第50話

「何処へ行く!?」


 砂嵐の中、逃げるヴェスティアの背中を追いかける。砂嵐の中、目も真面に開けられないのに、ヴェスティアはどちらに進めば良いのか分かっているかのようだった。

 獣人族の種族としての力なのか。それとも、経験によるものなのか。どちらにしろ、今は厄介だ。

 どんどんと背中が遠くなる。

 必死で走っているのに距離が縮まらない。

 砂に足をとられ、目を開く度に砂が叩いてくる。

 視界を真面に取れていなかったせいか、足元にあった何かに躓いて倒れる。その何かを見て私は固まった。


「お前の方こそ何処へ行く? 私を殺した癖に、私たち俺たちを見つけられなかった癖に!!」


 私の足首を掴んでいたのはアブスィークだ。その後ろには多くの森人の姿があった。


「何故私を殺した。何故あんなことができたんだ。私たちはお前に何もしていないのに!!」


 振り払おうとしても、振り払えない。

 強い、痛い。こんなにアブスィークは力が強かっただろうか。アブスィークが足首から手を離さないせいで後ろにいた森人たちが這って私の体を掴んでくる。まるで、穴の底にでも道連れにするように。


「離せ——」


「何でだ。何でお前だけが——」


「私は、行かなきゃいけないんだっ」


「私の最後が分かるか? 頭を吹き飛ばされ、誰とも認識されずに処理された。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。こんな死に方などしたくはなかった!!」


 沈んでいく。

 私が藻掻くより、アブスィークたちが私を抑えつける力の方が強い。


「邪魔をしないでッ」


「私たちは——」


「お前等なんか知ったこっちゃない! だから——」


「帰りたかっただけなのに!!」


「私の前から消えろ!!」


 邪魔をする奴等を振り払って駆け出そう——とした所で景色が一変した。


「——? ここは、何処?」


 周囲を汲まなく見渡す。

 土と粘土でできた壁が一番最初に、次に小さな炎の光源がゆらゆらと揺れている光景が目に入った。

 頬に手を添える。

 汗が酷い。さっきのはただの夢?

 ヴェスティアに殴られたことも?


「いや、違う」


 ヴェスティアには確かに殴られた。そして、裏切られた。

 殴られた腹部と顎、頭部には痛みがある。


「でも、誰が私を助けたんだ?」


 私はあの後砂嵐の中で気を失った。

 追っ手は私を無視したのか。見えなかったのか。それとも捕まってここに連れて来られたのか。でも、体の節々には治療を受けた痕跡が残っている。あいつらが私を治療する理由がないし、ここには明らかに生活している痕跡がある。

 それじゃあ、私は全く関係のない第三者に助けられた?


「考えても無駄か」


 答えは探索すれば分かること。

 誰に助けられたかなど関係ない。敵であるなら殺す。そうでないなら見逃すだけ。


「それにしても、この家? 低いな」


 立ち上がれば天井に頭が簡単にぶつかる。

 ここに住んでいる者は小人族ほど小さくなければ、生活に支障をきたすレベルだ。私も二年、いや三年前であれば問題なくここでも生活で来ただろうが、今はもう十七。身長はかなり伸びている。

