第18話 おじいちゃんの芸術作品
僕たちは自転車を家に置いたあと、おじいちゃんのアトリエへ向かった。
場所は島の西側にある雑木林だ。そこへ通じる道は、奥に進むにつれ次第に細くなっていく。
人が寄りつくようなところではなかった。整地なんてまったくされていなかった。両側から覆いかぶさる草木を、手で払い除けながら進んだ。
そんな薄気味悪い場所だけど、野崎さんは楽しそうだった。
「アトリエ持ってるなんてびっくりだよ。もしかして、直人のおじいちゃん、すごい芸術家なんじゃないの? 超のつくほど有名人とか?」
「そんなんじゃないよ。公営渡船を退職した、ただの一般人」
断じて芸術家でもないし、有名人でもない。長谷川さんに変なことを吹き込まれて、野崎さんの妄想は膨らんでいた。
しばらくして、アトリエへの分かれ道に来た。
そこで、僕は野崎さんに向き直る。ちょっと強引なのはわかっていたけど、こうするしかなかった。僕は申し訳ない表情を作って事情を伝えた。
「怒らないで聞いて欲しいんだけど」
「うん」
「実は、明日の長谷川さんのサプライズを、これから見てもらおうと思うんだ」
「はあ? 何でだよ! それは明日お披露目するんでしょ。どうして今なんだよ!」
「まあまあ、落ち着いて……」
予想以上の反応だった。野崎さんは目を剥いて怒った。
「サプライズのネタバラシは犯罪だよ。直人、犯罪者になっちゃうよ!」
「犯罪だと思うけど、今見てもらうしかないんだ……。明日の本番のあとだと、時間が取れないんだよ。お昼の船で帰らないといけないでしょ。ネタバレになって申し訳ないとは思うけど……」
「今じゃなきゃダメなの?」
「うん」
「そんなあ……」
野崎さんはがっくりと肩を落とした。さっきまでの笑顔は消え、腰に手を当て葛藤していた。
「私は明日、どんな顔してサプライズを迎えればいいんだよ……。長谷川さんが知ったら怒るんじゃないの?」
「怒りはしないけど、残念がるだろうね。そこはうまく誤魔化してよ」
「ひょっとして、直人って、サイコパスなんじゃないの」
野崎さんの目は冷ややかだった。まったく冗談に聞こえなくて、僕は悲しかった。
そのあとも、ぶつくさと文句を垂れる野崎さんを尻目に先を急いだ。しばらく進むと、明るく開けた場所に出た。
そこに古びた建物がひとつ。
「これがアトリエ?」
「そうだよ」
「だいぶ、ぼろっちいね」
野崎さんの感想に僕もうなずいた。
その建物は壁にトタン板を張っただけの粗末なものだった。元がどんな色をしていたのか、わからないくらい錆ている。ゆるい片流れの屋根には、プラスチックの波板を使っていたけど、変色してところどころ割れていた。
もう誰の目にも触れられず、完全に忘れられた存在になっていた。僕はここに来るたびに、朽ちていくのを感じた。
「元々倉庫だったんだ。取り壊す予定だったものを、おじいちゃんが使ってたんだよ」
早速、中に入ることにした。正面には大小ふたつのシャッターがあった。
僕は小さい方に手をかけたけど、固くてまったく動かなかった。見かねた野崎さんが手伝ってくれた。
「せえのっ!」と、ふたりで息を合わせて持ち上げる。
すると、シャッターが金切り声を上げて開いた。巻き上がる埃に、顔をしかめながら力を込める。
何とか目の高さまで持ち上げたけど、そこからは、びくともしなかった。
「十分じゃない?」
「そうだね」
「入ってもいい?」
「どうぞ」
野崎さんがシャッターをくぐると、すぐに黄色い声を上げた。
「おおっ、なかなか立派なアトリエじゃん!」
外見とは違い、室内はきれいに整理されていた。そこはおじいちゃんの趣味全開で、レイアウトから内装まで、本人自ら手がけていた。
部屋の中央に金属製の大きな作業台が置かれ、それを囲むように様々な機械や道具が並んでいた。壁に取りつけられた棚には、手持ちの工具や書類、本なんかも収められている。
「思ってたより本格的だよ」
「凝りだしたら止まらない性格だからね」
作業台の前にホワイトボードが置かれていた。
