第49話

 アストルム・ヴェスティア

 白い髪を持った獣人族が私の少し離れた所で鉄格子を挟んだ向こう側にいる魔人族に威嚇している。

 ハッキリ言ってしまえば静かにして欲しい。キャンキャンと吠える声も魔人族の声も耳障りだ。

 チラリと肩越しにヴェスティアを盗み見る。

 約二年ぶりにあった彼女も随分と成長していた。特に胸。

 技の方はどれだけ磨かれているかは戦ってみなければならないが、肉付きから身体能力はかなり上がっていると予想できる。


 憂鬱だ。

 今私がヴェスティアを抑え込もうとしても酷い争いにしかならない。そうなったら、魔人族も流れ込んでくるだろう。それだけは許容できない。

 溜息が出そうになるのを我慢して、私はなるべく静かに寝そべって時間を過ごし続ける。


「もう、ここにはいなくて良いかな」


 ふと、そんな言葉が口から洩れたが、案外悪くないと思う自分自身がいた。

 このままヴェスティアが騒ぎ続ければ、魔人族が牢の中に入って来るかもしれない。何より、これ以上決闘場にいることが嫌になってしまった。

 森人族がいるからと我慢してきたが、アブスィークを殺してしまったことで無駄になった。

 今夜逃げ出そう。そう決意する。


 そして、誰もが眠る時間——私は寝床として使っていた布切れを剥がし、石床を崩す。

 出てきたのはこれまでずっと掘り続けていた牢獄の外へと続く穴だ。

 昼はなるべく静かに暮らし、夜は男の慰みものになる可能性もあるので、毎度逃げるふりをして隠し続け、男が満足して帰った後の僅かな眠る時間を費やしてこの穴を作り続けた。

 その労力がようやく報われる。


「おい、ヴェスティア。起きろ」


「うみゅう……何だよぉ」


「脱獄する。外に出たければついて来い」


「ふぇ!?」


 ヴェスティアを起こした後、付いてくることを確認せずに穴に飛び込む。

 ヴェスティアを連れていく理由は、私の姿がないのに気付いて騒がれたら面倒だからである。

 彼女は騒ぐ。兎に角騒ぐ。ここが嫌だ。飯が不味い、足りない。怒りは魔人族だけでなく、私にも向けられる。

 特に魔人族がいない時なんて暇だとばかりにじゃれて来るのだから最悪だ。

 そんなヴェスティアが私の姿がいなくなったのに気付けば、どうなるか。

 魔人族に対して怒りはあれど、私がいなくなったのを隠すほどではないだろう。むしろ、いなくなって不満を爆発させる方が想像しやすかった。

 だから、私はヴェスティアを態々起こし、一緒に脱獄することを決めた。


 相談もせずにいたのは、事前に知らせれば感情を前面に押し出すヴェスティアでは魔人族に悟られると考えたからである。そして、当日軽く誘っても必ず付いてくるという確信があったからだ。

