第3話 パッとしない僕と進路相談
僕がいつから人見知りだったのかは、自分でもよくわからない。たぶん、物心ついた時からなのだと思う。人は四歳頃から羞恥心が芽生えると言われているけど、僕はそれが他の人より強いのかもしれない。
幼い頃はそれほど気にしてなかったけど、ある出来事がきっかけで、僕は強烈に意識しはじめたのを憶えている。
それは僕が小学二年生の時、夏休みの自由研究の発表会だった。僕は得意の星空観察をテーマにした。夏に見られる星座を集め、その中から特徴的な星や星座にまつわる神話を紹介するというものだった。十個の星座を上げ、プリントまで作り気合を入れて臨んだ。
僕ははじめにヘルクレス座やへびつかい座、こと座の話をした。
ヘルクレス座はその名と通り、古代ギリシャの英雄ヘラスレスが持つ十二の冒険の話だ。へびつかい座は死人を甦らせようとする医師アスクレピオスの話。そしてこと座は、妻を亡くしたオルペウスが、美しい琴の音色で冥界の王を説得し、妻を取り戻そうとする話。
夜空に描かれる星座には、昔から受け継がれてきた神話があった。さそり座にも、はくちょう座にも、わし座にも逸話が残っている。僕はそれをみんなに知ってもらいたかった。少しでも星に興味を持ってほしかった。僕は大勢の前で緊張していたけど、頑張って発表した。
そして、てんびん座とおとめ座の話に移ろうとした時だった。そこで思わぬ横槍が入った。
「つまんね」
と、飛んできたのは心ない言葉だった。
退屈そうなため息まで聞こえてきた。その声は些細なつぶやきだったけど、僕の胸にぐさりと深く突き刺さった。
僕は途端に調子を崩していった。気にしないと思えば思うほど気になってしまった。同時に、大好きな天体観測が否定されて、悲しみが湧き上がってきた。
次第に僕は自信を失って、いつの間にか自分が悪いことをしている気分になってしまった。
もしここで、てんびん座が意味する正邪を計る天秤があれば、心強かったかもしれない……。
もしここで、おとめ座が意味する女神アストレアが力を貸してくれたら、僕の気持ちは持ち堪えたのかもしれない……。
でも現実はそんなに甘くはなかった。
あろうことか、僕はここからさらに窮地に陥ってしまった。それは動揺から、プリントを読み飛ばしてしまう痛恨のミスを犯したのだ。おかげで発表はぐちゃぐちゃに。もうこうなると、自力で立て直すことはできなかった。
最後は何も言えなくて、先生が代わりに説明する事態になってしまった。
僕の心に残ったのは無力感だけ。その時の経験が、僕の自意識を強めたのかもしれない。
十七歳になってだいぶマシになったけど、世間の普通と呼ばれるものが、僕にはまだ高いハードルだった。
そして、今まさに超えなければならないハードルがもうひとつ。放課後、僕の進路相談がはじまっていた。
僕は進路指導室の一角にある面談スペースにいた。そこで向かい合って座るのは、あの鬼の黒メガネ、松山先生だった。
先生は背が高くて椅子に座っていても大きく見えた。まるで上から見下ろされているような威圧感があった。普段は温厚で、生徒たちに信頼の厚い数学教師だけど、進路指導の時は鬼のように人格が変わってしまう。進路指導室に張り詰めた空気が漂っていた。
君嶋くんの話を聞いて、僕も怒られるものと覚悟していた。けど、僕が希望の進路を口にした時だった。厳しい表情の鬼の黒メガネに変化が起こった。
どうしたのだろうと僕が首をかしげて見ていると、松山先生が激しく動揺しているのがわかった。
「く、栗原、お前本気で言ってるのか?」
「本気です……」
「頭でも打ったんじゃないのか?」
松山先生は怪訝な表情を浮かべる。
「お前はこの学校でトップの成績なんだぞ。ダントツの一位だ。今のお前は他の誰よりも恵まれた所にいるんだ。その栗原が就職を希望するのか?」
「はい、漁協への就職を希望します……」
「マジかよ!」
松山先生は悲痛な叫び声を上げると、大げさに椅子の背もたれに仰け反った。
先生が言うように、僕はこの学校でトップの成績を収めていた。それは、入学して以来ずっと変わらずキープしてきたことだった。
「以前、栗原から聞いた時、俺は何か悪い冗談だと思ったんだよ。でも栗原が冗談なんて言う生徒じゃないってことはわかっていたから、すぐに悪い冗談じゃないって気づいたんだけど……」
松山先生はテーブルに倒れこむようにうなだれた。
てっきり怒鳴られるんじゃないかと身構えていたけど、僕は何だか拍子抜けした。今は僕が松山先生を見下ろしていた。
「もしかして、あれか? 島おこしってやつ?」
「はい……」
「本当にそれでいいの?」
「はい」
僕は小岐島にある漁協の職員を志望していた。正式名称は小岐島漁業協同組合と言い、島の漁業と漁師たちを支える小さな組織だ。
獲れた魚介類の販売や、資源の管理、燃料や漁具の調達などが主な仕事だけれど、実はそれは表向き。我が小岐島の漁協は他とは違った。
その実体は、ずばり言って、何でも屋だ。
人口二百人にも満たない離島とあって、漁協は漁師だけでなく、全島民の面倒を見ていた。日常の些細な要件から島で起こるトラブルの解決まで。漁協は彼らの望むものすべてに応えなければならない。
