第3話

 母様に渋いおじさんを紹介されてから一年が経った。


「っ……」


 痛い、苦しい、逃げたい。

 父様とか渋いおじさんを視界に入れたくない。

 家にずっといたい。

 この一年思うのはずっとそれだけだ。

 母様との勉強は楽しかった。

 美味しい茶葉の選び方、お茶の入れ方。礼儀作法に森人語と里の地理、そして家系のこと。

 その時間は最近めっきり減って父様とおじさんに鍛えられる日々が続いている。

 あのおじさんが家に来たのは最初の一日のみ。

 あの日からは修行のために毎日私はおじさんの家に行ってはボコボコにされている。家にいれば父様から輝術を、おじさんの家に行けば武術を習う。


 いや、習うという言葉は間違っているかもしれない。

 母様との勉強では分からない所は質問出来た。返ってきた答えを咀嚼してまた、分からない所があれば質問する。

 一つずつ分からないことが減り、逆に知識は増えていった。あれが習うというのだろう。だが、父様とおじさんと過ごす時間は違う。


 ひたすらに怒られ、ひたすらに殴られる。

 怪我のない日なんて一度もない。

 殺されると思ったことは一度や二度じゃない。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ——。

 いつの間にか好きだった勉強の時間が私は嫌いになっていた。

 それでもサボることなんて出来ない。

 泣き言を漏らせば努力が足りないなんて言われて過酷な訓練をさせられるのだ。サボったらどうなるのかなんて考えたくもなかった。


「うぐぇっ……げぇ……」


 今日もまた渋いおじさん、略して渋おじにボコボコにされている。この後用事があるのに容赦何てして貰えない。

 大切な行事のはずなのに……。今日ぐらいは休ませてあげたら?と母様が言ってくれたが、父様とおじさんは聞く耳持たずだった。

 顔面、腹に拳を受けて鼻血と吐瀉物を地面に巻き散らしながら肩で息をする。


「立て、貴様がこの程度で倒れて良いはずがない」


「ま、待って下さいおじ——」


「貴様は儂に教えを乞う立場だ。師と呼べ」


 そんなこと言いながら今度は無防備になっていた横腹に蹴りを入れられる。

 回復術もあるとは言え、容赦がなさすぎる。

 名前を呼ばないのはせめてもの嫌がらせだ。嫌いな人の名前何て口にしたくはないのだ。

 吹き飛びながらそんなことを考え、地面に激突して今度こそ意識を失った。


 朝の訓練が終わり、家に帰ると今度は母様、父様と一緒に里長の所へと向かう。

 訓練で受けた傷は全て母様が擦り傷一つに至るまで治してくれた。優しい、好きだ。

 今までおじさんの家に行く時しか外出を許されなかったから、初めて行く場所に少しワクワクだ。

 そして、もう一つ、楽しみなこともある。


 今日は私が誕生した日だ。

 森人は五歳になったら里長から名前を貰える。つまり、今日この日、私は新しく生まれ変わると言っても良い。

 どんな名前になるのだろうかと想像する。

 エターナル、エインヘリヤル、フロストノヴァ、インフィニティファイヤー。格好良い名前だと良いなぁ等と思いながらちょっと早足になる。


 逆に父様はこの日が来ることを恐れていたらしい。

 まぁ、そうだろう。父様にとって私は不出来な娘。これまで輝術を上手く発動させられない森人はいなかった。

 父様もその祖父も戦士だった。

 輝術を学び、極め、里の防衛に力を注いできた。


 森人族が住んでいる森人の里がある大森林。

 この大森林には二つの種族がいる。

 私たち森人族と獣の特徴をその身に宿した獣人族だ。

 森人族と獣人族の仲は最悪だ。毎日のように嫌がらせはくるし、因縁をつけてくる。何故そうなったのかは分からない。だが、因縁深い関係なのだろう。


 だからこそ、娘にも期待していたのだろう。自分の後を継いで欲しいとか、獣人共を蹴散らして欲しいとか考えていたのかもしれない。だけど、蓋を開けて見れば誰もが使える森人族史上初の輝術も使えない森人。

 まぁ、だからと言って父様に申し訳ないとか思わないけど。この人嫌いだし。


 そんなことを考えていると里の中央にある大樹が近づいて来る。

 あれが里長のいる場所だ。

 何でもあの木の中に住んでいるらしい。木々が生い茂る森の中にあっても一際目立つ大きさの大樹。

 所々に窓が付いており、そこからは人の姿が確認出来る。

 森人は目も良いからかなり離れていても相手の顔を認識出来るのだ。

 そうだ。輝術が使えなくても弓矢を使えば良いじゃないか。目も良いんだし、森人の中には弓矢を好む者もいる。

 何も殴り合いや斬り合いを覚える必要はない。

 今度おじさんにもそっちの方を教えて貰うよう頼んでみよう。母様越しに。何てことを考えていると父様が苦虫を噛み潰した表情をした。

 何だろう?


