第21話 魅惑の廃墟島ツアー

 さっぱりわけがわからないし、まったくもって唐突な話だけど、僕はあるツアーに参加していた。ヘルメットを被り、瓦礫が散乱する細い路地を分け入った。


 異様な光景だった。目に映るものすべてが朽ちていた。密集する家屋はどれもひしゃげ、今にも崩れてしまいそう。

 未だ状況が掴めないまま、僕は他の参加者に混じって、ガイドのあとに続いた。


「かつて、この島は漁業が盛んでした。歴史は古く、領主の命により、人がここに移り住んだのがはじまりだそうです。文献に明記されたのは江戸時代。その頃は外国船の往来を監視する、遠見番所の役割も担っていました」


 ガイドの声は少ししゃがれていたけど、大きくてよく響いていた。殺伐とした景色とは対照的に、和やかな雰囲気だった。


「昭和初期の最盛期には人口が三百人を超えましたが、そこを境に減少の一途をたどります。島の衰退に打つ手はなく、このような無人島になってしまいました」


 僕はガイドの説明を聞くうちに気がついた。

 これは廃墟ツアーと呼ばれるものだ。最近流行っていると、どこかで耳にしたことがあった。歴史的な遺構を見学して回るという。

 参加者は皆、神妙な面持ちだった。崩れた家屋を覗き込む人、写真に収めようとカメラを構える人。かつてここにあった営みに、ノスタルジーを感じているようだ。


「では、次のポイントに向かいます」


 ぞろぞろと、ツアー一行は石階段を上っていった。

 高さが増すにつれ、視界が開けてくる。崩れた石垣の間から海が見えて、不思議と僕はその景色に既視感を憶えた。

 ちょうど山の中腹に差しかかったところで、ガイドが脇道に入った。


「これからご覧いただくのは、島の重要人物の遺構です。彼はこの島の悲しい歴史の中で、時代に抗った人であり、またこの島でたったひとりの、最後の島民でもありました」


 何だか嫌な予感がしてきた。僕はこの路地に見憶えがあった。どこもかしこもくたびれていたけど、僕の記憶とわずかに重なる。

 しばらくして、ガイドの足が止まった。


「ここで見ていただきたいのがこちらのお宅です。この集落で最も重要な場所。今や伝説となった人物の遺構です」


 意気盛んにガイドが指し示したものに、僕は仰天した。


「これ、僕の家じゃないか!」


 悲鳴にも似た叫び声が、やまびこみたいに虚しく響いた。

 僕はガイドに詰め寄った。


「ど、どういうことですか? どうしてこんなことになってるんですか?」


「私に言われても困ります。伝説ですから……」


 ガイドはヘルメットを目深に被ると、迷惑そうに顔を伏せてしまった。目も合わせてくれず、僕は完全にイタい人扱いだった。


「もういいよ!」


 僕は踵を返し、家の中に入ろうとした。


「勝手なことをされては困ります」


「だから、ここは僕の家なんだってば!」


 僕はガイドの制止も聞かず、玄関ドアに手をかけた。重く錆びついた引き戸をこじ開けて、家の中に飛び込んだ。


「何だこれ……」


 僕は唖然とした。


 家の中は外よりひどい有様だった。

 見上げた天井は、ところどころ剥がれ落ちていて、骨組みがむき出しになっていた。廊下は瓦礫が積もって足の踏み場もなかった。

 窓ガラスが割れ、雨水が入り込んだ居間は、仏壇もちゃぶ台も泥だらけ。畳は腐って波打っている。

 台所はさらに悲惨だった。抜け落ちた天井とともに、あるはずのない本棚が横たわっていた。台所の上はちょうど僕の部屋だった。散乱した天文雑誌と望遠鏡が目についた。大きな学習机は、今にも倒れ込みそうに傾いている。


