第22話 人の縁といふもの
時計の針が午前九時半を回ろうとしていた。ほどなく玄関の呼び鈴が鳴った。約束した時間どおりだった。
「準備はいいかーい?」
「いいかーい?」
威勢のいい長谷川さんに続いて、ひなちゃんの元気な声が届いた。僕と野崎さんは玄関へ出向き、ふたりの招待を受けた。
「今日はサプライズの日だぜ。優花ちゃんを驚かせに来たぞ」
「来たぞ」
「うん、楽しみにしてたよ」
「何だと思う?」
ひなちゃんが野崎さんに問いかける。
「さあ、何だろう。わからない」
「すごく大きいんだよ。びっくりするくらい」
「見ればきっと腰抜かすぜ。おじいちゃんの作品はなあ、スケールが違うんだよ」
ふたりは興奮を抑えきれないようで、身振り手振りで息巻いていた。そんな上機嫌の彼らを見ていると、僕は心苦しくなってしまった。
なぜなら、野崎さんはすでに知っているのだ。昨日、僕がアトリエでジェットコースターだと、バラしてしまったからだ。
野崎さんは僕の希望通り、知らないふりをしてくれた。そのことも胸が痛んだけど、楽しそうにする野崎さんに偽りはなく、勝手ばかり言った僕はちょっと救われた。
「じゃあ、行こうか。芸術作品のお披露目会だ」
「おーっ!」
鬨の声が上がった。
おばあちゃんも加わって、五人で家を出た。
僕たちは、ジェットコースターの乗り場がある島の西側へ向かった。いったん港まで下りて、防波堤に沿って道なりに進む。
長谷川さんを先頭に、野崎さんとひなちゃんがあとに続いた。僕とおばあちゃんは
少し距離をおいて三人の後ろをついていく。
「本当に、今日で帰っちゃうの?」
ひなちゃんが寂しそうに尋ねた。
「もうすぐ学校がはじまるしね。帰ったら猛勉強しなくちゃいけないんだよ」
「受験とは、大変だなあ」
長谷川さんはねぎらった。
「でもね、島とみんなからたくさんパワーをもらって、受験勉強頑張れそうなんだ。今、私は最高に漲っているんだよ」
と、野崎さんはこぶしを突き上げる。
「受験終わったら、また島に来てくれる? ひな心配だよ。辺鄙な島だって言ってたじゃん」
「あはは。そんなこと言ったかなあ」
笑ってとぼける野崎さんに、ひなちゃんは不安げだ。
「直人くんが島で働いて、優花ちゃんが大学通ったら、離れ離れになっちゃうよ。遠距離婚って、すごく大変なんだって」
「どこでそんなこと覚えたんだよ」
長谷川さんは呆れて言った。
そのあとも、ひなちゃんは執拗に食い下がっていた。
野崎さんの手を取り、まっすぐな視線を向けていた。ひなちゃんの勢いに、野崎さんは押されっぱなし。
後ろから見ていた僕は、返事に窮する野崎さんが気の毒に思えた。
花嫁候補の話は三日間限定だ。この旅が終われば、僕たちの関係は解消する。野崎さんが小岐島にふたたび帰って来ることはないだろう。
でも、そんなことを言い出せるはずもなく、野崎さんは、ひなちゃんを笑顔でなだめるしかないようだ。
「あんなにせがまれたら、優花ちゃん困っちゃうわねえ」
おばあちゃんが八の字眉を寄せ、僕に言った。
「直人は幸せ者よ。こんな無茶なことに付き合ってくれる人なんて、そうそういないんだから」
「うん、わかってるよ……」
「これで、優花ちゃんが直人の本当の花嫁候補なら、私は大歓迎なんだけどねえ」
それはどこか、含みがある言い方だった。
おばあちゃんに上目遣いで睨まれて、僕はぎくりとした。
「も、もしかして、おばあちゃん、気づいていたの?」
「ええ、気づいてたわよ。耳はだいぶ遠くなったけど、勘はまだ冴えているからね。優花ちゃんに花嫁候補の役をさせるなんて、本当に罪作りなことよ」
おばあちゃんの八の字眉が、触覚のごとく尖っていた。
いつもは温厚なおばあちゃんだけど、曲がったことが嫌いな性分だった。
「嘘ついて、ごめん……」
僕は怒られるのを覚悟した。
「直人に知っておいてほしいことがあるのよ」
「はい……」
「それはね、私にも生きがいがあるってこと。おじいちゃんみたいなヘンテコな生きがいとは違うのよ」
「はあ……」と、僕は気の抜けた返事をした。
そんな話、今まで聞いたことはなかった。
思わぬ話の流れに、僕は尋ねた。
「どんな生きがいなの?」
「私の生きがいは、孫たちの成長を見守ること。直人と彩音が幸せになってくれることが私の生きがいなの」
おばあちゃんは静かに答えた。
「直人はこの先、いろんなことを経験をするでしょう。そのうちわかる時が来ると思う。この世の中で起きることは、すべて巡り合わせなんだってこと。人も物事も、いろんな縁で繋がっているのよ」
「縁?」
「そう。もし誰かを伴侶にするなら、お互いに支え合える相手がいいわね。辛い時を、いっしょに乗り越えてくれる人は、中でも一番強い縁のなのよ。そんな相手が現れたら手を取りなさい。それもまた、巡り合わせですよ」
「わかったよ……」
と、返事をしたものの、僕にはまだ遠い未来の話に聞こえた。縁とか伴侶とか言われても、正直、想像もできなかった。
「ただ私の心配は、直人が鈍いところなのよねえ」
「にぶい?」
思わず声を裏返した。
僕の間の抜けた顔に、おばあちゃんは苦笑する。
「まあ、いいわ。とにかく幸せになってちょうだい。私のためにも、みんなのためにも」
「うん、わかった」
「ああ、そう。優花ちゃんとのことは、秘密にしておきますから」
おばあちゃんはにんまりした。
いつものやさしい笑顔の八の字眉に戻っていた。
「ありがとう、おばあちゃん」
しばらくして脇道に入った。その先の開けた場所に、ジェットコースターの乗り場がある。小高い丘へ上りはじめて、すぐだった。
僕は異変に気づいて声を上げた。
「みんな、どうしてここにいるの?」
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