第2話

(ひ、ひぇ……)

 

 恐れ慄いたロニアは反射的に目を逸らしてしまうが、それは他の聖女たちも同じであった。しかしロニアと違って聖女たちはめげずに幾分か声を潜めると、不服を漏らす。


「ちょっと、なんで今年は『騎士団の狂犬』までいるのよ! まさかあの騎士を守護騎士に指名した聖女がいるっていうの!?」

「今まで誰からも指名をされず、守護騎士任命の儀にも参加しなかったっていうのに……今年に限ってどういう風の吹き回しなのよ!」

「あんな問題児でも任務遂行に関しては優秀で、騎士団長の覚えもめでたいなんてね。でも他の騎士や聖女には厳しいのよね。あんな騎士と主従の契約を結ぶくらいなら、一人で神殿に行った方がマシよ」


 聖女たちが黒衣の青年騎士についてブツブツと文句を言う中、ロニアはそっと黒衣の騎士に目線を戻す。所属部隊の色で分けられているはずの騎士団の制服の中でも黒と赤の特注の騎士服を纏うことを許された人物。うなじまで伸びた猫のようなくせ毛の黒髪とガーネットのような赤い瞳が、より青年を強く恐ろしい存在に見せているようで、どこか近寄りがたい雰囲気を出している――ロニアが目を逸らしてからは、どことなく落ち込んでいるように目線を落としているようだが気のせいだろうか。


(でもどうして今年になって儀式に参列する気になったんだろう。今までずっとこういった行事には参加してこなかったのに……やっぱり今回の聖女の中にルディと契約を結ぶ聖女がいるのかな……)

 

 そんなことを考えていたからか、また黒衣の青年騎士――ルディがロニアの方を向いたので、ロニアは慌てて下を向く。


(ううん。もうルディとは兄妹でも家族でもないもんね。私が気にする必要なんてない。誰かの守護騎士になったって、そんなの関係ないもの……)

 

 胸の前でぐっと手を握りしめる。昔はこんな関係じゃなかったのに。自分が聖女になっただけで随分と距離が遠くなったように思う。

 騎士団に所属するどの騎士よりも任務に忠実で、目的を達成するためならば手段を選ばず、仲間さえも任務を完遂するための道具として使い捨てるようになったルディことフェルディア。

 迅速な対応と判断力の高さ、そして優秀な剣の腕前から、騎士団でも屈指の実力者として名声を得たものの、それと引き換えに周囲からは畏怖の念を抱かれた。騎士団の団長以外の命令に従わない姿から、やがて「騎士団の狂犬」と呼ばれるようになり、騎士と聖女たちから一目置かれる存在になってしまったのだった。

 そんな良くない噂ばかりが囁かれるフェルディアだが、本当は誰よりも優して頼りがいのある兄貴肌の青年であることをロニアは知っている。

 この大神殿に入る前、まだ幼いロニアが預けられた地方の小さな神殿で共に育った大切な兄。

 面倒見が良くて、どこに行くにもロニアを連れ出してくれる大好きなフェルディアだったが、ある日急にロニアが聖女として大神殿入りすることになって、別れの挨拶をする間もなく別れてしまった。

 それが原因なのかそれとも離れ離れになっている間に何かが起こったのかは分からないが、数年後に大神殿で再会した時のフェルディアは別人のように変わっていた。

 温柔を忘れてしまったかのように他者に厳しく、勇猛果敢でありながらもどこか背筋が冷たくなるような恐ろしさを持ち、そして近寄る者を無遠慮に斬り捨てるような魔物よりも冷酷な人間へと――。


(今日までどうにかルディと会わずに済んだ。そして明日からは大神殿を出て、どこかの神殿で聖女として従事することになる。もうルディと会うことも無い。今度こそルディとは正真正銘の別れ。最後まで真実を話せなかったのはもどかしさがあるけれども……)

 

 きっとフェルディアは何も言わずに出て行ったロニアを恨んでいる。勿論、ロニアとしてもフェルディアを捨てたつもりは無い。

 あの時はロニアたちの保護者役を担っていた高齢の聖女の命令に従って、何も言わずにフェルディアから離れることしか出来なかった。幼いロニアはとにかく無力で、誰かに従うことでしか身を守れないひ弱な子供だった。高齢の聖女に指示された通り、自分を守るために名前や性別まで偽っていた。

 大神殿に入って、聖女になればフェルディアと向き合える自信を得られると思っていたが、その前にフェルディアはロニアのすぐ側まで現れて、そして並々ならぬ憎悪を向けてきた。

 和解の道はほど遠く、フェルディアに真実を話すことは到底出来そうに無い。

 フェルディアは考えもしないだろう。フェルディアが探している弟というのが、身を守るために少年の振りをしていたロニアだということを――。

 

(聖女になった以上、ルディなんてもう何も関係ないはずないのに。それなのにどうしてこんなにモヤモヤするの……? きっとルディだってどこかの貴族から頼まれて、その家の令嬢と主従の契約を交わして守護騎士になる。この儀式に参列している騎士の大半はそうよ! ラシェル様だってそう。だってラシェル様がこれから主従の契約を結ぶ相手は……)


 赤い花の髪飾りにそっと触れる。この髪飾りはこれからロニアが契約を結ぶ騎士――ラシェルから贈られた大切なプレゼント。

 通常二年から三年の修業期間を得て聖女として独り立ちする中で、五年も大神殿で修行した落ちこぼれのロニア。

 他の聖女より厳しい修行と繰り返される最終試験、そして「落ちこぼれ」という烙印と共に囁かれる陰口に落ち込んでいたロニアを慰め、そして主従の契約まで申し出てくれたのはラシェルただ一人だった。

 侯爵家の出身で次期騎士団長とも噂される優秀なラシェルが平民出身の孤児で聖女の落ちこぼれであるロニアの騎士になってくれるはずがない。最初こそからかっているだけだと思って本気にしていなかったが、最初の最終試験の前に口約束では無いという証に、この髪飾りを贈ってくれた。それからは毎日身につけているロニアの宝物であった。

 最初は主従として功績を上げていき、ラシェルの両親を含めて周囲にロニアの存在を認めさせる。その功績を元に貴族として爵位を得て、いずれは他の聖女と守護騎士のように婚姻も結びたい、と。守護騎士の申し出と共に愛の告白までしてくれたのだった。

 それからのラシェルはロニアを聖女として一人の女性として丁重に扱ってくれた。限られた時間で内密に会い、他愛のない話をして仲を深めていき、何度も最終試験に落ちてしまうロニアの合格を根気強く待ち続けてくれた。今この場にいられるのは、他ならぬラシェルのおかげでもある。

 きっとここにいる聖女たちは誰も思わないだろう。騎士団のエリート騎士が契約を結ぶ相手というのが、神殿一の落ちこぼれ聖女だということに――。

 ロニアが思案している間に神官たちの用意が整ったのか、壇上に数名の神官といつの間に席を立っていたのか騎士団長が姿を現したので、再び大聖堂内に緊張感が戻ってくる。

 粛々と次の儀式の準備が進められていく中、大神殿に務める聖女の一人が筒状の羊皮紙を大量に載せた銀製のトレーを神官に渡したのだった。


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