第23話 サプライズ・サプライズ

 雑草が刈られ、整地された空き地には、夏祭りやカラオケ大会に匹敵するほどの島民が集まっていた。

 巻き網漁船団の船員や他の漁師たち、そして、子どもやお年寄り連中まで、島民ほぼ全員。その中に将彦さんや女将さん、その旦那さんの姿も見えた。

 僕と野崎さんは事態が飲み込めないまま、人だかりを分け入った。


「こりゃあ、またきれいな人だねえ」


 どこからともなく声が上がった。いつの間にか、僕たちは島民に囲まれていた。衆目を集めるのはもちろん野崎さんだ。


「こんなかわいい子が、親方シメちまうなんて、すげえなあ」


「こりゃ、直人は尻にしかれるぞ」


 巻き網漁船団の船員たちは、みんな大笑いだった。料理店での騒動はすでに知れ渡っていた。


「俺の威厳を返してくれよ……」


 将彦さんだけは浮かない表情だった。


「ねえ、これも長谷川さんのサプライズなの?」


 野崎さんはうれしそうに尋ねた。


「いや、俺じゃないぜ。女将だろ」


「私じゃありませんよ。ひなに口止めされて、ちゃんと守ってたんです。私は島で一番口が固いんですら」


 と、女将さんは訴える。


「ああそうかい。まあ、めでたい話だから別にいいけどさ。でも、そのおかげで余計な奴も混じってるがな」


「誰が余計な奴だよ」


 将彦さんは長谷川さんを睨み返す。


 おとといは、仲のいいところを見せていたのに、今はまた元通りいがみ合っていた。お互い素直になれば、いいコンビになると思うのだが……。このふたりに限っては、喧嘩するほど仲がいい、という言葉でお茶を濁すことにする。


「君たちも集まってくれたんだ」


 野崎さんは子どもたちに声をかけた。


栞里しおりちゃん、祐希ゆうきくん、湊斗みなとくん、蒼太そうたくんだよ」


 ひなちゃんが紹介してくれた。彼女を含めこの小学生五人が島の全校生徒だ。みんな明るく元気な子どもたちだ。


「そういやお前たち、ちっとも姿見せねえで、何してたんだよ」


 長谷川さんは怪しんだ。その指摘に、なぜか口ごもる男子三人。

 すると、横から棘のある声が飛んだ。


「そこの男子、湊斗の双眼鏡で、おねえちゃんの水着姿見てたんだよ」


「言うなよ栞里!」


「やだ、えっち」


 野崎さんは身をよじって恥じらった。


「ふたりの邪魔しちゃ悪いと思って、遠くから見てたんだよ」


「双眼鏡は僕のだけど、はじめに言い出したのは、蒼太だからね」


「ち、違うよ、はじめに言い出したのは祐希だよ。一番コーフンしてたもん」


 半ばパニック状態になっていて、三人で責任を押しつけ合っていた。その苦しい言い訳に、場が笑いに包まれる。

 でも、そんななごやかな雰囲気の中、僕はひとり暗い気持ちになっていた。

 だって船で帰る頃には、僕は野崎さんにフラれるのだ。三日限定というのが花嫁候補の条件だ。なのにこの状況は、野崎さんのお披露目会になっていた。こんなに盛り上がられたら、あとで僕の立つ瀬がない。

