第10話 その男の名はハセガワ
「こんな美人連れて来るなんて、やるじゃねえか直人」
野崎さんといっしょに外に出ると、挨拶もそこそこに、僕は手荒い歓迎を受けた。
興奮した彼に激しく肩を揺さぶられた。その様子を野崎さんは笑って見ていたけど、僕はたまらず音を上げた。
「い、痛いよ、長谷川さん……」
長谷川さんは、この島で唯一の理容室を営んでいた。場所は港の近くで、窓から海が望める、一風変わった店だった。それに加え、彼の髪型も変わっていた。今ではあまり見かけない、前髪が少し高いリーゼントに撫でつけていた。
商売柄、自身の髪の手入れにも余念がなく、いつもシャツの胸ポケットに櫛をしのばせている。
そんな長谷川さんの頭に、野崎さんも釘づけだった。
「かっこいい、髪型ですね」
「ああ、そうだろう。でも、そんなに見つめられると、恥ずかしくなっちまうなあ」
照れ隠しなのか、さっと取り出した櫛を髪に通していた。
そんな目立つ風貌とクセの強い性格のせいで、長谷川さんは島でちょっと浮いた存在になっていた。硬い漁師とは反りが合わず、彼のことを変人扱いする人もいる。
でも、僕にとっては気の置けない友だちみたいな存在だった。長谷川さんには前もって、野崎さんを島に連れて来ることを伝えていた。
「どうだい優花ちゃん、小岐島の印象は」
「静かなところだね。大人しい感じ。長谷川さんみたいな明るい人がいれば楽しいけど」
「まあ、何もねえところだからよ、普段はこんなもんさ。でも、お祭りとカラオケ大会だけは盛り上がるんだぜ。祭りは神輿を担いで島を練り歩く!」
「こんな狭い道を通るの?」
「ああ、そうさ。神輿を落とさねえように、大人も子どもも、みんなで担ぐ。なのに、そいつらめがけて水をぶっかけるんだ」
「おお、過激だね」
野崎さんは目を見張った。
祭りは毎年七月に行われる。島民の無病息災、そして、漁の安全と大漁を願うのだ。この時ばかりは、まるで眠りから覚めたように島は活気づく。
山奥にある神社から、かけ声を上げながら神輿を担いで集落を回る。道端や広場、家の窓、とにかく至るところから水をかけられる。神輿も担ぎ手もずぶ濡れだ。
「長谷川さんはカラオケ大会の常連なんだよ」
と、僕は水を向けた。
「私もカラオケ大好きだよ。大会ってどんな感じ?」
「大会は港がステージになるんだ。と言っても、マイクとスピーカーがあるだけだけどさ。海をバックに演歌を流す。これが最高に気持ちいいんだぜ」
「演歌、わかんない」
野崎さんは肩をすくめる。
大会といっても特に規定はない。とにかく歌いたい人が歌えばいい。他人の歌なんて誰も聞いてなくて、実質、酒を飲み交わすための口実になっていた。
「店にカラオケ機があるぜ。親父から譲り受けた年代物で、8トラってやつさ」
「ハチトラ? 何それ」
「エイトトラックって言って、手のひらくらいのでっかいカセットテープさ。まあ、昭和の遺物だな。興味があるなら見においで」
ふたりのやり取りを聞いていて、僕の家にも似たようなものがあることを思い出した。それはオープンリールと呼ばれるもので、磁気テープがむき出しになっているテープレコーダーだ。おじちゃんのお父さんが使っていたらしい。
僕は他の島民にも聞いてみたくなった。
もしかしたら、この島にはまだ、何か年代物が眠っているのかもしれない。僕はひとり、宝探しの気分になっていた。
「そうだ!」
突然、長谷川さんが声を上げた。
「ふたりに大事な用件があったんだ。あやうく忘れるところだったぜ」
長谷川さんは頬を掻いた。
「実はな、優花ちゃんに、サプライズを用意してるんだ」
「えっ、うれしい! 私そういうの大好き!」
野崎さんは飛び上がらんばかりによろこんだ。
僕も何も知らされていなくて内心驚いていた。こんな小さな島で、サプライズになるものなんてあるのだろうか。
僕は長谷川さんに尋ねた。
「何を用意したの?」
「そりゃ、決まってんじゃねえか。おじいちゃんの芸術作品さ」
「はあっ?」
と、僕は声を裏返した。
「どうしてあれをサプライズにしちゃうんだよ!」
と、すかさず抗議する。
あの作品は栗原家にとって、デリケートな問題をはらんでいた。島民に散々笑われ、肩身の狭い思いをしてきたのだ。
それに、作品自体にも難点があるというのに、この人は。
「いいじゃねえか。お前たちはもうすぐ結婚するんだ。隠してたって、いずれわかることだろ。あの作品は島を変える大傑作なんだぜ。直人だって島を変えたいって言ってたじゃねえか」
「それはそうだけど……」
「いつまでもそうやって恥ずかしがってちゃあ、何もはじまらねえぜ」
長谷川さんの勢いに気圧されて、僕は何も言い返せなかった。
「おじいちゃん、芸術家だったんだ」
野崎さんは驚きまじりにつぶやいた。
「ああ、そう呼んでもいいぜ。ふたりが島に来るって聞いて、俺が作品に磨きをかけておいたんだ。お披露目は、明後日だ」
「何だ、今からじゃないんだ……」
「最終日のメインイベントにするんだよ」
「もう、長谷川さんったら、引っ張りすぎじゃないの? えへへ」
焦らされつつも、野崎さんはまんざらではなさそうだ。僕が呆気に取られているその横で、ふたりは異常な盛り上がりを見せている。
野崎さんを取り込まれてしまっては、僕にはどうすることもできなかった。
「よーし、そろそろ、いい頃合いだな」
腕時計を確認する長谷川さんに、僕は怪訝に尋ねる。
「まだ何かあるの?」
「ああ、あるぜ」
と、長谷川さんは親指を立てた。
「今夜は優花ちゃんの歓迎会だ」
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