 まさか、台所から自分の部屋を目にするなんて……。


 僕はふらふらと台所の戸口にしがみついた。

 ふと、野崎さんの姿が頭に浮かんだ。

 いっしょに朝食を作ったあの日の記憶が、まるで昨日のことのように甦えってきた。

 その思い出が楽しくて幸せだった分、僕を余計に悲しくさせた。いったい、どれくらい時間が経ったのだろう。

 僕は深い絶望感に苛まれた。


「まったく皮肉な話だよ」


 ガイドが僕に話しかけてきた。


「島おこしやっても何の成果もなかったのに、廃墟になった途端、観光スポットになるなんてさ」


 それはどこか、人を小馬鹿にするような物言いだった。

 僕は不快感を口にした。


「あなた、いったい何なんですか」


 すると、ガイドはニヤリと笑みを浮かべ、ゆっくりとヘルメットを脱いだ。

 僕はその姿に我が目を疑った。あろうことか、正体を現したのは、僕の宿敵、こけし頭の梨沙だった。


「私が言った通りでしょ。島は変わらないんだよ」




「うわあああっ!」と、僕は叫んで飛び起きた。


 その声が壁に跳ね返って、僕の鼓膜を揺らした。辺りを見回すと、いつもと変わらない僕の部屋だった。


「ああ、夢か……」


 僕は力なく両手で顔を覆った。


 伝説って何なんだ。最後の島民だなんて不名誉でしかない。ぞっとするほどリアルな悪夢のせいで、全身たっぷり嫌な汗をかいていた。きっと、昨日梨沙に会ったことの弊害だ。


 そんな最悪の朝を迎えたけど、今日が最終日だった。

 そして、長谷川さんのサプライズの日でもある。その主役である野崎さんを起こしに、僕は彼女の部屋へ向かった。

 すると、すぐだった。

 僕は昨日と様子が違うことに気がついた。

 野崎さんの部屋の襖は開いていて、中から光が漏れていた。僕がそっと中を覗くと、出窓に腰をかける野崎さんが見えた。彼女は静かに外の景色を眺めていた。

 てっきり、寝相が悪い野崎さんと格闘することになると思っていた僕は、何だか拍子抜けしてしまった。

 僕はすることがなくなって、その場にぼんやりと突っ立っていると、野崎さんが僕の気配に気づいた。


「おはよう、直人」


「おはよう……」


 僕は小さく返した。


「どうしたの、顔色が悪いよ。怖い夢でも見た?」


「うん、まあ、ちょっと……」


 僕は格好がつかなくて、ぼさぼさの頭をかくしかなかった。どうやら、僕の寝言は野崎さんに筒抜けだったみたいだ。


「大絶叫だったよ。うわあああっ、て言ってたよ。うわあああっ、て」


 野崎さんは、ここぞとばかりに冷やかしてきた。大げさに僕の口真似をして楽しそう。

 そんな野崎さんは、すでに身仕度を済ませていた。物が散乱していた部屋も、きれいに片づけられていた。

 彼女は島に来た時と同じ格好をしていたけど、雰囲気はまったく違っていた。

 僕は野崎さんに尋ねた。


「今日は、早いね」


「うん。実は、眠れなくてね」


「疲れてない?」


「平気だよ。むしろ、元気なくらい」


 野崎さんは口の端を、ぎゅっと引き上げて微笑んだ。


「実はね、私一晩中、おじいちゃんになってたんだよ」


「おじいちゃんに?」


「そうだよ。といっても、気分だけだけどね」


 寝起きで頭が回らない僕は尋ねた。


「それに何か意味があるの?」


「もっと知りたかったんだ。おじいちゃんがどんな人だったのか。昨日アトリエで日誌を読んだでしょ。それで、私もおじいちゃんになりきって、頭の中で作品を作ってみたの。そうしてるとわかってくるんだ。何を考えて、どんなことをしていたのか。その人を知りたかったら、その人になりきってみる。それが近道なんだよ」


「なるほど。それで何かわかった?」


 僕の質問に、野崎さんはうなずいた。


「なぜおじいちゃんが、ジェットコースターを作ったのかってこと」


「ああ、そのことか……」


 僕は昨日の出来事を思い出した。

 そう言えば、梨沙が現れたドタバタで、その話ができないままだった。

 なぜ、おじいちゃんがジェットコースターに人生を賭けたのか。それは、僕にとっても栗原家にとっても、最大の謎だった。


「私、ずっと疑問に思っていたんだ。ジェットコースターはインパクトがあるし、楽しいのはわかるけど、他にちゃんとした理由があるんじゃないかって。それがわかったんだ」


 野崎さんは自信たっぷりに目を輝かせる。

 僕もその答えが知りたかった。


「どんな理由なの?」


「それはね、おじいちゃんは島に遊び場が欲しかったんだよ。それも、大人も子どもも一緒になって楽しめる場所。それがジェットコースターを作った理由」


 僕はその答えを聞いて、胸に込み上げるものがあった。

 おじいちゃんの創作活動がはじまったのは、上京が決まった頃だった。当時のおじいちゃんは気にする様子もなく、僕はただ趣味に没頭しているものと思っていた。


「きっと、直人と離ればなれになるのが、寂しかったんだよ」


 おじいちゃんは、そんなことおくびにも出さなかった。けど、もし、野崎さんの言う通り、家族の上京が原因だとすると……。

 僕は鼻の奥がつんとするのを感じた。


「私、決めたことがあるんだ。もう、お父さんを追いかけるのはやめる」


「やめちゃっていいの?」


「うん、やめる」


 野崎さんはきっぱりと答えた。


「でも、建築家を諦めたわけじゃないからね。私は私の道を行くの。歴史に残る建築もいいけど、私は私にしかできないものを作るんだ。みんなを驚かせるようなもの、みんなを笑顔にするようなもの。私はそんな建築家になるんだ」


 野崎さんの言葉に迷いはなかった。


 どうやら寂しがり屋の野崎さんが、孤独を味方につけたようだ。

 たとえひとりになったとしても、我が道を進む覚悟ができたみたいだ。こうなればもう、野崎さんに怖いものはないだろう。朝陽に照らされた彼女の横顔は、自信に満ち溢れている。

 僕は何かがはじまる予感がした。

 野崎さんの世界が大きく動き出すのを感じた。僕は新たな幕開けを告げる彼女の舞台を、目の当たりにした気分だった。

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