そこには小岐島の地図が貼ってあって、無数のメモ紙でびっしりと埋め尽くされていた。どうやら、おじいちゃんはこの地図を見て、作戦を練っていたようだ。
「何だか、秘密基地って感じだね」と、野崎さんは目を輝かせていた。
アトリエは陽の光で明るかった。
それは、半透明のトタン屋根のおかげだけど、古くくすんでいたせいで、部屋のものが黄色味がかって見えた。
割れた屋根の穴からは陽が差し込んでいて、舞い上がった埃がきらきらと光っていた。
そんな主のいないこの場所から、野崎さんは何かを感じ取ったようだ。
「アトリエって、使う人の個性や考えが出るって言うよ。もしかしたら、おじいちゃんは几帳面で繊細な人だったんじゃないかな」
繊細なんて言われても、僕にはピンとこなかった。
でも、秘密を貫いたおじいちゃんのことだ。誰にも見せなかった一面がここにあるのかもしれない。そう思うと、僕にもこの空間が謎めいて見えた。
「問題は、おじいちゃんがここで何を作っていたのか、ってことだよね」
「そうだね。何だと思う? 当ててみて」
「よしっ、絶対、当ててみせるからね」
野崎さんは帽子を脱いで、やる気を見せる。
果たして、彼女はこの難問を解くことができるのだろうか。おじいちゃんの作品は規格外な代物だ。
しばらくの間、野崎さんはアトリエの中を歩き回っていたけど、その足が部屋の一角で止まった。そこには、金属のパイプが束ねて置いてあった。
野崎さんは何かに気づいたようだ。
「これ、足場に使うパイプだよね。工事現場でよく見るやつ。作品ってこれを組み上げないといけないくらい、大きなものなのかな……」
野崎さんは顎に手を当て、悩ましげに見つめる。
その横には溶接の機械があった。バッテリーが積んであるタイプで、電源が取れない場所でも使うことができる。
「溶接機があるってことは、金属を使った立体的な作品って感じかな。これまでの状況から見て、作品は外に置いてあるんだね」
「うん。島の裏山に作ってる」
「しかも、すごく大きいものだよ。あのパイプの長さが五メーターあるから、作品もそれくらいの高さってこと。その大きさから考えると、部品をアトリエで作ったあと、それを現場で組み上げていったんだね。きっと、あの作業台で部品を作っていたんだ」
野崎さんが指摘した作業台は、おじいちゃん手製のものだった。
天板にはネジ穴や溝が掘られていて、複雑な形をしていた。加えて油圧ジャッキが三つ、大きく弧を描くように取りつけてあった。
野崎さんは作業台に近づくと、そっと指で触れた。
「これ、治具だ。何かを挟んで固定したんだね。このジャッキで部品を曲げていたのかな。でも、こんなに大きく曲げて、何を作るんだろう……」
野崎さんは腕組みして考え込む。
「作品は丸みを帯びているのかな。アーチみたいな形? もしくは、球体?」
なかなか糸口が掴めないようだ。
ここで僕はホワイトボードに話を振った。
「あの地図はどう? この島の地図だよ」
「地図を使うくらいの大きさなの? でも、まさかねえ……」
野崎さんはホワイトボードに顔を近づけた。
「この赤い線は何だろう。それにメモがいっぱいある。まるで暗号だね。私には何を書き込んであるのか、全然わからないな……」と、野崎さんは首をかしげる。
等高線のついた地図には、無秩序にうねった赤い線が引かれていた。周りに貼られたメモ紙は、数字や記号で埋め尽くされている。
専門知識のない素人が書いたものだった。おじいちゃんの我流であるが故に、野崎さんも見当がつかないようだ。
「ふーん、中々おもしろい問題じゃないですか。なるほど、そうですか、ふーん」
野崎さんは鼻を何度も鳴らした。
「ふーんっ!」
どうやら、お手上げのようだった。
そこで僕はヒントを出すことにした。おもむろに、棚にあったあるものを引っ張り出した。
「これを見ればわかると思うよ」
それは、一冊の青いファイルだった。両手で抱えるほど分厚くて重いものだった。僕は野崎さんをパイプ椅子に座らせると、それを作業台の上に差し出した。
「日誌だ」
野崎さんの目がきらりと光った。
彼女は飛びつくようにしてファイルを開いた。そこには作業の詳細が、おじいちゃんが撮った写真とともに記録されていた。
