熱に浮かされて
「今日は本当に、もうダメかと思った……」
すっかり馴染みとなってしまった高田馬場のウィークリーマンションの一室。
もう三度目の宿泊になるが、なぜか毎回同じ部屋を取ってしまうので、今大河がだらしなく大の字で寝ているベッドの匂いも、そして柔らかさもすっかり身体が覚えてしまった。
「……心配、したんだから」
眉間に皺を寄せて、また泣きそうになるのを堪えながら、悠理は大河の胸に顔を乗せて頬を擦り付ける。
「ごめんな。でも、あの時はあんな戦い方しか──」
「──わかってる。大河も、朱音さんも精一杯考えて戦ってたって、ちゃんとわかってるから」
悠理はもぞもぞと身体を動かし、顔だけじゃなく胸も腰も脚も、大河の大きな身体に沿って重ねる。
そして両手をベッドに沈んだ大河の腰の裏に潜り込ませて、力強く抱きしめた。
「これは私のわがまま。見てるだけしか、守られてるだけしか出来なかった私の不甲斐なさを、ただ大河にぶつけてるだけ……ごめんね……」
大河の胸板に顔を正面から押し付け、悠理が沈んだ声色で謝罪の言葉を口にした。
「……気にすんなって言っても多分お前は気にしちまうんだろうから、もう言わないけどさ。でもお前が無事でいて、お前の回復魔法があるってだけで俺らはあんなに無茶できたんだ。だから、守られてるだけじゃない。お前にもちゃんと役割があって、俺らが必死に守るだけの価値があるんだ。慰めにならないかもしれないけれど、それは本当のことだから」
大河は目の前の悠理の頭を右手で優しく撫でて、左手は背中を
「それに……俺はお前が傷つくのを、見たくない。お前を守るってのは、今の俺にとって一番大事な事だから……これは俺の方のわがままだけど」
「……すんっ、うん、うれじい」
悠理は大河の言葉に鼻を
そして大河の胸板に顔をごしごしと擦り付け、自分の涙を拭くついでに、大河の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「あー、明日アイツらと顔合わせたくねぇなぁ」
天井を見上げて、大河は愚痴を溢した。
「私も……なんだかあの子たち、怖くなっちゃった」
ゆっくりとにじり上って来た悠理は、大河の首の付け根に自分の顎を置く。
ラティメリア・ファミリアを討伐した後、なんだか楽しそうに巣穴だった広場を捜索しているノームの二人を無視して、三人は真っ先にあの湖畔集落へと引き返した。
戦闘の余韻と精神的疲弊が重なり、ノームたちの相手をする余裕が残っていなかったからだ。
特に大河のノームに対する嫌悪感が強く、顔を見るのも気分を害すると、半ば強行的に湖畔集落の聖碑から高田馬場へとファストトラベルで移動し、そしてこのウィークリーマンションへと飛び込んで今に至る。
ちなみに朱音は隣の部屋を一人で使っている。
大河と悠理を二人きりにしようと気を遣ったのか、はたまた二人のいちゃつきに我慢できそうになかったのかは定かではないが、二部屋分の宿賃は多少懐に痛みを与えたものの、今日くらいは許されるだろうと、大河がそれを承諾した。
ラティメリア・ファミリア戦では、朱音が最も活躍したと言っても過言では無い。
だからこの程度のわがままは、認められて然るべきだとの判断だ。
今頃は先ほど階下に併設されたコンビニで購入した、すっかり味を占めた酒を一人で楽しんでいる頃だろう。
「でもなぁ……顔を合わせないと報酬も貰えないし、スーちゃんとやらも呼んでくれないんだろうなぁ」
もちろん、大河が嫌がっているのはノームたちのことだ。
聖碑から受けたクエストと違って、依頼主が居るクエストの報酬はその依頼主からしか受け取れない。
だから最低後一回は、あのノームたちと対面しないとこの旅は先に進めないのだ。
実際、ノームたちに会わずに違うルートを使って湖を渡ることも脳裏をよぎったが、あれだけの死闘を繰り広げたにも関わらず報酬を貰わないなど、骨折り損もいいところだ。
実際に数カ所の骨折を魔法で治している大河だからこその説得力である。
「仕方ないよ。明日頑張ればもう顔を合わすことなんか多分無いんだろうしさ。ほら、今日は疲れたでしょう? マッサージしてあげるから、うつ伏せになって」
「え?」
突然上半身を起こした悠理が、大河の身体をひっくり返そうとする。
「あ、あの悠理? そりゃ確かに疲れてるけど、身体の傷はお前の魔法で治っているし、別に身体が凝ってるってわけじゃ」
「魔法だなんだって言っても、心の疲れは取れないわけじゃない? でもほら、マッサージは身体だけじゃなくて心のリフレッシュにもなるし、戦えなかった分、私が大河にしてあげれることってこれくらいだから」
「そ、そうか? じゃあお言葉に──あの? 悠理? なんで上着脱がそうとするの?」