 唯一変化が無いのは胸だ……母様はあんなにボインだったのに何故だ。止めよう。母様は例外中の例外。森人族は脂肪も筋肉も付きにくい種族なんだ。こんな胸が普通だ。


 寝ていた部屋から暖簾をくぐり、次の部屋へと入る。

 広間のような部屋だ。真ん中には囲炉裏があり、鍋が煮込まれてある。ちらりと見えるのは蠍の尻尾だろうか。


「アラ、イカィツキタノ?」


「——ッ」


「フフ、トヤトィッセキヲノヘ。スコチタィエヤッセ。ヨウスコチセィチェクチィカィセィシヲカワ」


 広間を見渡していると隣の部屋から人が出て来る。紫の髪を持ち、背丈は子供のように小さい女だ。

 声を掛けられた時、思わず拳を向けてしまったが、声の主は微笑み、手に持っていた具材を持って囲炉裏へと近づき、鍋の中に入れていく。

 全ての具材を入れると女は私の目の前にある座布団を叩く。座れと言うことだろうか。


「…………」


 ニコニコとして脅威の感じない女に私も警戒を解き、座布団の上に腰を下ろす。

 目の前にスープの入った茶碗が差し出される。


「タネィセ。エィロイヒナヲラモ」


 グイグイと押し付けられる茶碗を思わず受け取る。

 危険性がない処か、隙しかない女の態度に思わず毒気を抜かれる。警戒していた私が馬鹿みたいだ。

 このまま外に出ても良いのか。しかし、この女の親切を無碍にするのは……それに。


「良い匂い……」


 スープの匂いに懐かしさを感じる。

 先程まで空腹など然程も感じていなかったのに、急激に食欲が湧き出て来た。

 視線を女へと向ける。私が見ていることに気付くと女はニコリと笑みを向けてきた。子供に向けるような慈愛の笑顔。背中がむず痒くなる。


「あなたが、私を助けてくれたのか?」


「? チェクチィカィクシヒアラナキ?」


 駄目だ言葉が分からない。

 多分言語は魔人語だろう。背丈から小人族かと思ったが、言語が魔人語ということは彼女は魔人族なのだろうか。

 しかし、魔人族にこのような人がいるとは思えない。

 考え込んでいると女が広間から、姿を現した部屋へと消えていく。少しの時間が経つと女は戻って来て別の食事を私の前へと並べる。


「ソッシノスーフゥカィクシヒアラナキナワ、コッシハトィウカチワ?」


 どうやら私が食事を気に入らなかったと思っているようだ。

 私の言葉も女には分からないようだが、態々別の食事を持ってきてくれているのに、食事に一切手を付けないのは失礼か。

 礼儀は大事。というのは母様の言葉だ。

 言葉が伝わらないのなら、態度で示そう。そう考えて私はスープを一口飲んで——固まった。


 幼少期、何度も食べた味が口の中一杯に広がる。

 勘違いかと思ってもう一度スープを口に含む。

 口の中に広がるのは全く同じ味。勘違いなどではない。

 涙が目の端から流れた。


「何で、これ……母様の味だ」


 横からもう一品差し出される。手に取り、食べてみればそれもまた懐かしい味がした。

 ボロボロと涙が零れて来る。

 食べる度に無くなった母親の顔が浮かんできた。


「母様……ぐすっふぐぅぅうっ」


 出される食事を全て手に取り、口へと運ぶ。

 行儀が悪いと言われても仕方のない食べ方だ。でも、止めることができなかった。

 もう二度と食べること何てできないと思っていた母様の手作り料理。目の前にあるのが違うと分かっていても、その再現度に記憶が蘇る。

 母様の声、仕草、頭を撫でてくれる感触。

 お気に入りの場所で浴びる太陽の光、窓から見える里の景色、風に揺れる木々の音、優しい草木の匂い、冷たい小川、紅葉の寝台、空に輝く満点の星。

 母様の記憶だけじゃない。気にも留めなかった里で過ごした何気ない日々の記憶が鮮明に浮かび上がってくる。


「あぁ……そうか」


 腑に落ちる。

 これまで何で自分が森人族を必死になって助けて来たのか。

 アルバ様が心配。ということもあっただろう。だが、それとは全く違うことを私はずっと想っていた。


帰りたかったのか……」


 母様さえいればと思っていた。だが、それは間違いだった。

 苦しいことも悲しいことも傷ついたこともあった。だけど、それだけではなかった。

 癒してくれたのは母様だけじゃない。草木か、水が、大地が私を癒してくれることもあった。


 フェリクサに投げられた問い。何故、追放されたのに森人族を探すのか。

 その答えを見つけた。

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