第12話 島のボス登場

「どうして、ここに将彦がいるんだよ!」


 長谷川さんの剣幕に、場が静まり返った。


 みんなの視線が戸口に集中する。

 でも、僕は振り向くことさえできなかった。恐怖で体が固まってしまった。ひとりうつむき、自分の運命を呪った。


 また、予想外の事態だ……。


 のしのしと畳を踏みしめる足音で、将彦さんが近づいて来るのがわかった。その異様な威圧感で、僕は生きた心地がしなかった。

 彼は長谷川さんを押しのけるようにして、僕の視界に入ってきた。ジャージのポケットに両手をつっこんだまま、どっかりと腰を下ろした。


「おいおい、俺が開いた歓迎会だぞ。邪魔するなよ!」


「こいつらは遊びに来たんじゃねえ、俺に会いに来たんだよなあ、直人。だったらここで話をつけてやるよ」


 将彦さんは僕を睨みつけた。


 大柄な体つきで褐色の肌だった。無造作に伸びた髪は雄々しくて、刃物で切り込んだような鋭い三白眼だ。僕はその眼に射すくめられると、どこか人離れした感覚を憶えた。

 例えるならば、獲物に狙いをつけたオオカミのよう。


「お久しぶりです。将彦さん……」


 僕は正座に座り直し、頭を下げた。


「はじめまして、野崎優花です」


 続けて野崎さんも挨拶をしてくれた。


 それは背筋を伸ばした丁寧なお辞儀だったけど、将彦さんは目もくれなかった。どこか小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「お?」


 と、野崎さんは口を尖らせる。


「ごめんな優花ちゃん。こいつは愛想のない奴なんだよ」


 すかさず、長谷川さんがなだめに入ったけど、出だしから不穏な空気になってしまった。

 この状況で、僕に将彦さんを説得しろというのだろうか。

 向こうはほとんど喧嘩腰だった。まともに話ができるとは思えなかった。正直言って、僕はすぐにでも逃げ出したいくらい怖かった。


「それで、俺に何の用だ」


「は、はいっ……」


 心の準備もできないまま、話し合いがはじまった。

 僕は何とか声を絞り出した。


「漁協の件でお話があって……、島で働かせて欲しいんです……」

「それはもう終わったことだ。雇わないと言ったはずだ」


「雇って欲しかったら、花嫁候補を連れて来いっていう条件を聞いたんです。だから彼女といっしょにお伺いしようと……」


 僕は経緯を説明しながら、野崎さんをちらりと見やった。

 すると、あろうことか、彼女は箸を手に舟盛りをつついていた。何食わぬ顔で口に運ぶと、そっと目を閉じ、笑みを浮かべて味わっていた。


 こんな時によく食べられるな……。僕は一瞬、呆気に取られてしまった。


「直人よ、お前はどこまで鈍いヤツなんだよ」


「は、はいっ?」


「俺はな、お前に諦めて欲しくて言ったんだぞ。それを真に受けて女を連れて来るなんて、どういう了見してんだよ」


 将彦さんは呆れ顔で言い放った。


 どうやら、僕は端から相手にされていなかったようだ。その反応はある程度予想していたことだけど、直接聞かされると挫けそうになる。


「お前が連れて来いって言ったんじゃねえか」


「横から口出すなよ。すっこんでろ!」


「何だよその言い方。俺の方がひとつ年上だぞ!」


 大人ふたりが言い争っていた。その怒鳴り声に身がすくむ。でも、僕は勇気を振り絞って、もう一歩踏み込んだ。


「どうしても島で働きたいんです。島のために何かできることはないか、ずっと考えていたんです……」


「受験勉強はどうした。そんなことに頭を使ってる場合じゃないだろ」


「でも、このままでは島がどうなってしまうのか心配で……。漁協に入ったら、島の人たちといっしょに頑張っていきたいんです。みんなでやれば、島を盛り上げることができると思うんです……」


