルディと呼びそうになってしまう。慌てて言い直したが気付かれただろうか。ちらりと様子を伺うが、フェルディアは気にしていないようであった。

 カップにスープをよそうと、ロニアの前で片膝をついて差し出す。


「これくらい騎士見習い時代の野営演習に比べたら大したことはありません。あの時は水や食料も自分たちで調達しなければなりませんでした。泥水だろうが見ず知らずの野草だろうが魔物だろうが、とにかくなんでも口にしました」

「それは……大変でしたね」

「ですが、その時の経験が今になって活かされています。簡単なものですが、串焼きも用意しています。近くで狩った動物の肉と市場で買った野菜を焼いています。じきに焼けるので、それまでスープで身体を温めてお待ちください」


 ロニアがカップを受け取ると、すぐにフェルディアは火に戻る。そうして自分が着ていた風除けのローブを脱いで地面に敷くと、「こちらへどうぞ」と手招きされる。


「火元の方が温かいです。この辺りの魔物は火を恐れる低級ばかり。急に茂みから現れたとしても、俺がすぐに貴方を守れます」

「それなら魔物除けの結界を張ります。そうすればフェルディアさんもゆっくり休めますから」

「心配には及びません。俺はこの通り、まだまだ元気が有り余っています」


 フェルディアはわざとらしく腕を曲げて力こぶを見せるが、どことなく覇気が無いように感じられる。やはり徹夜明けでの長時間の御者は骨身に応えたのではなかろうか。

 そんなことを考えつつカップに息を吹きかけながら口を付ける。野菜と肉の旨味が溶けたあっさりとした塩味が、ロニアの身体を芯から温めてくれたのだった。


「美味しいです……」


 ロニアの口からほうっと息が漏れる。

 フードを羽織って毛布も掛けていたものの、直接風に当たっていた身体はすっかり冷えていたらしい。フェルディアが毛布を用意してくれなかったら、底冷えして風邪を引いていた。神殿に到着して早々に風邪で寝込むことにならなくて良かった。

 両手でカップを包むように持って冷えた掌を暖めていると、ふと串焼きの焼き加減を見ているフェルディアの後ろ姿が目に入る。ロニアと同じようにカップに口を付けながら、串焼きが焦げないように時々ひっくり返すフェルディアの姿を見ているうちに、徐々に子供の頃の思い出が蘇ってきたのだった。

 集めた落ち葉と小枝に火をつけて、神殿の庭で収穫したての芋を焼いて食べた穏やかな日。

 フェルディアが焼いてくれる芋は焼きすぎて焦げてしまったが、どれもホクホクで芋の甘味が染みていた。

 舌を火傷しながら頬張った芋はこれまで食べたどの芋より美味しく、二人で芋を分け合ったのも懐かしい。

 フェルディアは辛い味付けが好きで、野菜や肉には香辛料をやたらとかけてしまっていた。この時に焼いた芋にも香辛料をたくさん掛けていて、大人たちに怒られていた覚えがある。

 勿論、ロニアには香辛料を振る前、必ず焦げていなくて大きい方を渡してくれた。本当は自分だって大きくて焦げていない方を食べたかっただろうに、ロニアが弟分だからと気を遣ってくれて――。


(あの頃に比べたら、火の扱い方が上手になった。器用で手際が良くて、自分より他人を優先しちゃうのは相変わらずだけど……成長したのは背格好だけじゃないのね)


 幅広いの肩と頸にかかる黒い髪。肌は健康的な色をしており、黒い騎士服の上からでも鍛えられているのが一目で分かる身体付き。無駄な贅肉なんて一切ついていない引き締まった身体を見ていたはずが、無意識のうちに腕を伸ばしていた。

 ロニアの手がフェルディアの髪に触れ、そして頭を撫でる。指先が耳たぶに当たった時、フェルディアがハッとしたように振り返ったので、それでロニアも我に返ったのだった。

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