第38話

 日が沈む時間になった頃、海人族たちは貴族の屋敷へと侵入してきた。

 海人族がどのように屋敷に侵入するかは分からなかったため、最初は屋敷を一望できる場所で見張っていたのだが、私は一つ見落としていたことがあった。

 海人族が侵入する時間は夜だ。

 明かりは最低限しか灯されず、人の動きなど殆ど闇によって見えなくなる。

 つまり、遠目からでは海人族がいつ、どのように屋敷に侵入するのか見えなくなると気付いたのだ。

 それに気付いたのは夕暮れ頃——その後は潜む場所を貴族の屋敷の敷地内へと変更し、今に至る。


 屋敷の敷地内には僅かな兵士がいるだけ。

 屋敷の中まで見てはいないため、残りがどれぐらいいるのかは知らないが、少なくとも敷地内に潜入することは簡単にできる。

 海人族も同じようで侵入してきて見張りをしていた兵士を片付けている。


 私はそれをひっそりと見張る。

 宣言通り、私は手を貸すつもりはない。ある程度海人族がかき乱したら、良い所を掻っ攫うつもりだ。

 周囲の見張りを片付けた後、海人族は屋敷の中へと入って行く。

 暫くすると屋敷の中で人の悲鳴が響き渡ったかと思えば、あちこちで明かりが灯され、それが移動していく。

 悲鳴、雄叫び、剣戟の音。

 本格的に戦いが始まったことを感じて、私も屋敷の中へと侵入した。


「さて、戦いの気配の方へと行くか。それとも逆を行くか」


 作戦会議では屋敷の中の情報まで海人族も持っていなかった。

 二人で屋敷の中を探索中に見つかり、戦闘になったのだろうか。


「海人族の後を付けるか」


 やはり、無暗に屋敷の中をうろつくのではなく、ここは海人族の後を付けた方が良いだろう。

 騒ぎが起きるまでの時間、海人族が何かを掴んでいるかもしれない。

 そう考えて早速海人族のいるであろう方向へと足を向ける。

 海人族のいる場所は探すまでもない。騒がしい所に向かえば良い。

 海人族が暴れている場所は三階。近づくにつれて人の死体が増えていく。殆どの死体が槍の刺突によるもの。こんな狭い場所でよく槍を振り回せるな。


「こ、殺せぇ!!」


「この賊めッ魚類め!! 何が戦士だ。夜中に忍び寄るとは卑怯なり! 正々堂々戦え!!」


「黙れ、我が子らを奴隷にしようとする者らに言われたくはないわ!!」


 近づくにつれて剣呑なやり取りが聞こえてくる。

 物陰に隠れ、様子を窺う。

 戦っているのは勿論兵士と海人族の戦士たちだ。

 状況は海人族の戦士が優勢、と言った所だ。

 二人で背中を合わせ、周囲を囲む兵士に対応。槍のリーチを生かし、剣の間合いの外から兵士たちを蹴散らしていた。


「強いな、二人共」


 口だけではない。

 橙級とうきゅうの海人族の戦士も、もう少しで翠級と言った所、翠級の戦士に至っては私でも一人で勝つことは難しいかもしれない。

 というか……。


「あの戦い方、オフィキウムか?」


 翠級の海人族の戦士の槍捌きにオフィキウムの影が重なる。

 確か、オフィキウムは海人族の中で勇者と呼ばれていたっけ。憧れて真似をする人物がいても可笑しくないか。

 それにしても強いな。


「行くぞ」

「はい!!」


 海人族の戦士たちが兵士を片付け、先へと進む。

 さて、一体何処に向かっているのだろうか。


「ぐ、ぐぞ……え、援軍を——」


「悪いね。それはやらせない」


 戦場だった場所を通る際、生き残っている兵士がいた。

 止めを刺しておこう。別に脅威ではないが、援軍を呼ばれるのなら話は別。というか、海人族の戦士たち、ちゃんと生死の確認はしたのだろうか。

 止めを刺せていない者が多いな、

 兵士にきっちり止めを刺した後、海人族の後を追う。

 彼等が向かっていた先にあったのは、大きな扉だ。


「止めろ、止めろぉ!! ご当主の部屋に絶対行かせるなぁ!!」


 なるほど、あそこが貴族の当主の部屋なのか。