 今まで必死に野崎さんを隠してきたのに、いったいどうして……。

 僕が浮かない顔をしていると、お年寄り連中が声をかけてきた。


「みんな心配して集まったんだよ」


「喧嘩したんじゃないかって、話が上がってね」


「喧嘩?」


 僕は首をかしげる。


「だって、ほら、あなたがユーカ、ユーカって、大声で走り回ってたでしょ」


 僕ははっとして思い出した。

 それは昨日、野崎さんが梨沙にさらわれた時の話だ。

 僕はその時、野崎さんを見つけ出そうと必死だった。完全に我を忘れ、彼女の名前を叫び回っていた。

 不覚にも、みんなをここに呼び寄せたのは、僕自身だった。


「そりゃもう、必死の形相だったぞ」


「若いってのは、いいもんだなあ」


 みんなにいじられて、僕の顔はかあっと熱くなった。思い出すだけでも、すごく恥ずかしい。

 僕は自分でしでかしたことに頭を抱え悶えていた。


「もう、直人ったら、そんなことしてたなんて……」


 なぜか野崎さんまで、もじもじしていた。


「ほらほら、もうその辺にしておいてやれよ。このままじゃ直人が茹で上がっちまうぜ」


 長谷川さんからの救いの手だった。


「ここからは作品のお披露目会だ。さあ、優花ちゃん、こっちに来て見てみな。これ何だと思う?」


 長谷川さんが野崎さんを手招きする。

 人垣を割ると、目の前を横切る二本のレールが見えた。その先は森の奥まで伸びている。

 空き地の真ん中には、レールを跨ぐように屋根がかかっていた。その支柱にもパイプが使われていて、屋根部分には幌が張られていた。

 簡素な作りだけど、立派なジェットコースターの乗り場だ。

 乗車しやすいように、長い踏み台がレールに沿って備えつけられていた。日誌にあったひとり乗りのコースターが、ひときわ目立つ。


「どうだい優花ちゃん、驚いたろ。おじいちゃんの作品はなあ、ジェットコースターだったんだよ!」


 長谷川さんは怪気炎を上げた。我慢できなかったのか、先に答えを言ってしまった。

 野崎さんは、しげしげとレールを見つめる。さすが建築家のたまごだ。現物を前にその目は真剣そのものだった。


「おじいちゃん、溶接上手だね」


「何だよ冷静だなあ。もっと驚いて欲しいのに。何かこう、熱いものを感じないかねえ」


「あはは、すごいよ! すごいと思ってる!」


 野崎さんはまずいと思ったのか、慌てて取り繕っていた。


 僕とは久しぶりの再会だったジェットコースターだけど、その姿はずいぶん様変わりしていた。以前の乗り場とレールは、金属の地肌そのままだったけど、今はペンキで黄色く塗られていた。

 その色はとても鮮やかで、深緑の山によく映えた。


「長谷川さんが塗ったの?」


「おう、そうさ。いい色だろ。目立ってなんぼだからな」


「僕たちも手伝ったんだよ」と、子どもたちが手を上げる。


 乗り場の後ろの壁には、絵が描かれていた。魚やエビやタコ、いろんな海の生きものから、鳥や蝶々、ひまわりまで。子どもたちが思い思いに描いていた。

 殺風景だった空き地が華やいで見えた。


「直人よ。これは、おじいちゃんが島に残してくれた宝だぜ」


「うん」と、僕はうなずいた。


「俺はこれに人生かけてもいいと思ってるんだ。今度は上手くいく気がするんだよ。たくさん人を呼び込んで、島をガラリと変えるんだ。おじいちゃんの夢は俺たちで継ぐ。もちろん、ジェットコースターのオーナーは直人だ。そして俺は支配人」 


「すごいね直人、オーナーだよ。かっこいいよ」


 野崎さんは大はしゃぎだ。そんな急に担ぎ上げられたら、僕は気恥ずかしくてしょうがない。

 だけど、話は長谷川さんが言うほど簡単ではない。このジェットコースターには問題がある。


「あっ、そう言えばこのコースター、まだ完成してないんだよね」


 野崎さんは思い出したように言った。


「そこなんだよ問題は。もう少しで完成だったんだがなあ……って、何でそれを知ってるんだよ」


 野崎さんは、はっと口を塞いだ。

 でも、すでに手遅れだった。


「もしかして、最初から知ってたのかよ……」


 長谷川さんが残念そうに不満を漏らす。


「ごめんなさい。僕が昨日アトリエに連れて行ったんだ。時間が取れないから、先に見てもらったんだ」


「そうだったのかよ。おかげで、こっちがびっくりしたじゃねえか。まあ、いいよ。実はもうひとつ、サプライズを用意してあるんだぜ。これはふたりも知らないだろう」


「もうひとつ?」


 僕は野崎さんと口を揃えて言った。


「おい、お前ら。こっち来て手伝え」


 長谷川さんは漁師たちを呼びつける。


「今日はめでたい日だからな。協力してもらうぞ」


 と、将彦さんたちを顎で使いはじめた。


 漁師たちはぶつくさ文句を言いながら、何かを引っぱり出してきた。森の奥に隠されていたそれは、レールの上をゴロゴロと音を鳴らして現れた。白い布がかけられていたけど、異様に大きいことはわかる。