僕はこの仕事を通じて、島を盛り立てようと考えていた。島民と触れ合いながら活気ある島に変えていく。
これが僕の選択であり、おじいちゃんとの約束でもあった。
「実は五月の連休の時に島に帰りました……。その時に組合長と話をして、入組は問題ないと言ってくれました」
「そうか、じゃあ、もう決まりじゃないか……。私から何も言うことはないな……」
松山先生はメガネを取ると、ハンカチで目頭を押さえた。
「十年以上教師やってきたけど、お前みたいな生徒はじめてだよ。勉強についていけないとか、家庭の事情でとか、そういった問題を抱えて進学を諦める生徒はいるけど、まさか首席の生徒が就職したいって誰が想像できたかよ。しかも漁協って……」
しかも漁協という言い草に、若干引っかかるところがあるけど、たしかに僕みたいな生徒は、後にも先にも現れないだろう。
「ま、まあ結構なことだよ。栗原の人生だ。自分で決めたことならそれもいいだろう……。だけど気を抜かないようにな。面接があるんだろう。しっかり準備しておくように」
「はい……」
「それとあと、鍛えておけよ」
漁協は体力勝負の職場だ。自然相手の厳しい仕事だった。松山先生が僕の貧弱な体を見て心配するのも無理も無かった。
腕立て伏せは連続二回が限界。体力測定で出る結果は小学生並みだった。卒業までに体を作っておかねばと、僕はひそかに心に誓った。
その後も面談は淡々と進んでいたけど、一通りの指導が終わって一息ついた時だった。
突然、松山先生が相好を崩した。
「ところで、栗原から聞いた話がおもしろくてさ」
「何のことでしょうか」
「何って、おじいさんの作品のことだよ」
「ああ、そのことですか……」
僕の耳がかあっと熱くなった。まるで脇腹をくすぐられたみたいに、座り心地が悪くなった。
「気になってネットで調べたんだよ。グーグルマップに写ってなかったぞ、おじいさんの作品」
まさか、松山先生がそんなことに興味を持つとは思わなかった。秘密にしておいてほしいと言って打ち明けた話だったけど、先生がちゃんと約束を守ってくれるのか心配になってきた。
僕はこの話題を終わらせたくて、素っ気なく答える。
「島はほとんどが森ですから、隠れているんだと思います……」
「そうか。でも島おこしとしての発想は、悪くないんじゃないか」
「そうでしょうか……」
僕はため息まじりで返した。
以前ちゃんと話したはずだけど、松山先生は忘れているようだ。
実は、おじいちゃんの巨大作品は未完成なのだ。あとちょっとというところで、おじちゃんが入院することになったからだ。
今でも作品はそのまま島に放置されていて、栗原家にとって、あの作品をどうすべきかが頭の痛い問題になっていた。松山先生は、そんな僕の気持ちを置いてきぼりにして、作品について自分の見解を語っていた。
「島に人を集めるっていうなら、いいアイデアだと思うぞ。それに夢のある話だし」
なんて言って、ひとり盛り上がっていた。
松山先生は三十代とあって、まだどこか青春しているかのようなノリの良さを持っていた。もし、おじいちゃんに出会っていたら、馬が合ったのかもしれない。
あまりに松山先生が楽しそうに話すから、僕は事情を伝えるタイミングを逃してしまった。
「お手本にしたい人がいるなんて、幸せなことだぞ」
松山先生は最後にそう言って、僕の進路相談は終了した。
放課後の校内はやけに静かだった。運動部員のかけ声も聞こえてこなかった。
今はちょうど期末テスト一週間前で、部活は原則禁止になっている。全校生徒は早々、家路についているようだ。
そんな中、僕はハードルをひとつ越え、ほっとしていたけど、気持ちは晴れやかではなかった。
「さて、これからどうしたものか……」
と、僕はひとりごちる。
僕の頭の中は不安で溢れかえっていた。島を変えるなんて言っても、それが簡単ではないことくらい、わかっていた。
僕にはそれを可能する特別な方法があるわけでもなかった。そもそも島には変化を嫌う声もある。まず変えるべきは、そんな島民たちの意識だと僕は考えていた。
いったい僕に何ができるのか。どこまでおじいちゃんに近づけるのか。島に残されている巨大な作品をどうするのかも含めて、僕を悩ませる問題はいくつもあった。
「万事うまくいくさ、か……」
灰色の空が広がっていた。まるで今の僕の心境を映し出しているみたいだった。降り続く雨が、空と校舎の境界を曖昧にしていた。
僕は持っていた傘を広げ家路を急いだ。中庭を横切り、校舎を一つ抜け、ちょうど学校の門を出るところだった。
僕は後ろから名前を呼ばれた。
「栗原くん!」
その小気味よい声に足を止めると、突然、誰かが僕の傘の下に駆け込んできた。
「助かっちゃった」
と、安堵するのは女の子。
僕は目を丸くして驚いた。
口の端をぎゅっと引き上げて微笑むその人は、この学校の女神、野崎優花さんだった。
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