 兵士が扉の前を固めているけど、無駄だな。先程まであの数の倍を海人族は相手していたのに息切れをしていない。

 そんな数で止められるはずがない。

 案の定、簡単に蹴散らされて部屋に侵入される。

 扉を開けた瞬間、目に入ったのは茶髪のでっぷりと腹に肉が付いた男だった。


「貴様が——」


「我が子らを奪った元凶かぁ!!」


「ひ、ひぃぃぃいい!!? ま、麻呂を守れぇえ!!」


 貴族の当主の姿を見て海人族が怒声を上げる。

 未だに攫われた子供は見つかっていないが、この屋敷の主を抑えれば何処に隠しているのかも分かるか。

 ん? 見つかっていないと言えば——あの貴族の切り札とやらはどうしているのだ?

 そんなことを考えていた時だった。


「ぬぁああんちゃっとぅぇてぇえ」


 粘りの着いた笑みをスコリアが顔に張り付ける。

 同時に海人族の戦士二人の足元にあった床が開いた。


「落とし穴、だと!?」


 海人族の戦士たちが穴の中へと落ちて行き、私の所からでは見えなくなった。


「ギャハッギャハッギャハハハ!!」


 罠に嵌った海人族を笑い、スコリアは腹の肉を揺らしながら落とし穴を覗き込んだ。


「このバキャ共め。貴様等の襲撃計画など見通しておったわ。罠とは知らずにここまできおって……クククッまぁ、この罠がなかったとしても貴様等は麻呂に傷一つ付けることはできがなぁ!!」


 そう口にしながらスコリアは顔を横に向ける。

 そこに誰がいるのか私には見えない。兵士でも伏せていたのだろうか。


「クククッ貴様等は生涯をそこで過ごすのだな。おっと、無駄だ無駄だ。這い上がっては来れんぞ。壁には魚の脂をたっぷりと塗ってある。ひょ?」


 ゲラゲラと笑うスコリアの目が丸くなる。

 穴の中で海人族が何かをしたのかもしれない。

 次の瞬間、スコリアの目の前で火花が散った。穴の中から飛び出て来た槍とスコリアを守るために突き出された剣がぶつかりあったのだ。


「ふにゃぁあ!!?」


「ご無事ですかなご当主?」


「ぶ、無事なものかッ。貴様麻呂を危険に晒すとは何事か!!」


「(あれがプラゲィドか)」


 長いよれよれの髪、不健康そうな顔をした男がスコリアの横に立っている。

 その人物こそが穴から飛び出た槍を弾いた人物だ。

 スコリアの切り札。茈級しきゅうの剣士プラゲィド。

 その見た目はお世辞にも強いとは言い辛い。だが、私は油断しなかった。先程の槍を防いだ一連の行動、それが私の目でも見えなかったからだ。


「一人では戦えないな。あれ」


 真正面からやるならオフィキウムを連れて来る必要がある。

 この瞬間から私は狙いをスコリアに定めた。


「えぇいッ全く。誰かおらんのか!? チッどいつもこいつも死におって」


「ご当主、彼等の多くは死んではおりません。気を失っているだけでしょう」


「猶更悪いわ!! 当主である麻呂が賊を追い詰めていると言うのに気を失っているとは配下失格である。使えんもの共め!!」


「ご当主、それは私もですかな?」


「ふん、麻呂の安全を確保できなかった貴様は無能だが、そこで寝ている奴等よりはマシだ。そんな貴様に新たな命令を下してやろう。隣の部屋から子供を連れてこい。今夜のお楽しみは同胞に見せつけながらしてやる」


「はぁ、そうですか。お盛んなことで」


「さっさと行けい!!」


 呆れ顔でプラゲィドが部屋から出て隣にある小さな扉を開けて入って行く。

 あんな小物に使われる何て哀れだな。だが、今がチャンスだ。


「ブヒヒィッ、貴様等の前で子供を侵し尽くしてやる。麻呂の肉棒で落ちて行く様をその眼でしっかりと見ておけよぉ?」


「その前にあんたが黒神の所に行く方が速いと思うよ」


「フヒャヒャヒャ! 馬鹿げたことを。誰が麻呂を止めると言うのだ。兄もいない。目障りな王都への対処は終わった。海人族の馬鹿共も抑えた。最早麻呂を止める者は何人も——ん?」