 視線を大樹の下へと向けると大きな扉からこちらに歩いて来る二人が見える。

 多分親子だろう。目元がそっくりだ。だけどお世辞にも性格は良いとは言えない人相をしている。

 あ、こっちに気付いた。


「やぁやぁ、フィーデスこれから名受けの儀式かい?」


「……そうだ」


「そうかそうか。それはめでたいことだ。ついさっき私の息子も名を貰ってねぇ。さぁ、自己紹介をしなさい息子よ」


「俺の名はリベリコウス。ククッこれからよろしく頼むぞ同期」


「……よろしく」


 リベリコウスと名乗った少年がこちらを向いて自己紹介をしてくる。

 父様に自己紹介せずに視線はこちらに向いているから返事したけど良かったかな?でも、何でこいつは私を馬鹿にしているんだろうか?


「出来た子だろう。この年でもう橙級とうきゅう輝術を覚えているんだ。凄いだろう?」


 橙級?何だそれ?


「そうだ。名受けの儀式が終われば同年代での交流も増える。その時に君の娘の輝術も見せてくれ。いや、遠慮することはない。優秀な君から生まれたんだ。娘も優秀に決まっているだろうからね! 他の者も呼んでお披露目といこうじゃないかっ!!」


 は?何を言っているのこの人?私輝術使えないんだけど。知らないの?


「それ、不可能だよ。だって私輝術使えないもの」


「えぇ!? な、なんだって~~!! き、輝術が使えないぃ~。そんなの欠陥品じゃないか!! クククッ」


 何だその驚き方。って痛ッ。

 ちょっ、父様、手、手が痛いです!!握り締めないで下さいっ!!


「行くぞっ」


 父様が手を引っ張り、目の前の親子から逃げる。

 父様の横顔を見て、私はあの親子の視線の意味に気付いた。

 あの目は私を馬鹿にしていたのだ。輝術が使えないから。あの言葉も多分わざとだったのだろう。

 輝術が使えない娘を持っていることに耐えられない父様にとってそれは恥だったという訳だ。

 私が輝術を使えないことは事実だが、大袈裟にする必要ないじゃないか。良い日になるはずだったのに、嫌な気分を味わいながら大樹の下まで来る。


「娘よ。お前はもう外では二度と喋るな」


「え?」


「お前がいらんことを喋るのは私にとっての恥だ。出来なければ二度と家からは出さん」


「でも私は「黙れ!!」っ!?」


 びっくりした。大きな声はやめて欲しい。怖いから。

 驚いて離れた私を睨みつけてから父様はさっさと扉を開けて中に入って行ってしまう。

 もうすっかり家から出た時にあったワクワクは消えてしまった。

 落ち込んでいるとふんわりと頭を撫でられる。母様だ。


「大丈夫よー貴女はそれでー。輝術が使えることがー森人では絶対ー何て決まりはなかったんだからー」


 母様の手は暖かい。

 おじさんを連れて来たのは許せないけど、いつも私を気にかけてくれる。

 少し機嫌を直した私は母様の手を握り、一緒に扉を潜る。

 扉の先にあったのは幻想的な光景だ。

 暖かで安らかで、気分が落ち着く場所だった。

 上を見上げれば天井が見えない程螺旋階段が続いている。所々に浮いている天燈(てんとう)が暖かな光を放ち、辺りを照らしている。


 それから父様の先導で螺旋階段を上る。

 長い、長い螺旋階段だ。

 最初は初めての景色に目を輝かせたけどずっと続く同じ光景に既に私はもう飽きて、足にかかる負担に意識が向いていく。

 休憩しようと父様に言ったのに父様はそれを無視。どんどんと先に行ってしまう。母様が抱っこをしてくれなければ置いていかれただろう。あの人ホント嫌いだ。


 そして、ようやく里長の所へと辿り着く。

 昼間に来たはずなのに、着いた頃には空は暗くなり始めていた。可笑しい、森人族ってひ弱じゃなかったの。母様、ずっと私を抱っこしてここまで上ったんだけど。


 降ろされ、里長が座っている所へと近づく。

 威厳のある玉座に座っていたのは白い髪の森人だ。里に白い髪を持つ森人は長の血族だけだ。何故ならこの白は森人の長である証拠だからだ。

 私の金髪の髪とは違い、透けてしまいそうなほどの白。思わずそれを染めてしまいたいと言う欲求に駆られた。


「フィーデス、ヴェネディクティア。お前たちの子も名が付く年になったか」


 髪に向かって手を伸ばしかけた所で声がかかり、びくりと体を硬直させる。

 長の視線が体を射抜く。

 その頃にはもう染めたいという欲求は消えていた。

 目の前にいる白に飲まれてしまう。なのに、恐怖は感じない。睨まれているのに怖くない。視線も外せない。

 大きなものの掌の上にいる。そんな感覚に陥る。なのに、悪い気はしなかった。

 これが森人を代々治め続けていた長。

 明らかに違う存在を目にした。


「フィーデスとヴェネディクティアの子よ。其方にも名を付けよう」


「はい、長様。有難き幸せにございます」


 気付けば自然と母様から教えられた礼儀作法でお辞儀をしていた。

 膝は付かず、左手と右手の指をピンと伸ばし、左手を下にして手を重ねて頭を下げる。


「其方の名はリボルヴィア。この里のため、励むが良い」


「はっ」


 たったの数分。

 名受けの儀式はそれで終わった。

 しかし、その僅かな時間でまるで生まれ変わったような気持ちに私はなっていた。

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