第29話
喧嘩をしては休む、喧嘩をしては休む。
牢屋の中での生活は正にそれだった。
喧騒が聞こえない日はない。一日目、二日目では喧嘩をしていれば海人族も怒鳴り込んで来たが、もうそれすらなくなっている。
喧嘩を止めることはできないと判断したのか、呆れられて放置されているのか。どっちにしろ私とヴェスティアを引き離すという方法は取らないようだ。非常に残念である。
「死ねぇ!」
「ガルゥウううウウウッ」
狭い牢屋の中で壁、天上、床を蹴りながら移動する。
海人族に牢屋に叩き込まれて一週間。今日も今日とて私はヴェスティアと喧嘩をしている。
狭い場所での喧嘩は不慣れだったが、この一週間昼も夜も問わずヴェスティアと喧嘩をしているせいで嫌でも慣れて来ている。
ヴェスティアのように強力な四肢であちこちを飛び回ることはできない。精々できるのは円を描くように駆け回ることぐらい。
それでも、その円を描くことが私が最も強く、速くなることに繋がったのか、瞬間速度はまだしも最高速度はヴェスティアを上回ることができるようになった。
苦手な場所での戦闘も熟せるこようになったと喜ぶべきことなのだが、嫌いな奴との生活なんて苦痛過ぎて良い思い出にはならないだろう。
どうやったらこの暴れ犬を叩きのめせるかを考えていると不意に建物全体が揺れ始める。
異常事態に私も、ヴェスティアも動きを止めた。
「建物が、いえ、もしかして地面が揺れている? もしかして、これが地震ってやつ!!?」
「て、天変地異だぁああ!! 星が怒った! ごめんなさいごめんなさいもう悪いことしないからごめんなさいっ!!」
老森人のみが体験したと言われている地面が揺れるという現象。
古の大戦で破れた巨神の怒り、星天の裁き。様々な憶測はあれど解明されていない現象に戸惑う。
私の横には先程まで牙を剥き出しにしていたヴェスティアが地面に伏せて半べそをかいている。彼女を笑う余裕はなかった。
建物が傾く。
外からは悲鳴も聞こえない。海人族はどうした。ラティアは? 海に逃げたのか。それじゃあ私はどうなる?
最悪を想像し、目を瞑る。
だが、想像した最悪は何時まで経っても襲って来ない。代わりに襲って来たのは空気を震わせる歓声。
宙に投げ出されている最中に目を開けば、そこには円盤型の決闘場があった。周囲にある水は海に繋がっているのか、巨大な海洋生物の影が見える。
上を見上げれば、先程までいた建物がせり上がった地面に持ち上げられているのが確認できた。
「地震かと思っただろうが、この腐れ魚野郎が! 驚かせるんじゃない!!」
「うるせー! この劣等種族が! お前等なんて森から出なければ良いんだ!!」
「そうだそうだ。身の程を弁えずにいるからこうなるんだ!!」
誰が口にしたかも分からない罵倒が耳に入る。
声がした方向を睨みつけるが、憎たらしい表情をした同い年ぐらいの子供が揃って舌を出すだけだ。
馬鹿にするのなら目の前に来れば良いのに。思わず拳を握る。
あのような奴等に限って目の前にいると静かになるのだから、余計に苛立ってしまう。
「おぉ、同胞たちよ聞け!! ここにいる者らは、尊き我らの子供を攫った一味と海神に献上する宝酒を飲み干した不届きものである!!」
「死ねぇ!」
「罰当たりめ、黒神の所へ行け!!」
「穴に放り込め!」
円盤型の決闘場で周囲を見渡していると一人の海人族の男が口を開く。
私たちが落ちた個所よりも高い場所で、尊大な態度を取っていた。
「私は人攫いじゃ「黙れ口を開くな不届き者め!!」ッ危な——」
人攫いと勝手に断定されることは腹立たしい。抗議しようと口を開くが、途中で男が激高する。
それを合図に周囲から石や食材、剣など、様々なものが投げられて来た。
「この私は海神に仕える言伝師。私の言葉を遮ると言うことは海神の言葉を遮ると言うこと。恥を知れぃ!!」
「知ったことか、私は海神を信仰したことなどない」