「一人語りが長いな」


「だ、誰じゃ貴様ァ!?」


 ゲラゲラと笑っているスコリアの後ろに立つ。

 こちらに気付いたスコリアは腹と頬に付いた肉を揺らして驚いた。距離を取られる前に拘束する。

 うげ、汗が凄いな。匂いがきついし、べたつく。


「おやおや、これはこれは……」


「な、何をしておるかぁ!! 貴様が少し離れたらこうなってしまったではないか!! 早く助け出せ!!」


「そうしたいのは山々なのですがねぇ。先にご当主が死んじゃうかもしれませんよぉ?」


「何ィ!? 貴様それでも麻呂の配下か!!?」


 理不尽なことを口走るスコリアを盾にしてプラゲィドと向き合う。


「ご当主を放してくれませんかね? お礼はしますよ?」


「何を口走っとるかぁ!? 麻呂に無礼を働いたのだぞ。ぶち殺せ、一族郎党全てを殺すのだぁ!!」


「…………」


 プラゲィドが頭を抱えた。

 うん、これは仕方ないな。こっちが喋ってもいないのに勝手にスコリアが自分の助かる道を潰している。

 自爆するのを見るのも良いが、私も通したい条件がある。

 被っていたフードを外し、顔を露にする。すると、プラゲィドは少しだけ目を見開いた。


「驚いた。森人族だったとは……」


「こちらから条件を出す。それを満たしてくれるなら、この男を解放しても良い」


「ふざける——」


「黙れッ」


「ブヒィ!!?」


 騒ぎかけたスコリアの首元に剣を当てて黙らせる。


「傷つけない方が良いと思いますよ。こちらにも人質はいるんですから」


 そう口にしてプラゲィドは海人族の子供を引っ張り出す。

 目尻に涙を溜めた海人族の少女の首元に剣が添えられた。

 確かに子供相手だと私も譲歩してしまうかもしれない。だけど、今回はそうはならない。プラゲィドではなく、スコリアに剣を押し付け、命令する。


「彼女を放せって言いなさい」


「な、何を——」


「できなきゃあんたの指を一本ずつ落としていく。まずは小指を——」


「ひぃいいッ!? わ、分かった。分かった!! おい、早く解放せんかこのノロマ!!」


 憐れプラゲィド。

 そして、思った通り、スコリアは脅せば簡単に言うことを聞いてくれた。


「……分かりました。そら、お嬢さん。あっちのお嬢さんの所に行きなさい」


 状況が読み込めていない海人族の少女が何度もプラゲィドと私を交互に見る。それでもどちらが味方なのか判断したのか、とことこと私の後ろへと来て隠れた。


「それで、他に条件はありますかな?」


 海人族の少女が後ろに隠れた後、プラゲィドが先を促してくる。


「まず一つは簡単、そこの落とし穴から海人族を出して」


「…………」


「迷うのならこの男の指を一本ずつ」


「ひ、ひぃいいッ!!? は、早く出せ、出さんかこの愚鈍!!」


「だってさ?」


「はぁ、分かりました」


 スコリアの命令に従うプラゲィド。茈級の実力があるのにこんな奴の命令を何故聞くのか不思議だ。

 弱みでも握られているのかな。


 プラゲィドが投げ込んだ縄で海人族の戦士が登って来る。

 穴から這い出た海人族の戦士は私を見て目を見開いていた。


「貴様、何故ここに?」


「態々言わなきゃダメ? それよりもお礼は?」


「ッ誰が言うかこのとんがり耳野郎が!」


「野郎じゃないっての」


 穴から出てお礼も言わずに突っかかって来たのは橙級の海人族の戦士だ。翠級の海人族の戦士は下手に騒げば恥になるから、受け入れているって言うのに。

 助けなきゃ良かったかな。いや、でも逃げる時には囮が多い方が良いし……。


「それで? 他には何かありますかな?」


「下手に近づかないで。動かないで。こいつを殺されたいの?」


「うーむ、これは手厳しい」


 危ない。少し意識を逸らしただけでプラゲィドは距離を詰めようとしてきた。