「ドワーフのおばさま方に貰った菜種油、マッサージオイルにもなるし香料にもなるって教えてもらったの」
「そ、そうか? 俺マッサージなんて受けたことないからわかんないんだけど、オイルなんて使うんだな。それはわかったんだけど悠理、なんでお前もズボン脱いだの?」
「大河の身体に
「そ、そうだよな? 汚れたら洗うの面倒だもんな? じゃあそんな器用な真似してブラをシャツから取ったのも、汚れちゃうから?」
「ううん? これは邪魔だったから取ったの」
「きゅ、窮屈だったならしょうがな──いや騙されねぇぞ! さすがに俺のズボンは──あっ、待って! 引っ張らないで!」
「あのね大河。大河がいつも私の胸とか、脚とか顔とか見て、でも何かを思い直すように目を逸らすのは、私の事と私達のこれからを考えて我慢してくれていたんでしょう?」
あっという間に脱がされたズボンが、室内を舞う。
今大河は下着のボクサーパンツだけという、とても危うい格好をしていた。
長袖のTシャツにノーブラ、下はショーツだけの悠理は大河の胸の上に腰を下ろし、頭を下げて顔を近づける。
長い黒髪がカーテンの様に下ろされ、今の大河の視界には、悠理の強い決意が灯った眩い瞳だけが映されている。
「でも今日みたいな危ない戦いが今後も続くってなったら……私はもう我慢なんかしないって決めたの。大事な人が──大好きな人が私を守る為に頑張ってくれているのに、ただ見ているだけなんて辛すぎる。だから、いつ何が起きても心残りを残さないように、大河にしたいこと、大河がしたいことを全部やっておこうって……決めたの」
「ゆ、悠理……」
神妙な顔つきで、悠理が両手で大河の頬を優しく挟む。
胸に置かれた悠理の腰が、次第に熱を帯び始めて来た。
「大河が、何かを怖がっているのはわかってる。でも、本当は私を求めていることもわかってる。私ができる大河が望んでいることは、なんでもしてあげたいし、私だって大河が欲しい」
ゆっくり、ゆっくりと悠理の顔が──唇が近づいてくる。
「その身体に触れたい。今だけはその顔で、その目で私だけを見ていて欲しい。その指で、私の色んな所を触って。その腕で、私の身体を壊れるくらい強く抱きしめて。大河が今感じている気持ちは、絶対に悪い事じゃなよ。素直な気持ちで好きな人に触れて、好きな人とすることは絶対に良い事だもん。私は絶対拒まないから。お願い大河、私と──」
潤んだ瞳に、涙が浮かび始めた時。
大河は首を持ち上げて、悠理の言葉を自分の唇で遮った。
「ん……」
「ふ……」
初めてのキスは、大河の口の中にまだ残っていた血の味だった。
お互いキスなんて初めての経験だから少しだけ歯が当たって痛かったけれど、それでもその柔らかさと温もりが心地よくて、唇を離す気にはなれなかった。
「──ぷはっ」
やがて呼吸の仕方を忘れてしまった大河が、苦しくなって顔を離した。
鼻で息をするのがなぜか
「……あ」
突然消えた体温に名残惜しさを感じた悠理が、自分の唇を触る。
「──お前から、女の子からあんな事言わせて、ごめん」
色んな小説や映画、ゲームで得た知識から、告白は男の方からするべきだと刷り込まれてしまっている大河が、真剣な目で悠理の顔を見る。
「ううん……キスしてくれたから、100点満点だよ」
頬を赤らめた悠理がそう言って笑うから、目尻に溜まった涙が粒となって大河の頬に落ちた。
「ん……」
悠理はそれを、愛おしそうに啄んで吸い取る。
「お、俺は昔……あの、色々あって……女の人が苦手っていうか……怖かった時期があるんだ。今は昔よりだいぶ……いや、まだ怖いかもしれないけれど、お前は……その……違うって……思えたから……」
大河はもぞもぞと身体を動かし、右手を悠理の頬に添えて、まだ残っていた涙を親指でなぞる。
「うん、大河が怖がっていること知ってたのに、無理やりこんなことして……ごめんね?」
「俺のはっきりしない態度に我慢できなかったんだろ? お前が謝る事じゃないと思うけど……」
「違うよ大河。私が我慢できなかったのは、私が大河を想い過ぎたからだもん」
大河の右手に頬を擦り合わせて、悠理は気持ちよさそうに喉を鳴らして笑った。
「……ちゃんと真剣に口に出して言った事、無かったよな」
「え?」
今大河は、己の内にいつのまにかあった、知らない熱に浮かされている。
それは危ういまでに熱く、でも決して
大河はもうこのまま、この熱に身を委ねようと決心した。
だからこの言葉も、今なら何も恐れずに告げることができる。
「お前が……好きだ」
普段は口に出すのが恥ずかしく、そしてどこか畏れを抱いていた言葉。
悠理はたまたま、大河の側に居ただけだ。