はじめのページには、測量の様子が見て取れた。メジャーで測って地面に杭を打っていく。それが何本も連なって、森の中へ伸びていった。
「何だか、おじいちゃんの足跡を追ってるみたいで、楽しい」
野崎さんは子どものようにはしゃいだ。
けど、それは最初の内だけだった。ぺージをめくるにつれ、彼女の表情は硬くなっていった。
ファイルの中のおじいちゃんは、どこまでも森の奥深く突き進んでいく。現場は立っているのもやっとの急斜面だった。そんな場所に、重い機材や資材を運び込んでいた。危険とも思える作業が続いた。
そしていつしか、おじいちゃんの足跡が地図にある赤い線をなぞっていった。
「どういうこと? まさか、これ、本当にやるの?」
まだ、半信半疑の野崎さんだったけど、ついに、核心に迫るページを開いた。そこには手書きの設計図が挟んであった。
「えっ」と、野崎さんは声を上げた。
それは、人ひとりが座れる、ソリに似た乗り物だった。足を伸ばして、低い姿勢で乗車する。
「うそ、うそうそ……」
野崎さんは、はっと顔を上げた。
長い足場パイプに、治具がついた作業台。そして、ホワイトボードの地図と日誌の設計図。野崎さんの頭の中で、それらがひとつにつながった。
おじちゃんの作品の正体。
その答えだ。
「これ、ジェットコースターだ!」
「正解」
野崎さんはすくっと立ち上がった。
「私、勘違いしてた。あの長いパイプは、足場に使うんじゃなかったんだ。ジェットコースターのレールになるんだね。作業台の治具は、そのレールを曲げてカーブを作るためのもの。だからあんな大きく曲げていたんだ」
野崎さんはふたたび、ホワイトボードの地図に食いついた。
「どれぐらいの長さなの?」
「だいたい1500メートルくらいかな」
「そんなに……」
野崎さんはショックで言葉もないようだ。
「島の西側に乗り場があるんだ。そこから、最初の落下地点までリフトでコースターを引き上げるんだよ」
坂を上りきったコースターは北側へ、山の傾斜を利用して加速する。地図に引かれた赤い線は、レールの通り道だった。草木が生い茂る裏山で、縦横無尽に曲がりくねっていた。
「びっくりした、まさかジェットコースターだなんて……。まだちょっと信じられないよ」
野崎さんは半ば呆然自失だった。力なくパイプ椅子に座り込んだ。
「これを、ひとりでつくり上げるなんて……」
彼女は感心していたけど、この作品には大きな問題があった。
「実は、その……、レールが敷かれているのは途中までなんだ。地図にバツが書いてあるでしょ」
その印は島の東の端。ちょうどジェットコースターの傾斜が終わる辺りだった。
「作品は完成してないってこと?」
「うん。本当はぐるりと一周、出発地点の乗り場までつなげるはずだったんだけど、おじいちゃんが、病気で入院することになったからね……」
皮肉なことに、おじいちゃんの暴走を止めたのは、おじいちゃん自身だった。
あと一歩というところでの断念だった。おじいちゃんが、どんな気持ちであの印をつけたのか、僕には計り知れなかった。
「完成させてあげたかったね……。でも、どうしてジェットコースターなの?」
「それが、わからないんだ。この作品が島を変えるんだって、ずっと言い張っていたんだけど……」
おじいちゃんは最後まで秘密主義を貫いていた。なぜ、ジェットコースターなのかと尋ねてみても、笑ってはぐらかすだけ。僕にも家族にも島の人にも、決して打ち明けることはなかった。その謎は謎のまま、誰にも理解されないから、いつしか芸術作品なんて呼ばれ方が広まってしまった。
ふと、僕は背後にただならぬ気配を感じた。それは、突き刺すような殺気立った視線だった……。
僕はおそるおそる振り返る。
すると、シャッターの出入り口に、小柄な女の子が立っていた。逆光で顔はよく見えなかったけど、声を聞いた瞬間、僕は絶望感に包まれた。
「三年ぶりだね、直人」
その口元に不適な笑みが浮かんでいた。
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