「な、なんと——皆、聞いたか!? これが森人の正体だ。澄ました顔で賢者を気取っているが、その正体は知恵の無い大馬鹿。人を想うことすらない野蛮人だ!! あぁああああぁっなんと嘆かわしいッ。これが同じ人として扱われているなど。私たちの子供を奪ったのも、どうせ金が目当てなのだろう。大して考えもせずに欲望に従ったのだろう!!」
「好き勝手言いやがって」
「皆、この者たちの体から発する臭いを知っているか? 悪臭だ。欲望を垂れ流しにした匂いだ。体を清めてもその匂いは拭えない。海神も猛り狂っている。私には分かる。こんな奴等を聖域である海に近づけるな言っている!!」
「そんな訳あるか!!」
確かに今の私は少し臭う。だけど、それは一週間もあの臭い牢屋に閉じ込められていたせいだ。私が臭いんじゃない。
大袈裟な態度な男の頬に拳を叩き込みたくなる。
その思いはヴェスティアも同じだったのか、牙を剥き出しにして男を睨んでいた。
男が手を掲げる。
同時に水の中から檻が浮かび上がり、決闘場の端に付く。檻の中には魚と獣が混ざり合ったような怪物がいた。
「これより鎮魂の儀を始める! 犠牲になった者たちよ。傷ついた者たちよ。この者たちの血肉を捧げることでお主たちに報いよう。獣を放てぇ!!」
頭と手足は魚、胴体は獣の怪物——総勢五十体が男の言葉と共に檻から放たれる。
「ニィクゥウウウ!! サカナァアアア!!」
ヴェスティアも涎を垂らして真っ向から飛び掛かる。
気色悪い見た目だが、ヴェスティアにとってこの怪物は肉と魚を両方同時に味わえる料理程度の認識しかないようだ。
うん、ないな。
「若干重いけど、仕方ない」
観客から投げ込まれた剣を取り、軽く振るう。
刃は分厚く、しかも片方にしかついていない。斬るというよりも潰すことに特化している剣だ。不慣れな武器だが、私の剣は捕まった時に取り上げられてしまっている。これで我慢するしかない。
「チッ——」
真っ向から襲って来る怪物に向けて突きを放つ。
貫くのではなく、潰れる感覚。腕に重りがかかったような感触が残る。
「駄目だな。この剣で突き技は合わないか」
何より、一撃で怪物が殺せていない。
先程一撃を喰らった怪物が、もう一度私に飛び掛かって来る。潰れかけた頭に踵を落とし、地面に叩き伏せた後に三度ほど強く踏みつけ脳を潰す。
「っと、危ない」
その間に襲い掛かって来た怪物の爪を躱すが、少しだけ反応が遅れ、頬に浅い傷を作る。
やはり、一撃で倒さなければやられるのは私の方だな。
思い出すのはデレディオスに言われて行った怪物との戦闘訓練だ。
動きが素早く、群で動く怪物——キャニス。
奴等を相手にする時も一撃で屠らなければ、やられるのは私の方だった。その経験を活かし、生み出したのが突き技主体の剣術。
だが、今は武器が合わないためその精度もいまいち。
「武器は何でも良いと思っていたけど、大切だったんだな。痛感したよ」
怪物から逃げ回りながら呟く。
これまでずっと母様からの贈り物だからという理由で剣を使っていた。母様から送って貰った剣を捨てるつもりはない。しかし、自分に合った剣を選んでも良いかもしれない。
初めて私は武器に関して興味を示した。
「自分に合う剣を見つけるためにも、ここでは死ねないな」
足を止めて構える。
足を止めた場所は決闘場の端、これ以上下がれば水の中に真っ逆さまの場所だ。落ちれば危ういが、この場所ならば相手に後ろを取られる心配はない。
その場所で私は剣を縦に構えて刃の反対側を腕で抑える。
「————」
襲い掛かって来た怪物に合わせて体を動かし、そっと刃を怪物の体に沿わせた。
剣は動かさない。振るっても斬れないことは分かっているから。
これがデレディオスから学んだもう一つの戦法。
相手の力を利用し、斬るカウンター技。
「さて、次はどいつがやられたい?」
襲い掛かって来る怪物たちに恐怖はない。
もう傷一つ付けられることはないと断言できる。
笑みを浮かべて、襲い掛かって来る怪物たちに剣を添わせた。
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