「俺はそんなことを聞いているんじゃない」


「でも、意外なアイデアで、島おこしに成功したケースもあるんですよ。例えば……、そうだ、カンパチを使ったアイスクリームとかどうでしょう。どこにもない変わったものだったら、注目されるかもしれないし……」


 その場にいた誰もが、おえっと舌を出した。


「お前は何を言ってるんだ」


「で、でも、何かをはじめないと、島が……」


「いいかげんにしろ!」


「ううっ」


 一喝され、僕は口をつぐむしかなかった。考えていたことの半分も言えなかった。


「俺たちがどんな想いで直人を島から送り出したのか、もう忘れたのか?」


 将彦さんの問いかけに、僕は過去の暗い記憶を呼び起こした。それは、僕が中学三年生の時の話だ。


「お前は頭がいいから島に残るより、都会で学んだほうがいいって話だっただろう」


「はい……」と、僕は力なく答えた。


 僕は勉強だけはできた。それが僕の唯一の取り柄だった。

 父の転勤が、僕の高校進学とも重なって、僕にも周囲の期待が集まっていた。将来の出世頭だ、有望株だなんて持ち上げられ、僕は背中を押されるように島を出た。


「なのに都会に馴染めないからって、数年でしっぽ巻いて帰って来る奴があるかよ。俺はそんな奴は認めない。そんな奴に通用する仕事じゃねえよ」


「通用するかどうかはやってみないと、わからねえだろうが。まあ、通用されても俺としては困るけどよ……」


 また、長谷川さんがしゃしゃり出てきた。


「お前は出てくるな」


 将彦さんは一蹴する。


「いいか直人、よく考えるんだ。お前がこんな小さな島でくすぶっていて、どうするんだよ。お前ならもっと上を目指せるだろ。いい大学入って、いい会社に勤められる。島にいる人間で、それができるのはお前だけなんだ。自分がどれほど恵まれているのかを理解しろ。お前は俺たちとは違うんだよ。わかったら島のことは忘れて、その期待に応えろ」


 将彦さんは語気を強めて捲し立てた。


 僕はまるで突き飛ばされたような気分だった。期待という言葉が、僕を不快にさせた。島を忘れろなんて、どうしてそんなことが言えるんだ。僕はもう島の人間じゃないとでも言うのだろうか。

 僕は怒りを通り越して悲しみさえ感じていると、僕の胸の中で、何かが蠢きはじめるのがわかった。それは、全てを飲み込むほどの黒い塊だった。


 僕はその得体の知れない衝動に、また支配された。


「話はこれで終わりだ」


 僕は、座卓に手をついて立ち上がろうとする将彦さんを睨みつけていた。このまま、彼を店から出すわけにはいかなかった。僕にだって意地がある。


 ぶつけてやろうと思った。


 もし、僕に野崎さんでさえ羨むものがあるのなら。

 もし、それが僕の言葉になるのなら。


 たぶん、きっと、これだ。


「そんなこと、どうでもいい……」


「あ?」


「学歴とか、大きな会社に入るとか、本当にどうでもいい。そんなこと、僕は一度だって望んだことないんだ……」


「何を言ってる。俺は直人のために言ってるんだぞ」


「そう、それ。何度も聞かされた。直人のためだって。僕はそれがすごく嫌だったんだ」


 口をついて出た言葉に、僕自身驚いていた。だけど、もう自分を抑えることができなかった。

 僕は胸の中で蠢く黒い塊に、ためらうことなく触れた。


「僕はずっと人の目を気にして生きてきたんだ。ずっと周りに合わせてた。僕は人と違うことが怖かったんだよ。誰かが決めたことを守って、弱い自分を隠してたんだ。島を出る時でさえ、僕は変わらなかった。本当は嫌だったのに、暴れる彩音をなだめるだけ。面倒見のいい兄を演じてたんだ。情けなくて馬鹿みたい……。おかげで高校は馴染めなかったよ。こうなることはわかっていたのに。島を出て後悔しない日なんてなかった」