 いったい何が出てくるのかと、みんな固唾を呑んだ。


「よーし、準備は整ったな。ここからはサプライズ第二弾の発表だ。これを見て驚きやがれ!」


 長谷川さんが布を勢いよく剥ぎ取ると、瞬間、どよめきが起こった。

 それは、奇妙なほど四角い物体だった。

 ただただ四角くて白い物体。


「これ、お風呂だ」


 野崎さんの声に、長谷川さんはうなずく。


「そう、これぞ長谷川理容室手製ふたり乗りジェットコースターだ。どうだい、いいアイデアだろう。直人と優花ちゃんのために作ったんだぜ。特別仕様のお風呂コースターだ!」


「何だこれ……」


 みんなの驚きは、ため息に変わった。


 それは見るからにバランスが悪く、浴槽をコースターの台車に取りつけただけという、何とも不格好な仕上がりだった。

 ひとり乗りとは違い、重心が高く重量感を放っていた。浴槽の側面に、長谷川理容室という文字が見えた。ちゃっかり店の宣伝までしていた。


「どうやったら、ふたり乗りができるか考えてたらさ、ちょうど、横井さんが風呂場の改装工事するって言うから、古いやつもらったんだ」


 そばにいた横井さんに視線が集まる。


「まいったねえ、こんなことになるとは……」


 恥ずかしそうに薄くなった頭を掻いていた。


「本当にふたりをこれに乗せる気かよ」


 将彦さんが心配そうに言った。僕も隣で大きくうなずいた。

 とても命を預ける気にはなれなかった。


「ちゃんと試運転は済ませてあるさ。一〇〇キロぐらいの重さなら問題ないぜ」


 一〇〇キロと聞いて、僕はすぐに計算した。自分の体重を差し引いた数を頭に浮かべながら、野崎さんを見た。

 だけど、彼女は僕と目が合ったかと思うと、すぐに、ぷいっと、そっぽを向いてしまった。

 不安が全身を包み込んだ。


「さあ、おふたりさん。早速乗ってもらおうか」


 僕たちに逃げ場はないようだ。ふたりで、お風呂コースターの中を覗き込む。底には座席も安全ベルトも何もない、浴槽そのままだだった。


「狭くない?」


「うん、狭いね」


 ふたり乗りと銘打っていたけど、決して広くはなかった。もともと、バランス釜がついた小さな浴槽だった。ひとりで入っても、足を伸ばすことはできない。

 僕が先に乗り込んでみた。何とかスペースを確保しようと四苦八苦したけど、結局、僕が広げた足の間に、野崎さんを座らせるしかなかった。


「直人近いよ」


「そう言われても……」


 お風呂コースターの中でふたりの体が密着する。

 野崎さんの頬が、ほんのりと赤くなっていて、彼女の体温が上がるのがわかった。そんな反応されたら、僕にもどうしていいかわからない。


「混浴してるみたいだな」


「いいなあ、羨ましいぞ」


 あちこちから、冷やかす声が飛んでくる。


「みんな言いたい放題だなあ、もう」


 と、野崎さんは口を尖らせていた。


「よーし。最終段階に入ったぞ。お前ら出番だ!」


 ふたたび、長谷川さんの指示が飛んだ。漁師たちが慌ただしく走り回る。

 長谷川さんの合図で、発電機のスイッチが入れられた。リフトが動き出し、森の奥から機械音が響いてきた。


「ひなちゃん、これ、預かっておいて」


 野崎さんは被っていた帽子を、彼女の小さな頭に被せた。

 いよいよ、おじいちゃんのジェットコースターが動きだす。


「さあ、時間が来だぜ! 直人と優花ちゃんと、そして小岐島の前途を祝して、お風呂コースターの発進だ!」


 漁師たちがコースターを押し出した。

 すると、レールの上をゆっくりと進みはじめた。


「いってらっしゃい!」


 ひなちゃんが声をかけてくれた。他の人たちもそれに続いた。


「行ってきます」


 と、野崎さんは手を振って応える。


 僕は呆気に取られていた。この妙な一体感は何だろう……。

 誰もが皆、笑顔だった。島が一つになっていた。歓声の中、僕たちを載せたコースターは、そのまま森の中へ入って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る