あの異変が起きた時に、偶然会って、偶然一緒に逃げて、偶然ここまで来ただけ。
いわゆる吊り橋効果というモノで、そんな偶然が重なった結果自分のことを好きだと錯覚しただけ──。
大河はずっと、そう己を誤魔化していた。
中学の頃の同級生。
学年で──いや、当時の学校で一番だと言っても過言ではなかったほど人気のあった、可愛い女の子。
どこか自分とは違う世界に生きて、自分の知らない世界を進んでいくんだとばかり思っていた。
だけど今、
そしてうぬぼれでもなんでもなく、大河を好いて愛してくれている。
もう誤魔化しは効かない。
なにせ面と向かって、自分を求められたのだから。
幾ら自己肯定感に難のある大河と言えど、その言葉に、その想いに応えないなんて男が
だから、好きだと言ったのだ。
「……」
「あ、あの……悠理?」
呆けたように小さく口を開けたまま、悠理は固まっている。
目の焦点がどこか合ってないように見えて、大河の中の不安感が大きく膨れ上がった。
「お、おーい」
「……」
「ゆ、ゆうりさん?」
「わ……」
「ん?」
悠理の唇が、ぷるぷると震え出した。
「わたしも……」
「え?」
こんなにも至近距離にいるのに思わず聞き返すほどの小声で、悠理は何かを話している。
「私も! 貴方が大好きです!」
「おっ──んーーーー!!!」
そして突然大声で叫んだ悠理が、目を閉じて大河の唇を自分の唇で塞いだ。
「ぷあっ、大河! たいがたいがたいが! 嬉しい! 嬉しくて死にそうだよ大河! 大好き! 好き好き好き好き好き好き愛してる! 私の大河!」
興奮で顔を真っ赤にした悠理が、顔を離すと同時に何度も何度も大河への想いを口に出した。
「あっ、ああ……お、俺も愛してる──んぅー!」
またも口を塞がれた。
「ちゅ、んちゅ、んぁっ、たいふぁ、んぅううっ、たいがっ、すきっ、ちゅるっ、ずずっ、たいがぁ、うんぅうううううううっ」
「ちょ、まっ、んぅっ! おひつけ──ゆうりっ、ぷはっ、んんんんっ!」
何度も何度も、口づけを交わす。
時に舌を舐めとられ、時に口に溜まった唾液を吸い取られ、時に舌を吸われ、甘噛みされ、そして口だけじゃなく、
大河は顔中にキスをされた。
しばらくずっとされるがままだった時間が続き、そしてようやく満足したのか、悠理は上体を起こす。
「ふぅっ、ふぅっ」
荒い息遣いで肩を揺らし、顔はすでに興奮で真っ赤に上気している。
「ご、ごめんね大河。私、私もう。あんなかっこいい顔で、あんな素敵な声で、あんなこと言われたら──もう、もう止められない」
そして悠理は乱暴に上着を脱ぎ捨て、その裸体を露わにした。
「ゆ、ゆうり、お、おれはじめてだから」
呼吸困難による息苦しさと、興奮による混乱で舌が回らない大河がそう告げると、悠理はまた嬉しそうに笑った。
「良かった。私もはじめてだから、お揃いだね? 大河の初めて、私が貰っちゃうね?」
普通、こういうセリフは男女が逆なんじゃないか。
大河の頭の隅の、まだ冷静さを保っている自意識の大河はそう突っ込んで、しかし冷静さを保てない大部分の自意識の大河の群れに押し潰れて消えていった。
悠理の顔に、目に、そして身体に、視線が釘付けになる。
「大河、愛してる」
「お、俺もだ。悠理、愛してる」
そうして二人は、今度は熱く長い──そして深いキスを交わした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「壁が薄いんですけどぉ!」
隣の部屋では涙目の朱音が布団に潜り込んであぐらを掻き、缶ビールを一気に飲み干していた。
「うぅぅぅ、アタシも素敵な彼ピが欲しいよぅ」
その頬に沿ってベッドに落ちた綺麗な涙が、今は只々虚しい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
このエピソードで、『池袋到着編』は一区切りです!
なので大河たちが湖を渡って新たな場所に到着する前に、明日の0時は人物紹介と武器紹介とジョブ紹介をしようかなと思います! 別に読まなくても話は全然わかるけど、読むと更に理解できるって感じです!
本編はその10分後、0時10分に更新しますね!
ここまでお読み頂いてありがとうございます!
読んでいただけているというPV、いいねが僕のモチベーションです!
これを機に評価ポイントとか、「読んでるよ!」「楽しいよ!」「続きが気になるね!」とかでも良いので、感想とか貰えたら飛び上がるほど喜びます!
物書きは単純なんで!
これからもがんばって更新しますので、よろしくお願いします!
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