第51話

 懐かしい食事を口にする度に涙は溢れた。

 名前も知らない相手の目の前で子供の様に。仕舞にはその女に頭を撫でて慰めて貰った所で私はようやく泣き止んだ。


 思い出したら恥ずかしい。

 不思議なことだらけなのに食事を無我夢中に口に運んだり、見知らぬ女——自分よりも幼く見える人に頭を撫でられて慰めて貰ったり等、誰にも言えない。


「あうぅ……」


「タィキチェウフィ? オッハゥキノユ?」


「いや、その……頭を撫でないでくれ。大丈夫、もう泣いていないからッ」


 優しく頭を撫でてくれる女から遠ざかる。

 遠ざかると少しだけ女が悲しそうな表情を作った。

 止めて欲しい。その表情は私に効くんだ。思わず頭を差し出してしまうだろう。


「ふぅ……それよりも、改めて礼を言いたい。私を助けてくれてありがとう。治療をしてくれてありがとう。そして、温かな食事をありがとう。おかげで私は私の本当の気持ちを知ることができた」


 両手を重ね、頭を下げる。森人族の礼儀作法だ。

 言葉は通じないだろうが、せめて態度だけは示したかった。

 首を傾げていた女だが、礼をしていると察してくれたのかニコリと笑みを浮かべると立ち上がり、外へと続く暖簾の前で手招きをした。

 ……お礼は通じたんだよな?

 取り敢えず、言葉は通じないので女に続いて外へ出る。


 外に出ると幾つもの視線が私に集まるのを感じた。

 周囲には女と同じ背丈の男、女、そして彼女よりも小さな——彼等の子供らしき者までいる。

 やはり彼等は小人族なのだろうか。

 しかし、小人族が住んでいるのは小森林の何処かだと聞いた覚えがある。ベリス大陸ではないはずだ。


「ソッヒロ」


 女が私の手を引いて集まりかけていた人混みを掻き分け進んで行く。

 歩いていると気付くことがあった。

 ここはまだベリス大陸だ。

 天井には分厚い岩があり、時折隙間から砂が零れ落ちて来る。ここはあの砂漠地帯の下にある地下空洞なのだ。


 しかし、地下空洞にしては明るすぎる。

 何を光源としているのか。探してみれば、それは直ぐに見つかった。水晶だ。

 森人族では、光蟲と呼ばれる虫や光り苔を使って夜の闇を照らしていたが、ここでは光る石が闇を照らし、生活を支えているらしい。

 珍しい。じっくり見ていると不意に手を引っ張られる。

 距離が離れ、心配してくれた女が戻ってきてくれたようだ。頭を下げて今度こそ彼女について行く。

 辿り着いたのは、これまで立ち並んでいた粘土でできた家よりも少し大きな家だ。恐らく長の家だろう。

 女の後に続いて家の中へと入る。


「来たようだな」


 入った途端、一番奥に座っていた少年とも言って良い容姿の男が口を開いた。

 言語は共通語。私も分かる言葉だ。

 背丈は女よりも少し高い。髪は同じく紫色だ。子供のような姿でも声は低い。可愛い見た目をしているのにアンバランスだ。


「お前、今お……私のことを可愛いと言っただろ?」


「うん思った」


「隠さないのかこいつッ」


 素直に頷くと男はげんなりとした表情を作る。


「言っておくが、私は子供ではないぞ。これでも八十年は生きている歴とした魔人族の大人だ」


「魔人族なのか? てっきり小人族なのだとばかり」


「……ふん、良く勘違いされがちだが、お……私たちはちゃんとした魔人族だ。何故こうなったかは知らないがな。そこはこのように生み出した魔神様に聞いてくれ」


 何度も同じことを言われたのか。不満げな様子で語る。

 もう少し種族について聞いて見たいが、踏み込んだらもっと機嫌が悪くなりそうだ。止めておこう。


「はぁ、まぁ良い。座れ」


「失礼する」


 男が手で座布団を指し示すので、御言葉に甘える。

 囲炉裏を挟んで対面に男が、左横に私を助けてくれた女……そして、いつの間にか右横に老人がいた。

 …………いや、待て。本当にいつこの老人はいたんだ!?

 入った時にはいなかったのに、座る時には囲炉裏を囲んでいた。こちらの驚く視線など気にせずに火鉢で薪を突いている。


「それで——お前は何者だ?」


「その前に、言いたいことがある。そちらの女に言葉が通じないので通訳をお願いしたい」


 男の問いには答えず、要求を突き付ける。

 男の目が細くなるが、私も視線を逸らさない。暫くして折れた男がどうぞと言わんばかりに手を掲げた。

 体の向きを変え、女に改めて礼を告げる。


「私の名前はリボルヴィアと言う。助けてくれてありがとう。あなたのおかげで私は大事なことに気付けた。この恩は忘れない。今返せるものはないが、必ずこの恩は返しに来る。私の母の名に懸けて誓おう」