 案の定、ヴェスティアは私の後を付けて来た。


「おぉー。こんなのがあったなんて。何で言わなかったんだ?」


「魔人族から隠す為だ。この穴の存在が明るみになったらより最悪な場所に移されるかもしれないだろ」


 何で明るみになるのか、その理由を隠して話す。

 単純なのか、ヴェスティアは納得した表情で頷いた。


「何時から作ってたんだ?」


「一年半前」


「そんなに前から……何処に繋がっているんだ?」


「死体捨て場よ。あそこは死体を片付けるために、門を開いて怪物を誘き寄せることがあるの。それに合わせて脱出する」


「分かった。全員ぶち殺せば良いんだな!!」


「……本当に分かっているのか?」


 目を爛々と輝かせ、拳を握るヴェスティア。

 連れて来たことが間違いだったか、と思ってしまうが、連れて来なければ騒がれていた。騒がれるのならば、対処できる距離でと判断したのは自分自身。

 今更追い返すこともできないので仕方なく前に進む。

 暫く進み、土塊の壁が消え、目の前に石が積み重なってできた壁が現れる。


「壁だな。壊すか」


「壊さなくて良い。押すだけで外れるようになっている。だけど、今は少し待っていろ」


 握り拳を作るヴェスティアを抑え、石が積み重なってできた壁の一部——小さな小石部分を引っこ抜き、その外の様子を確認する。

 後ろで私にも見せてとヴェスティアが煩いが無視だ。


「(見張りは二人……門を動かす怪物の近くに一人。やっぱり、ここには見張りが少ない)」


 もしかしたら、近くに兵舎があるかもしれないが、そこまでは把握できない。これ以上穴を大きくすれば確認できるが、危険は冒せない。

 しかし、問題ない。

 例え、近くに兵舎があったとしても、不意打ちの脱走までは防げない。私の足なら逃げられる。それにいざとなればヴェスティアがいる。

 後はタイミングだ。


 門は重く、直ぐには閉ざせない。

 完全に門が開き切る前に飛び出せば、門を閉められる前に外に出られ——。


「私にも見せろぉ!!」


「は——?」


 思わず、間抜けな声が出た。

 抑えの聞かなくなったヴェスティアが私を押し倒した勢いで壁にぶつかる。

 粘土によって強度を保たれていたが、それを取り除き、石だけになった壁は案外脆いもの。ヴェスティアの勢いに耐えられるはずもなく、呆気なく崩れて私は外に放り出された。


「あ、出れた」


「出れたじゃねえんだよこの獣人ッ」


「脱走者だぁ!!」


 兵士の声が響き渡る。

 同時に鐘が鳴り響き、一気に周囲が騒がしくなった。


「人が集まってきている。近くに兵舎があったかッ」


「よし、全員ぶちのめすか!!」


「あぁ、そうしていろ。私は門を開ける」


「おう!!」


 最早怒る時間すら勿体ない。

 私の投げやりの言葉をヴェスティアは全く気にせずに現れた兵士たちに突っ込んで行く。

 あいつ、私に囮にされるとか考えていないのだろうか。


「奴隷風情が——ここから先は啜ませんぞ!」


「うるさい。魔人語は分からないんだ」


 見張りだった魔人族の兵士が迫ってくるが、彼等に付き合うつもりはない。

 突き出してくる槍を回避し、すれ違いざまに腰にある探検を奪取。後ろから頭部を突き刺し、その後、もう一人の兵士の喉にも探検を突き刺す。

 瞬く間に兵士を片付けた後、調教師の元へと向かう。

 抵抗する魔人族の兵士を拘束し、血塗れの短剣を突き付ける。


「怪物に門を開けさせなさい」


「人の言葉も喋れん猿め。何をするのか分からんが、貴様の思い通りにことが運ぶと——」


「うん、何言っているか分からないから、やっぱり私がやるわ」


 ごちゃごちゃと魔人語で喋り出した魔人族を死体捨て場へと蹴り落とす。

 数十メートルの高さから真っ逆さまに死体捨て場へと落ちて行った。死体が衝撃を和らげ、落下死は免れるだろうがもう上がってはこられないだろう。


「リボルヴィアァ!!」


 怪物に短剣を突き刺し、前に進むように促していると後ろから名前を呼ばれる。


「カルケルか」


「よくもまぁ逃げ出してくれたなぁ。おかげで俺のゆったりとした朝の時間が台無しだ」


「それは良かった」


「良くねえんだよこのクソが! この俺を誰だと思っている!? この決闘場の主、カルケル様だぞ! お前如き奴隷が歯向かって良い相手じゃないんだよ。奴隷は奴隷らしく地べたを這いずり回っとけ。俺の意思を尊重しやがれってんだ!!」