 手には何やら投擲武器のような物が握られている。この距離でも正確に手足を狙ってきそうだな。

 スコリアの首に回していた腕も、足もなるべくスコリアの体の影に隠れるようにする。するとプラゲィドの目が細くなった。

 これで少しは戸惑ってくれると良いな。


「次、ここに森人族の奴隷がいると聞いた。何処にいるの?」


「あの子たちなら地下牢にいますよ。何なら連れて来ましょうか?」


「良い、何処にあるかだけを話して。あなたに隙を与えるつもりはない」


「おやおや、こちらは善意なのに。まぁ良いでしょう。ご当主、地下牢は書斎の隠し扉からいけますよ。赤い革の『ベリス砂塵大戦——魔人族の敗走——』という本がある棚を押せば下に行く階段が出てきますよ」


「ックソ、麻呂の、麻呂のコレクションがぁああッ!!」


「ご当主、落ち着いてくださいな。指を落とされますぞ」


「その通りだ。最も、血が見たいなら騒いでも良いけどな」


 ピッタリと刃を腕に押し付ける。

 ひんやりとした刃の感触を感じ取ったスコリアは引き攣った悲鳴を上げて黙り込んだ。

 私は橙級の海人族の戦士に向けて口を開く。


「見に行ってくれる?」


「何だと? 何故俺が貴様のような愚鈍な奴の命令を聞かなければならないのだ」


「森人族と一緒に海人族もいるかもしれないだろ。それに私はあなたを助けた。借りを返して欲しい」


「何だとッこの——」


「もう寄せ」


「しかし、この生意気な森人族が——」


「やめろ。俺たちはこの子に助けられた。プライドを守るために命を救って貰った借りを返さぬなど、戦士として恥以外の何でもない。森人族の言う通りにせよ」


「ッこれで借りはなしだからな」


 橙級の海人族の戦士がこちらを睨みつけて部屋から退出していく。

 最後まであいつ私に対して恩を感じてなかったな。

 まぁ良い。今はこちらだ。


「それで、他にはありますかな? ないのなら、ご当主を解放して欲しいのですが?」


「それはできない。海人族、森人族。奴隷になっている者が全員無事で、私たちがこの街から安全に脱出できたら解放してあげる。狼煙でも上げるからあなたはここでそれを確認した後、こいつを迎えに来たらいい」


「それは少し要求が過ぎるのでは?」


 プラゲィドが少しばかり前傾になる。

 私が通したい要求は、残りはここから全員無事に脱出すること。

 そのためにはどうしてもプラゲィドが邪魔だ。スコリアを解放した瞬間に殺しにかかって来るだろう。

 足手纏いを抱えて茈級の剣士と戦うなど、勝てるはずがない。


「それじゃあ、あなた死んでくれる?」


「それは無理ですよ」


 だろうね。

 さて、どうするべきか。

 どうにかしてプラゲィドの動きを封じたい。必死に頭を回すが、言い案は浮かばない。海人族の方をチラリと見るが、彼は何も考えていないようだ。

 駄目元で次の案を口にしようとする——その時だった。


「ハッハー!! 俺様参上だぁ!」


 海人族の少年が窓から部屋へと突入してくる。

 思わず、誰もが目を奪われた。無論、私も。その隙をプラゲィドが見逃すはずが無かった。

 意識が窓を割って飛び込んで来た海人族の少年に向いた瞬間、私は首筋に強い衝撃を受ける。

 手刀が首を叩いたと後から理解した。


「この俺が只人族の奴等を終わらせてやる。お、何だお前、やっぱり弱いじゃないか。只人族にやられたんだろ? 俺がお前のピンチを助けてやるよ!」


 壁に叩き付けられた私を見下ろしたのは枯れた井戸底で出会った少年。

 全く以て頼りがいのない援軍が来た。

 どんよりとした気分に襲われて、思わず私は頭を抱えたくなった。

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