 男が女に向かって私の言葉を翻訳する。

 すると女は照れたように頭を掻き、一言呟いた。


「ふん、私の名前はリタ。気にしないで、リボルヴィアちゃんだとさ」


「そうか。あなたはリタというのだな。ありがとう。あなたは心が広いな」


「楽観的すぎるだけさ」


「随分な言い方だな」


「俺の妹なもんで……あ、私の妹だからな。長いことこいつを見ているから分かる。それと言っておくが、お前を治療したのはこいつだが、見つけたのはそこにいる爺だぞ」


「そうだったのか。おじいさん、あなたにも礼を」


 私が老人に向かって頭を下げる。

 老人はただチラリと視線を向けるだけで、すぐに囲炉裏の薪を突き出した。


「通じている、のか?」


「さぁな。滅多に喋らない爺だ。気にしなくて良い。それで、リボルヴィアと言ったな?」


「あぁ、できれば。あなたの名前も聞きたいな」


「……おれ、私の名前はフラテだ。ここの長をしている」


「慣れないのなら、俺でも構わないと思うが?」


「うるせえ」


 やはり、彼がここの長だったか。

 しかし、妙にそわそわしている。もしかして、長の座に就いたばかりかな。


「では、あなたにも礼を」


「構わねぇよ。俺は元々助けることに反対していた人間だからな。お前をリタが面倒を見ると言った時には頭を抱えたよ」


 そうだったのか。

 兄妹とは言え、長とそうでない者はかなりの差があるだろうに。リタはそんな反対を押し切って私の世話をしてくれたのか。

 じんわりと温かな気持ちが胸に広がる。


「それじゃ、改めて本題に行こう。こっちもお前みたいな厄介者を早々に片付けたいんでな。さっきの質問に答えろ。お前は何者だ?」


 リタが心配そうな表情で私とフラテを交互に見ている。

 ここに私を連れて来た理由は私を見定めるためなのだろう。助けてくれたリタに迷惑をかける訳にもいかない。私は素直に答える。


「見ての通り。脱走奴隷だ」


 手を広げて見せる。

 今の私は剣も持っていなければ、海人族から貰った装備も身に着けておらず、汚い布でできた衣服と言えるかも怪しいものを身に纏っているだけだった。


「チッやっぱり奴隷だったか。しかも逃げ出しやがった。大方砂漠を甘く見て死にかけた所だろ?」


「……まぁ、そのようなものだ」


「間があったな。何かを隠しているだろ。曖昧な言葉じゃなく全部話せ」


 フラテが鋭い視線を向けて来る。

 幼い姿でも、余所者の態度を見抜く眼力は長に相応しい。


「隠すつもりはなかったが、怪しく見えたか」


「当然だ。それと予め言っておくが嘘は止めておけよ?」


「嘘など言うつもりはない。あなたたちは恩人だからな。それには報いるつもりだ。ただ、辛い経験をしたから言い辛いだけだ」


「そんなの俺たちが話を聞かない理由にはならないな。お前は恩に報いると言ったんだ。なら、そんなこと関係なく言うべきだろ?」


「……正論だな」


 少しだけ間をおいて口を開く。


「裏切られたんだよ。一緒に逃げた獣人族にいきなり殴られて囮にされたんだ」


「何だ。異種族が組む何て珍しいな。仲が良かったのか?」


「いいや、そんなことはない。その時だけの関係さ」


「へっ。だったら裏切られて当然だな。安易に組んだお前が悪い」


「あぁ、今後は気を付けるよ」


 今回は運が良かった。あの場からどうやって難を逃れたのかは分からないため、そう言うしかない。

 フラテを介しておじいさんにどこで私を見つけたのかを聞いて見たが、相も変わらず燃える薪を突くだけ。返事もしない。

 フラテの方も何処で私を見つけたのか、どうやって難を逃れたのかは気にならない様だ。問題としているのはこれからのこと。


「お……私たちの存在を砂塵都市の連中は認知している。あいつらにとって私たちは小粒のような存在だが、お前達も魔人ならば贅を収めろとここに来ることもあるんだ。そんな時に都市から逃げた奴隷を匿っていると知られたら厄介だ。だから、私としてはお前にはサッサと出て行って欲しいと思っている」


「そうか。恩人に迷惑をかけるのは私としても嫌だ。それに私も行かなければならない所があるからな。準備が出来次第、発とう」


「ふん、それが出来ればの話だがな」


「何か問題でもあるのか?」


 出て行って欲しいと言っておきながら、不服そうな表情をするフラテ。

 疑問に思っているとフラテは馬鹿にするように笑った。


「素人め。お前、砂漠を歩いたことが無いだろ? 昼は灼熱の光が注ぎ、夜は極寒の寒さが襲って来る。昼夜問わず怪物は獲物を求め続け、砂嵐は一瞬で地形を変える力を持つ。これらを掻い潜らなきゃ、この砂漠は越えられない。お前なんかじゃ普通に迷って死ぬだけだ」


「…………」


 未知の土地。砂漠。

 改めて考えると確かに危険だ。

 脱獄する前の私は本気で砂漠を越えられると考えていたが、本当にそうだっただろうか。冷静に考えるとあそこにいたくなくて判断を誤っていたようにも思える。


「確かに、そうだな」


 素直に認める。今の私が外に出ても多分何も出来ずに死ぬだけだ。


「案内人を紹介して欲しい、と言ったら?」


「あまり関わりたくはないな。お前の存在そのものがおれ……私たちにとって危険なものには変わりないんだからな」


「そう、か」


「だが——」


 協力は得られない。別の手段を考えようとした時——フラテの声が私の思考を遮る。

 本当に不服そうな表情でフラテは口を開いた。


「お前を助けた二人組が元居た場所に帰れるようにすると言って聞かなかったからな。目立たない。外には出ない。面倒を起こさない。と約束できるのなら、ここで生活するのを許してやる」


「ッ——ありがとう」


 八方塞がりの所に見えた活路。

 おじいさんとリタ。そして、不服ながらも受け入れてくれたフラテに頭を下げる。

 何もしていないのに助けてくれる。前まではそんな施しを受ければ頭の可笑しな連中だと馬鹿にしたかもしれない。

 だが、今はただその優しさが暖かかった。


 何があっても恩を変えそう。

 受けた恩を胸に刻み、そう決意した。

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