 まるで心が欠けたみたいだった。

 そのせいで、自分がいったい何者なのかさえ、わからなくなっていた。生きてる実感さえ持てず、ただ自分を責め続けていた。


「でも、そんな僕を変えてくれたのは、おじいちゃんなんだ。おじいちゃんが島で騒動を起こしたでしょ。僕には作品のことはわからなかったけど、島のために頑張ってる姿を見ていたら、決心がついたんだ。僕も島のために頑張ろうって。おじいちゃんといっしょに、島のために生きようって。僕の人生ではじめてだったんだよ。自分のことを自分で決めたの……。なのに……、おじいちゃんが……」


 おじいちゃんが死んだ。


 やっと前を向けた矢先の出来事だった。あの時はただ悔しくて、記憶にあるのは、ずっと泣き明かしていたことだけだ。


「目の前が真っ暗になったよ。もうダメかと思った……。それでも、僕が立ち直れたのは、おじいちゃんとの約束があったからなんだ。僕はこれ以上失いたくないんだ。もう自分の気持ちに嘘はつけない」


 僕は一歩下がって、頭を下げた。


「ここに来るまで、すごく遠回りしたけど気づいたんです。僕は島が好きなんだって。島の人たちが好きなんだって……。僕にはそれしかないけど、お願いします。僕を島で働かせてください。そうじゃないと、僕はずっと、あの夏のままなんです……」


 僕は畳に額をこすりつけた。ぽろぽろと涙が止めどなくこぼれ落ちた。道理なんてなかった。わがままだと思う。

 それでも、僕は願った。


「島が好きとか、そんな甘い考えじゃ、雇う理由にならん」


 将彦さんは静かに言った。

 その声は、まるで鉄の塊のように重く冷たかった。


「東京に帰れ」


 彼がそう言い放って、すぐだった。


 はあー、と大きくて長いため息が響いてきた。

 それはどこか満足げで、とても幸せそうに聞こえた。


 何かがおかしい……。


 僕がそう思って顔を上げると、みんなの視線が野崎さんに集まっていた。彼女の舟盛りには何も残っていなかった。


「ごちそうさまでした」


 と、野崎さんが手を合わせた、そのあとの動きは速かった。


 彼女は舟盛りの器を勢いよく払いのけると、身を乗り出し、将彦さんの胸ぐらを掴んだ。そして、座卓に片足を踏み出した体勢で、力任せに引き寄せた。


「さっきから聞いていれば偉そうに、あんた何様なんだよ!」


「ぐへっ」


 将彦さんがうめき声を上げた。


「優花ちゃん、漁師に喧嘩売るもんじゃねえぜ!」


「何やってるの、やめてよ!」


 長谷川さんとふたりで止めに入った。僕は咄嗟に野崎さんの腰元に飛びついた。

 だけど、彼女の体力は凄まじく、引きはがそうにもビクともしない。将彦さんの顔から、みるみる生気が失われていく。


「好きのどこが甘い考えだよ。好きでいいだろうが! 好きでもなきゃ、こんな辺鄙へんぴな島に、誰が来ると思ってるんだよ!」


「すごーい!」と、ひなちゃんは黄色い声を上げた。


 彼女は空の舟皿を頭に掲げると、興奮して走り回っていた。女将さんはどうしていいかわからず、ただおろおろするばかり。


 だめだ、もう収拾がつかない。


「どんなにカッコ悪くても、どんなに馬鹿にされても、彼は諦めずに追いかけてきたんだよ。だから私は花嫁になってもいいって思ったんだ。何にも知らないくせに、偉そうなこと言うな!」


 野崎さんが、さらに締め上げようとした時だった。将彦さんの口から、意外な人物の名が飛び出した。


「か、佳織……、ちゃんが……」


「カオリって誰!」


「直人の……、母親だよ……」

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