 ヴェスティアが塞いでいる通路とはまた別の通路を使って現れたのはカルケルだ。

 しかし、彼を囲む兵士は少ない。


「殺せ!」


「数が少ないんじゃない?」


 兵士に殺害命令を下すカルケル。

 私はそれに笑わずにはいられなかった。

 それも無理もないことだろう。なんせ、あいつは私が枷を嵌めて戦っている所や牢獄でぐったりとしている所しか見たことが無いのだから。

 最高速度で兵士の間を通り抜け、カルケルを拘束した。


「全員動くんじゃない!!」


 共通語で全員へと呼びかける。

 この場で共通語を理解できる魔人族は少ない。しかし、自分たちの主であるカルケルの首元に短剣を突き付けられれば、何が起こっているのか理解できない奴はいないだろう。

 カルケルの首元に短剣と食い込ませ、脅す。


「カルケル。周囲の兵士に命令しなさい。武器を捨てろと」


「ふざけるな。誰がそんなことを」


「自分の命が危ないのにプライドを優先するの? 別にそれでも私は構わない。あなたにはかなり酷い目に遭わされたからね」


 拘束する力を強め、脅しではないと直感させる。


「う、うぐ——武器を捨てよ」


 これまで私にやってきた所業。それは私が復讐するのに十分な理由に値する。カルケルもそれを理解し、武器を捨てるように兵士に命令した。

 兵士たちも戸惑いながらそれに従う。


「ヴェスティアいるか!? こっちに来い!!」


 兵士を警戒しつつ、門から逃げられるように移動。その最中、ヴェスティアの名を呼ぶ。

 遠くで大きな物音が聞こえた後、血だらけのヴェスティアが空から降って来た。


「何だ。何か用か?」


「かなり殺し回ったようだな」


「うん、あいつら雑魚だったし」


「その割にはあなた自身の傷もついているようだけど?」


「……この程度、傷とは言わない」


 ヴェスティアは兵士の返り血、そして、兵士から受けた傷のせいで白い髪が真っ赤に染まっている。

 強がってはいるが、相手は魔人族。階級の蒼が作られる要因になった種族だ。一兵士とは言え、強さが異種族とは違う。

 あの数の魔人族と戦った相手が自分ではなくて良かったと安心する。

 門の方を盗み見るともう少しで門が開き切る所だった。


「このっいつまで私に触れているつもりだ汚らわしい奴隷め。サッサと放せ!」


「悪いけどそう簡単に手放せないな。だって、あなたは盾だもの。ヴェスティア、行くぞ!!」


 死体捨て場へと降り、門から脱出する。

 当然、カルケルは手放さない。追っ手は出されるだろうが、カルケルがいれば、過激な攻撃はしてこないと予想できるからだ。


「そいつどうするんだ? 怪物の餌か?」


「それも良いな」


「ふざけるな。駄目に決まっているだろう!! 俺をサッサと解放しろ!!」


 カルケルを見てヴェスティアは眉間に皺を寄せる。

 自分自身が奴隷になった原因の男だ。近くにいるのが嫌なのだろう。しかし、今は我慢して貰わなければならない。


「これから何処に行くの?」


「目指すは廃都市だ。場所は分かるだろ?」


「勿論」


 目的を告げるとヴェスティアはニヤリと笑みを浮かべ、答える。


「追っ手か。早いな」


「それだけじゃない。前から砂嵐だ」


「怪物よりもそっちが早く来たか」


 門から抜けてすぐに土煙を上げて追いかけて来る追っ手をヴェスティアが見つける。

 予想よりも行動が早い。優秀な兵士に思わず舌打ちしてしまう。

 それに加えて前からは砂嵐。

 僅かに考え、回避することを決める。


「良いの? 遠回りになる」


「砂嵐の中、お荷物を背負って進めないだろ」


「そうだけど、なら、そいつを放置した方が良くない? 追いつかれるよ」


 ヴェスティアの指摘に再び考え込む。

 カルケルは魔人族とは言えど、珍しく戦えない。怪物が出てくれば自衛をすることも難しいだろう。

 そんなお荷物を持って、魔人族の兵士に追われながらいつまで逃げられるか。

 危険だ。なら、もうこいつを放置すれば追っ手はそっちに行ってくれるだろうか。いや、それも楽観的過ぎる。

 放置するなら、怪物に襲われたりした時だ。その方が兵士の目はカルケルに向きやすくなる。

 しかし、ヴェスティアの言葉も正しい。

 砂嵐を避けて通れば、遠回りになり確実に追っ手に追いつかれる。直進すれば分からないが、それも危険だ。


「あ、良いこと思いついた」


 そんな時、ヴェスティアが声を上げる。

 何となく、私は嫌な予感がした。


「こっち来て!!」


「ま、待てそっちは砂嵐があるだろ!?」


 ヴェスティアが私とカルケルを引っ張り、砂嵐の中へと突っ込んで行く。

 有り得ない。そこでは私たちも視界が閉ざされ、満足に動けなくなるのに。やっぱり獣人族はやることなすことが理解不能だ。


「そんで——シッ」


「な——」


 最悪な展開はまだ終わらない。

 砂嵐を突き進んだ後、ヴェスティアは急に立ち止まり、私の腹部に拳を叩き込んで来た。続けて、顎、頭に拳を叩き込まれる。

 真面に視界が取れなかったことが、不意打ちを許してしまった。

 脳が何度も頭蓋骨の中で弾む。


「おま、えッ」


「ニシシ——それじゃ」


 意識が遠のき、上手く言葉が聞き取れない。

 ヴェスティアを掴もうとするが、空振りに終わる。

 逃げた。私を囮にしやがった。

 脱出が出来た途端に私を裏切った。

 カルケルを連れたヴェスティアの姿が砂嵐で掻き消える。

 最後に見せた笑顔が憎々しく、どうしようもなく怒りが溢れ出た。

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